【第二十六話(2)】追憶に置いてきたもの(後編)
船出 道音。それは、noise——一ノ瀬 有紀の後輩であった少女の名前。
彼女は、ナンパ男に絡まれて困っている一ノ瀬を助け出し、優しく微笑んだ。
「というかさ、がっつり本名を配信内で曝してるけどいいの?」
ディルはキョロキョロとカフェの中を確認しながら、そう疑問を呈した。もっともな質問だ。
だが、noiseはホログラムが映し出す自身の姿を見て強く握りこぶしを作り、それから首を横に振った。
「仕方ないさ。これは私達だけじゃなくて、配信を見ている人達にも知っていてほしいんだ。世界の異質に巻き込まれた一ノ瀬 有紀という人間の話をな」
「ふーん、まあいいけどさ。ネットリテラシーはどこに行ったんだー……あふ……」
noiseの返答に、ディルは興味なさげに欠伸をした。
「……そんなことを言っている場合じゃなくなったみたいだからな」
自身がかつて配信内で言った言葉を、そのままディルに返されたnoise。どこか苦虫を噛み潰すように不快な表情を浮かべたが、辛うじてそれだけ返す。
その間にも、ホログラムが映す二人の会話は進む。
「とりあえず、続きを見てくれ」
それから、引き続きホログラムの映像に集中し始めた。
総合病院に入院している一ノ瀬は、船出がどうしてこの病院に訪れたのか気になったようだ。注文したブラックコーヒーに一口付けた後、湯気と共に小さく息を吐いた。それから、船出の様子を伺うように尋ねる。
『……道音さん、は。どうしてこの病院に来たのでしょうか?』
明らかに、先輩である一ノ瀬が問いかける質問としては不適切な質問だった。だが、一ノ瀬の姿が女性のそれに変化したことを知らない船出の表情が、彼女の質問を介して徐々に涙に潤み始めた。
『……っ、う……』
『え、あ、あの……』
一ノ瀬は思わず狼狽える。質問を間違えたかと思うほど、動揺しあちこちに視線を投げ始めた。
だが、そんな一ノ瀬を他所に、船出はぽつりと言葉を紡ぎ始める。
『……私の先輩達ね、あの土砂崩れに巻き込まれたんだって。一人は見つかってここに入院しているんだけど、もう一人は、まだ……』
船出の小さな口から溢れ出る感情の羅列。一ノ瀬は静かに、彼女の顔をじっと見つめる。
だが、収まることのない船出の言葉は、次から次に涙と共に零れていく。
『その、今も見つかっていない、先輩ね?……わ、私が……好きな、先輩、なんだよ……ずっと、大好きな……』
その船出の言う”大好きな先輩”が自分のことを指しているのだと彼女は理解したのだろう。一ノ瀬は口を固く結び、じっと彼女の目を見据える。
『……道音、さん……』
どう答えるべきか一ノ瀬自身も分からず躊躇しているようだ。
その間にも、船出の声に徐々に嗚咽が混じり始め、ついに言葉にならない悲鳴が混ざり始めた。
『ごめんね、わたし、せんぱ、い……のことすきだ……ったんだ、だから、いまごろ、みつかって、こ、こにきてるって、おもって……』
子供みたいに大声で泣きじゃくる船出。その声は、店内の隅々に至るまで響き渡った。
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「……ねえ、ごめん姉ちゃん。ちょっと聞いていい?」
ホログラムが映し出す場の空気を読んでか黙りこくっていたセイレイ。だが、気になったところがあるようでnoiseへと問いかける。
「……どうした、セイレイ?」
首をかしげてそう聞き返すnoiseに、セイレイはたどたどしくも言葉を紡ぐ。
「えっと、あのね。事故のこととか、色々と聞きたいとこだけど。……姉ちゃんの他にもう一人知ってる人が入院したの?」
船出の言葉から発せられた、『もう一人はまだ見つかっていない』という言葉。それは恐らく、女性の姿に身を移し、かつての存在としての一ノ瀬を見つけられなかったことによるものだというのは想像がつく。
しかし、それより前に『一人は見つかってここに入院している』という言葉。セイレイはそこが気になったようだ。
noiseはそのセイレイの質問の意図をくみ取りながら、静かに頷いた。
「……私の幼馴染の男だったよ。彼も、崩落事故に巻き込まれて重傷を負ったんだ。ライトは、知っているか?」
かつてこの総合病院で勤務していたライトへとnoiseは質問を投げた。その質問に彼は考えるように顎に手を当てて、それからホログラムが映す一ノ瀬とnoiseを交互に見やりながら答える。
「……ええ、覚えていますよ。そもそも若い人が入院する、というのが珍しいですから。君は、あの時の女の子だったんですね。てっきり彼女かと思っていましたが……」
「……彼女だったら、良かったんだがな」
noiseはどこか懐かしむように、それでいて寂しそうに。静かに笑った。
それから、再びホログラムに視線を移す。
「……私は、その時みーちゃんにとって自分がどれほど大きな存在だったかを知ったよ。信じてもらえないと思うから他人のふりをする、だなんてするべきじゃなかったのにね……」
そう言って、noiseは再び過去と向き合い始める。
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『道音』
一ノ瀬は、静かに船出の名前を呼んだ。彼女は驚いた様子で、ぐしゃぐしゃになった紙のような表情で一ノ瀬を見る。
『ぅ、ぅえ……な、あ、なに……どう、した……の』
『……ごめん』
深々と頭を下げる一ノ瀬に、船出はきょとんとした顔を浮かべる。
『……なぁ、に……が……?』
『俺は、お前の人生はお前だけのものだって昔言ったよな。だから、俺の身に何があろうとも、お前は幸せになってくれればそれでいいんだ、そう思っていた』
”俺”。
突如変わった一人称で話しかける一ノ瀬について行けない様子の船出。彼女は顔を濡らしながらも、首を傾げた。
だが、一ノ瀬は話を止めることなく、言葉を続けた。
『だけど、道音が関わった人たち全てが、お前の人生を作り上げているんだ、という考えにはたどり着いていなかった。俺……一ノ瀬 有紀もお前の人生の一部だったんだな。すまなかった』
『あ、え、え……?』
『三日振りだな……。部活動は頑張っているか?また、軸はズレていないか?』
『……せん、ぱい……?まさ、か……』
『ああ、俺が一ノ瀬 有紀だよ。どうしてこんな身体になったのかは分からないがな』
船出の思い出に寄り添うように、一ノ瀬は静かに言葉を紡ぐ。一ノ瀬の言葉に感極まった船出は、ついに言葉にならない感情と共に、嗚咽を漏らし蹲った。
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「……そっか、私は昔からこの言葉を知っていたはずなのにね。魔災が起きる、ずっと前から……」
noiseは一ノ瀬が発した言葉を、懐かしむように、噛みしめるように胸の奥にしまい込む。自身の胸に手を当てて、大きく深呼吸した。
『noiseさん、私達の人生にも、noiseさんはいます。あなたが居なければ、セイレイ君はとっくにこの世にいませんでした』
「……そうだな、うん。そうだ……」
かつて、死が目前に迫っていたセイレイを助けたnoiseは大きく深呼吸を繰り返した。
そして、ホログラムに向けて背を向けて歩き出す。
「あれ?姉ちゃん、もういいの?」
その問いかけにnoiseはこくりと頷いた。
「ああ、大丈夫だ。分かった気がするよ、私がずっと戦ってきた意味を」
「へえ?」
興味深そうにディルはnoiseに顔を寄せる。それから、言葉を続けた。
「君の価値観の根底はなんだい?君は男性としての死を経験して何を思ったの?」
ディルは興味深そうに笑いながら問いかけた。その質問にnoiseは、カフェの天井を仰ぎながら答える。
「……私は、自分がいた痕跡を残したかっただけだよ。私は確かにここにいる、そう証明したかったんだ」
「ふーん?存在証明、ねえ。そういう考え方もあるんだねぇー……。ま、気づいたのならいいんじゃない?」
ディルはゆっくりと背伸びしながらカフェから出た。それに続くように、勇者一行もカフェを後にする。
[確かに、俺も生きた証って欲しいよ]
[案外さ、行動原理って突き詰めればシンプルなのかもね]
[そうなのかも。行動原理って、てっきり複雑で、高尚なものじゃないと駄目だと思ってたよ。でも、ありのままで居ることって大切なんだなあってホログラムを見て思った]
[魔災前まで、俺もただ惰性でその日を生きてたからな。何のために行動するのか、なんて考えたことも無かったよ]
[私もです。でも、それでいいんじゃないですかね。生きること自体、あまり難しく考えても仕方ないですし]
[そうはいってもさ、何かとっかかりになるような意味を見出した方がいいじゃん。せっかく考える脳があるならさ、頭真っ白で生きていたくないよ]
[何を見て何を学ぶか、それは人間にしかできないもんな]
[私は魔災前までホスピスで働いていたんですが、人の死を目の当たりにするたび生きるとは何か、とよく思いました。どれだけ生きたか、ではなくどのように生きたか、に重きを向けるべきじゃないかと]
[↑どのように生きたか、か]
[ディルの考え方に近いかもしれないけどさ、人って「死ぬために生きてる」のかもね]
[????]
[ごめん説明不足だった。魔災に巻き込まれた時からずっと考えてたのよ。友達も恋人もみんなみんな死んで、俺はあいつらが生きた意味は無意味だったのかとずっとムカついてた。けど、あいつらの死が無駄だと思わないように生きること。それが俺達が生きる理由なんじゃねえかって、そう思うんだ]
[誰かが自分の死に対して何か思ってもらうために生きるってことね。確かにそれは死ぬために生きてると言えるのかも。面白い考え方じゃん]
[死にたくないけどね]
[それはそう]
彼らを他所に、コメント欄は各々の人生観を語っているようだ。それぞれ、勇者達の配信を介して生きるとは何かを見つめ直しているのだろう。
Live配信は、確実に実を結び始めていた。
To Be Continued……