【第二十三話(1)】 栗色の髪の少女(前編)
「あははっ、ぼろぼろー……ごめん」
ディルが放ったスキル、[浄化の光]により原型を何一つ留めていない検査室の廊下。
天井は崩落し、瓦礫や、恐らく上の階の病棟に配置されていたであろう煤が付着したベッドが散見する。足場すらろくに確保できなくなってしまった廊下を三人は進む。
さすがのディルもやり過ぎたと思ったのか、引きつり笑いを浮かべながら頭を下げた。
noiseは冷ややかな目線でディルを見下す。それから、スナップのきいたチョップをディルに喰らわせた。
「あだっ」
「追憶のホログラムが壊れたらどう責任を取るんだ」
涙目で頭を抑えながら、ディルはセイレイに縋る。
「ねー、このおねーさん怖い。セイレイ君何か言ってよ」
「自業自得だろ」
「がっくし……酷いやぁ」
わざとらしく頬を膨らませて落ち込む演技をするディル。彼の本心は読めないままだが、ディルの態度に釣られるようにどこか気の抜けた雰囲気が流れる。
[なんか、調子狂うな]
[ほんまによ。味方じゃないかも知れないのに、警戒できなくなるんだけど]
[それって一番怖くね?]
[うぐ]
[確かに]
[真意が掴めないからなあ]
コメント欄も同様の感覚を抱いているようで、敵か味方か判断しかねている様子だ。
ディルはチラリとドローンのホログラムを介して映し出すコメントを眺める。そして、うんと大きく背伸びをしつつドローンに向けて語りかけた。
「君達は敵とか味方でしか判断できないの?」
[お前が裏切るかも知れないだろ]
[やり方が無茶苦茶なんだよ。前の配信でnoiseに敵意を向けたの忘れてないからな]
「あれはおねーさんが僕の言うことに従わないからだよ。僕は僕なりの考えがあってやってるの、わかるー?ねー?」
ディルに対する非難が殺到しているが、全く彼は悪びれること無く屁理屈を繰り返す。聡明なnoiseやホズミでさえも、彼の思考回路についていくことが出来ていない様子だ。
「……ホズミ。この男をどう思う」
『変なことをするようなら撃てばいい話です』
「えっ」
淡々と、ホズミが無慈悲な宣告をするのを聞いたディルはぴたりと硬直。それから、カタカタと全身を震わせたかと思うと、セイレイに縋るように抱きついた。
「セイレイ君ーーーー、ねえ、君だけは味方だよねーーーー!?」
「うわっ、ひっつくなよ離れろ」
セイレイは露骨に嫌悪に満ちた表情でディルを突き放す。
そんな茶番の傍らで、ドローンは先行するようにして廊下の奥へと進む。
静寂に満ちた廊下に、スピーカーからホズミの呆れたようなため息の音が響く。
『はぁ……サポートスキル”熱源探知”……。誰も居ないですね、どこかの誰かさんが無茶苦茶したせいで。……貴方は人の命をなんだと思ってるんですか』
スキルを宣告し、敵が居ないことを確認。その後、ディルの行動を再び責め立てるように話し掛ける。
「いや死んでたじゃん。肉体を返すべき所に返してあげただけだよ?アーメン、タンメン、冷や素麺」
「……ちっ」
適当な言葉で返すディルに、noiseも徐々に苛立ちを隠しきれず舌打ちする。
ディルに背を向けるようにして、腕を組む。明らかに彼から意識を遠ざけようとしているようだ。
それから、その苛立ちを半ばセイレイにぶつけるようにして睨む。
「……セイレイ。やっぱこいつ今からでも追い出してもいいか」
だが、セイレイは首を横に振り、キッパリと否定する。
「駄目だよ。姉ちゃんが嫌なのも分かるけど今はダンジョンを攻略する方が優先でしょ?」
意見を曲げようとしないセイレイに、観念したようにnoiseは項垂れた。
「……分かったよ。リーダーはお前だ。大人しく従うさ」
noiseは考えを切替えるように、長い髪を大きく掻き上げた。
彼女が歩くのに連なって、後ろに纏めた栗色の髪が大きく揺れる。
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勇者一行は、やがて瓦礫の上に静かに佇む追憶のホログラムを見つけた。ディルは真っ先にそれに向けて駆け出す。
それから大きく安堵のため息をついた。
「あっ、無事だったね。殺されずに済んだー……」
ディルは相も変わらず、本心なのか演技なのか分からない言葉を放つ。
だが、noiseはじろりとディルを睨んだ。
「偶然、だろ。次同じ事をしようとしたら、分かっているよな」
彼女は短剣の鞘を見せつけるように近づける。するとディルは「ひっ」と小さく悲鳴を漏らし、それからセイレイの後ろに隠れた。
「ね、セイレイ君。ね。守ってよ、怖い」
「ホブゴブリンの一撃を受け止めた奴が何言ってるんだ」
取り付く島もない返事でセイレイはディルを突き放す。ディルは不服そうに「えー」と言葉を漏らしていたが、セイレイにとっては事実なのだから仕方が無い。
唇を尖らせて明後日の方向を向くディルを余所に、セイレイはnoiseの方を向く。
「それよりさ、姉ちゃん。とりあえず追憶のホログラムに触れてみようよ。何が映し出されるのか気になる」
「……まあ、そうだな」
その提案に否定する要因がない。noiseはどこか躊躇するようにため息を付いてから、意を決してそれに触れた。
世界を、目映い光が、地面を走るプログラミング言語が、覆い尽くす。
「……出来ることなら、映っていて欲しくないがな」
noiseはどこか、不安げに呟いた。
『——番でお待ちの——様!一番検査室までお越しください』
『はい、診察券をお預かりします。ベンチに腰掛けてお待ちください』
『すみません、本日検査予約をしていたんですけど、診察券を忘れてしまって……』
そこに映し出されたのは、検査室受付に並ぶ長蛇の列。ホログラムに映る人達は、セイレイ達をすり抜けるようにして慌ただしく行ったり来たりしている。
「へー、病院ってこんなに人多いんだねー。話題沸騰のレストランみたい」
「お前は何か一つ変なことを言わないと気が済まないのか」
「あははっ」
いい加減な言葉を繰り返すディルに対し、noiseはじろりと睨む。そんな二人を傍らに、セイレイは行き交う人達の一人一人をじっくりと観察する。
パステルカラーを基調とした白衣に身を包んだ医療従事者があちこちを忙しなく動く。
点滴をぶら下げた、車椅子に座る患者の顔色を窺いながら話し掛ける看護師。
複数の科の診察を受けるため、忙しなく診察室を行き来する人達。
検査室前のベンチは高齢者が大多数を占めている。中には二十代から三十代ほどの若者もいるにはいるが、数えるほどしか居なかった。
セイレイはホログラムに映し出された、忙しなく行き交う患者の一人一人に視線を向ける。その中に、一人気になる人物を見つけた。
検査室前に配置されたベンチに腰掛ける、白いワンピースに身を包んだ栗色のセミロングの髪を下ろした、一人の少女。
彼女は両親らしき人物と談笑しながら、時折チラリと検査室受付に視線を送っていた。
あまりにも病院とは無縁そうなその少女の姿に疑問を感じたセイレイは、noiseへと声を掛ける。
「姉ちゃん、病院ってあんな女の子も来るところなの?」
「いや、大抵はお年寄りの人が多い……な……っ」
セイレイと同じ所に視線を向けたnoise。すると、徐々にその表情が硬くなる。
「……姉ちゃん?」
彼女はやがて青ざめた顔色を浮かべ、頬を引きつらせる。心配したセイレイがnoiseの顔を覗き込んだ。
「へぇー……」
ディルは、遠巻きに二人の姿を黙って眺めている。だが、その口元は楽しげに歪んでいた。
まるで答え合わせをするように、受付の方から声が響く。
『一ノ瀬さーん、一ノ瀬有紀さん、こちらの診察室へお願いしますー』
そんな時、その名前を呼ばれて少女は「はいっ」と立ち上がった。すらりと伸びた背筋と、どこか真面目そうな雰囲気を醸し出す彼女。
「……私だ……」
noiseは追憶のホログラムが映し出す光景を見ながら呆然と立ち尽くす。
彼女の傍らに立つようにして、ディルは同じ方向へと目線を向けた。
「……へぇ、あれが十年前のおねーさんの姿ね。すごく真面目で、健康的に見えるよね?なんで病院を受診していたの?訳アリ?」
その問いかけに、noiseは俯きながら首を横に振った。今の彼女にはディルの皮肉に反応する余裕は無い。
「そんなのじゃない、私は、私は……」
自身の中に沸き起こった感情をかき消すように何度も首を横に振った。ディルは面白くなさそうに呟く。
「ま、何でもいいけどね。どうせ進めば答えは見つかるでしょ。ね?」
「……どこまで、お前は知って……」
「さて、お話はここまで。セイレイ君、スケッチは全部の謎が解けてから、だよ?そうじゃないと君も納得して描けないでしょ?」
どこかnoiseの方を心配そうに見ていたセイレイ。
だが、呼び掛けられてハッとしたようでディルの方へと振り向く。
それから、こくりと頷いた。
「……ああ、そうだな……と言うか姉ちゃん、えっと、その……」
彼が気にしているのは、追憶のホログラムが映し出した映像によって、自らの本名が公開されてしまったnoiseのことだ。
想定外の事態に、セイレイは彼女への不安が募る。
だが、noiseは彼の顔色を察してか、強く首を横に振った。
「……こればかりはしかたないだろ。ホズミ、ホログラムを融合させよう、恐らくこの上階に繋がる光源が開放されるはずだ」
ちらりとドローンに視線を送りながら、そう促す。だが、何故かホズミの操作するドローンはピタリとも動かなかった。
「……ホズミ?」
声を掛けると、慌てた彼女の声が響く。
「あ、はい。……noiseさん、何故上階に繋がると分かるんですか……?」
「何となく、分かったよ。ディルの狙いが……」
すると、noiseはディルの方へとチラリと視線を向けた。
彼はこちらのことなど気にする様子も無く、ホログラムに映る人々を様々な角度から見回している。
noiseは忌々しげに、顔を伏せて呟く。
「恐らく、私の過去を暴こうとしているんだろう……追憶のホログラムをこんな風に使うなんてな……」
いつかは言わなければと思っていた。世界の核心に繋がるヒントになると思っていたから。
noiseは大きく深呼吸を繰り返す。一度はセイレイ達に「バレるかも知れない」と自分から話したことだ。
恐らく、このダンジョンの最深部に当てはまる所は。
「……私の予測が正しければ、このダンジョンの最深部は”屋上庭園”だ。ホズミ、ホログラムを融合させろ」
腰に携えた短剣の位置を確かめるように触る。それから、ドローンの方へとそう促した。
『……分かりました。追憶のホログラム、融合させます』
そう宣言すると共に、ドローンを追憶のホログラムに融合させた。目映い光がドローンが近づくにつれて、一段と輝く。
[information
光源が開放されました。対象:東館病棟 3~5階]
To Be Continued……