【第二十六話(1)】追憶に置いてきたもの(前編)
長きにわたる戦いはついに終わりを迎えた。崩れ去った亡者の果てが残したのは、森本に対する感謝の手紙だった。
ライトはそれらの手紙を丁寧に、スーツのポケットに入れて勇者一行へと礼をする。
「すみませんでした。そして、本当にありがとうございました」
「ううん、こっちこそありがとう。ライトが居なかったら、勝てたかどうかわからなかった」
セイレイはどこか弾む嬉しそうな声で、晴れやかな表情でライトに頭を下げた。その太陽のような彼の姿に、思わずライトの頬が緩む。
「……全く、本当に君にはかないませんね。どうしたらこんな真っすぐでいられるのか……」
「ほんとにねー、誰の教えがあったらこうなれるんだか」
ライトに同意するように、ディルは楽しげに笑う。彼の言葉の意図は未だに読むことが出来ない。
noiseはそんなディルの笑い声を背景に、静かに追憶のホログラムに近づく。
自身を落ち着けるように、大きく深呼吸する。ゆっくりと漏れる吐息と共に、彼女は顔を上げた。
「よし、それじゃあ……ホログラムを起動させるぞ」
彼女の言葉に、セイレイ達は強く頷いた。ホログラムを起動する姿を捉えようと、ドローンは彼女の頭上に浮上する。
そして、noiseは追憶のホログラムに手を伸ばす。
眩い光が世界を包み込む。大地を掛け巡るプログラミング言語が、世界を覆いつくす。
瞬く間に、屋上庭園はかつての姿に書き換えられた。
★★☆☆
時期は7月。そろそろ夏の暑さも本格的になろうとしていた時期だった。
一人の、病衣を身にまとった栗色のセミロングの髪の少女が、一人寂しくベンチに座っていた。彼女は周りの人々を見渡しては、自分がどう見られているのか気になる様子でそわそわと辺りを見渡している。
『俺は、一体どうしたら……』
不安そうに、その少女はポツリと言葉を漏らした。だが、その言葉を聞くものは誰もいない。
『……あれは、私がちょうどこの身体——女性の体に変化して、間もない頃だったよ。正直、怖かった。外見という私だと証明できる前提を失ったことで、私自身の存在が消えてしまいそうな気がした……』
noiseは、そのホログラムが映し出す少女を眺めながら、どこか懐かしそうに、けれども心苦しそうにつぶやいた。
自分の見た目が、不本意な形で変化する。彼女が巻き込まれた状況を、誰も想像することが出来ない。
ゆえに、勇者一行は静かにホログラムの続きを見守る。
しばらくすると、ホログラムが映し出す一ノ瀬は、一人の男性に話しかけられた。
『今一人なら俺と遊ばね?』
その男は下卑た笑みを浮かべながら話しかける。
恐らくナンパ目的なのだろうが、一ノ瀬は自分に話しかけられていることに最初は気づかず周りをきょろきょろと見渡す。
やがて、自身が女性だと認識されていることに気づいた彼女は、改めて男性を見上げる。
『……生憎ですが、私は貴方に興味はありませんので』
そう言って、一ノ瀬はその場をやり過ごそうと男性から目を背けた。しかし、自らの尊厳を傷つけられたと言わんばかりに、その男性は逆上した。
いきなり一ノ瀬の手を掴み上げ、大声で怒鳴りを上げる。
『てめェ何様だよ、黙って俺に付いてこればいいんだよ!!』
『ひっ』
一ノ瀬は顔をゆがめ、必死に抵抗した。だが彼女の体では、屈強な男性の身体を振り払うことはできなかった。恐怖に涙が零れ、助けを乞うように周りを見渡す。
その視線は、偶然にもホログラムを見ている勇者一行に送られた。
「……っ、あの野郎……姉ちゃんに何すんだ!」
「セイレイ、これはホログラムだから!!落ち着いて!!」
ホログラムという事も忘れ、セイレイは一ノ瀬へと駆け出そうとした。そこをnoiseに引き留められる。
「……でも」
納得がいかないようで、noiseへと食い下がるセイレイ。
だが、noiseはホログラムが映し出す映像を再び見るように、と顎でしゃくった。
「まあ、続きを見ろ」
揺らぎのない瞳で映像を見るnoise。彼女のことを信頼することにしたセイレイは、静かにその続きを見守ることにした。
やがて現れた、腕を掴まれたまま泣き崩れる一ノ瀬に近づく一人の女性。長いストレートの黒髪に、赤色のヘアバンドを身に着けた彼女が一ノ瀬に駆け寄る。
その女性は果敢にも、一ノ瀬の腕をつかみ上げる手を振りほどきながら叫んだ。
『何してるんですか!!』
凛とした声が、屋上庭園内に響き渡る。怪訝な顔で振り返った男性は、いらだった様子でその女性に声を掛けた。
『あ?今、俺とこいつは良いとこなんだよ。部外者が邪魔すんな?それともお前が遊んでくれるっての?』
その黒髪の女性の顔を見た男性は、にやにやと下卑た笑みを浮かべながら、じろじろと女性の全身を見やる。
『……大丈夫だよ』
彼女は一ノ瀬の方にちらりと目をやって微笑む。それから再び男性の元へと向き直った。
『泣いてるでしょ、この子?貴方のことが気持ち悪くて気持ち悪くて堪らないって感じだけど。これのどこが良いところなの?』
『……っ、何様だてめェ!!』
激昂した男性は、突如としてその女性に殴り掛かる。だが、彼女は身体を捻ってそれを回避。そのまま腕をつかみ、想いっきり捻り上げた。
『っぐ……っ!!』
苦悶に呻き、蹲る男性を余裕綽々と見下ろす。
『女の子に暴力を振るう男は嫌われるよ?』
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『ストーさん……』
ドローンのスピーカーからホズミがぽつりとそう呟く声が響く。明らかに場違いな、行方不明となっている彼の名前を呟く彼女に思わずnoiseは噴き出した。
「んふっ、今その名前を出すのは卑怯だろ……」
noiseは思わず、家電量販店ダンジョンに潜入していた時にストーに殴り掛かられたことを思い出す。
生死の境目を漂うまでセイレイを助けなかった彼女に激昂した時のことだ。
だが、そのやりとりは配信外で行われた内容の為、コメント欄は困惑の声で埋め尽くされた。
[ストーが一体何に関係してるの?]
[????]
[配信外の話はやめろーーーー、わからん]
「……すまん、こっちの話だ」
困惑するコメントが流れ出したのを確認したnoiseは、静かに謝罪する。
そうこうしている内に、ホログラム内を流れる映像は黒髪の少女が一ノ瀬と共に屋上庭園内にある院内カフェへと移動するところまで進んでいた。
「とりあえずみーちゃ……んんっ、あの人のところまでついて行こう」
うっかり名前を出しかけたnoiseは小さく咳払いをする。それから、勇者一行は彼女の後姿を追いかけることにした。
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『わあ、おしゃれー……!!』
ドローンのスピーカーから、ホズミの黄色い悲鳴が響く。魔災以前のカフェの雰囲気を知らない彼女にとっては新鮮だったのだろう。その声音から目を輝かせているのだろう、ということは容易に想像がついた。
優しいブラウンで統一されたその店内は、レトロと別世界のような雰囲気が共存するスペースだった。
ベルの音が静かに響く。ジャズが流れる店内には、病衣を身にまとった人々やその家族と思われる人々で賑わっている。
その光景には、セイレイも心奪われる。
「姉ちゃん姉ちゃん、ちょっとだけスケッチしていい?」
「……もう少し後でいいか?まだ話は終わっていない」
noiseはどこか迷った様子だったが、静かにセイレイを諭した。彼女の返事に一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、それから強く頷く。
「うん、そっか。あのみーちゃん?って人を見つけないとだもんね」
「……まあ、そうだ。彼女は、私の後輩にあたる人だったんだ」
そう言って、静かにnoiseは自分の姿を探すべく店内をぐるりと見渡し始めた。セイレイは首をかしげて、ドローンへと視線を向ける。
「……ホズミ、こうはい、って何?」
学校を経験していないセイレイにとっては、その言葉は聞き馴染みのないものだった。ホズミは一瞬言葉を考えるように静かになった後、その問いに答えた。
『……私達も、ある意味noiseさんの後輩にあたる人、です。ほら、同じセンセーの教え子ですから』
「ん?そうなの?じゃああれか、姉ちゃんは先輩、ってやつなのか!」
『まあ、そうなりますね』
「君達、余計な話してないで早く行こうよ……」
ディルも遂に呆れたようでため息を吐きながら、noiseの後ろ姿を追いかけるように歩き出した。
セイレイとホズミのドローンも、その姿を追いかける。
そうして、店内でじっと一点を見つめるようにして立つnoiseの後ろに、セイレイ達は立つ。
「姉ちゃん……?」
彼女の視線の先に居たのは、かつての一ノ瀬有紀と、向かいに座る黒髪の少女だ。一ノ瀬はおずおずといった様子で彼女に問いかける。
——本来ならば、知り合いで会った彼女に。
『……そういえば、貴方は……?』
結局、一ノ瀬はどうやら他人のふりをすることを決めたようだ。様子を伺うように、彼女への自己紹介を促す。
その少女はまるで警戒心のない表情で、一ノ瀬の目をのぞき込む。それから、柔らかな笑みを浮かべて自分の名前を告げる。
『あ、私は船出 道音っていうの。気軽に道音、でいいよ?』
「……みーちゃん……」
noiseはどこか懐かしそうに、そして寂しそうに、ホログラムが映し出す彼女の名前を呼んだ。
To Be Continued……




