【第十五話(2)】 ババを引く役割(後編)
そこは、他の施設と比較してもどこか自然とは大きく乖離した無機質な雰囲気をした外観であった。
瀬川と前園は、その建物が恐らく管理事務所の役割をしているのだろうと顔を見合わせて頷く。
「失礼しまーす……」
怖ず怖ずと行った様子で、瀬川は覗き込むようにドアを開けた。何やら話し声が聞こえるが、おそらく一階のフロアではなさそうだ。
一階のフロアには、昆虫や植物などの展示物が配置されていた。しかし、魔災以降、展示物は恐らく作り替えられていないのだろう。標本として展示されている昆虫は風化し、微生物が繁殖したのだろうかか。どこか本来の色よりもくすんだ色をしていた。
「……誰も居ない」
「上の方から話し声聞こえるよ?」
なんだか不安そうに辺りを見渡す瀬川に対し、前園は二階へ続く階段の先を見上げながらそう返す。
彼女の言葉の意図を悟り、瀬川は二階へ続く階段を上り始めた。
徐々に、二階に近づくにつれて話し声は鮮明になる。一ノ瀬と、誰かが話しているのが聞こえた。
「――この、魔石というのはですね。魔物の心臓として機能しているもので――、はい。臓器らしきものはありませんでした」
「興味深いですね。是非ともサンプル採取を出来ればと思うのですが――」
「残念ながら、魔物がダンジョンを離れると、一日も経たずにその身体が瓦解してしまいます」
どこか熱が入ったように、自分が研究した魔物の情報を語る一ノ瀬。その言葉に相づちを打ちながら、確認を取る中年男性の声が聞こえた。
「有紀姉ちゃん……何してるの」
「あ」
「今『あ』って言った……」
瀬川が管理事務所の扉を開けて中に入ると、一ノ瀬は呆けた顔をして彼の方へと視線を向けた。どうやら完全に話に夢中で瀬川のことなど意識の外だったようだ。
彼女に付いていた千戸は退屈そうに欠伸をかみ殺しながら瀬川の方を見る。
「いや、悪いなセイレイ。一ノ瀬がもう少し、もう少し待ってって何度も言うもんだからさ……」
「わ、私のせいですかっ!?」
一ノ瀬は困惑したように千戸へと勢いよく振り向く。その様子がおかしいようで千戸は声を殺して笑う。
しかし、瀬川の視線はその二人にでは無く、一ノ瀬と会話をしていた男性の方へと向けられた。
年齢は恐らく五十代。オールバックに纏めた艶やかな黒髪、細身の体格にすらりと伸びた背筋。千戸よりも恐らく年上であろうその男性であるが、醸し出す雰囲気にはどこか若々しさを感じる。
加えて、全身から放つ雰囲気には、思わず身を引き締めてしまうような厳格さを持っていた。
その男性は、瀬川へと綺麗な動作でお辞儀をする。
「これは、勇者セイレイ様ですね。噂はかねがね窺っております」
「……噂?」
言葉の意味を正確に掴むことが出来ず、瀬川は思わず首を傾げた。目の前の男性はそのまま言葉を続ける。
「以前のダンジョン配信、私どもも拝見させて頂きました。危険を顧みない勇気ある行動にいたく感銘を受けました。こうしてお会いすることが出来て誠に光栄です」
「あ、ありがとうございます……」
芯の通った、耳の奥底に響くような真っ直ぐな声。思わず瀬川も背筋が真っ直ぐに引き締まるように正される。
配信時の威圧感を放つ一ノ瀬とはまた異なる、他人を先導する者の雰囲気をその男性は持つ。魔災に堕とされた世界の中で、瀬川が今までに出会ったことの無いタイプだった。
そんな中年男性に存在をアピールするように、前園は瀬川の前に立つ。背筋を伸ばして礼儀正しく、腰から曲げるように綺麗なお辞儀を返す。
「初めまして、私は前園 穂澄と申します。配信をご覧頂いたのであればご存じかとは思いますが、ホズミという名義で活動しております。主に情報支援として彼等の配信に携わっています」
「これは、ご丁寧な自己紹介ありがとうございます。私は森本 頼人と言います。道の駅集落の施設管理を担っている者です。どうぞお見知りおきを」
森本と名乗った男性は、前園に向けて右手を差し出した。彼女はその骨張った手を両手で握り返す。
「はい。こちらこそよろしくお願い致します――ところで、一ノ瀬さんとは何をお話されていたのですか?」
「ああ。一ノ瀬さん――配信内ではnoiseさん、で宜しいでしょうか。彼女が配信内で使用していた”粉末魔素”と言うものに興味を持った次第でして、こうして彼女から実際に説明して頂いていたのです」
二人の会話に割って入るように、一ノ瀬は前園に優しく微笑んだ。
「この森本さんという人ね、どうやら医者だったみたいなんだ。素人が扱うと危険だから、魔素のことは言わないようにはしてるんだけど、医療職ならそのリスクは重々理解してるだろうしと思ってね」
そう言って彼女はチラリと森本の方を見やる。彼はどこか気恥ずかしそうに身体を小さく丸めた。
「いやはや、医者と言っても過去の話ですよ……ところで、なのですが」
話を切った森本は、ぐるりと来訪者の面々を見回す。そして、不思議そうに首を傾げた。
「須藤さんは同行していないのですか?最初こそ気付きませんでしたが、以前の配信に登場していたストー、という男性。あれは海の家集落の須藤さんですよね?」
「ストー……兄ちゃん」
瀬川はポツリとその名前を復唱。困ったように彼は千戸の方へと視線を送った。
――森本に、須藤が行方不明となっていることを伝えるべきか?
彼の視線にはそのような意味が込められているとくみ取った千戸は首を横に振り、森本に語りかける。
「森本さん。須藤さんは今現在、解放した家電量販店の物資を収集し、集落の維持・発展の為に尽力している最中です。その為、今現在ここには来ていません」
あくまでも千戸は嘘は吐いていない。事実、海の家集落の人達は以前、瀬川が解放した家電量販店の物資を集めることに力を入れている。
勇者一行も、必要な物資のみ家電量販店内から集めて持ち出していた。
千戸は一つだけ、須藤がそこにはいないという大きな嘘を吐く。
余計な心配を掛ける必要は無い、千戸はそう判断した。事実、この説明で森本は納得し、そこで須藤に関連した話は終了したはずだった。
「……っ、須藤……さん……っうぐっ、う……」
前園が再び抱えた想いを堪え切れず、声を上げて泣き出すその時までは。
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「穂澄、ほらティッシュ」
「ごめん、ありがとセイレイ君……」
部屋の隅で、瀬川は前園の介抱をしている姿に森本はちらりと視線を送った。
そして、千戸へと向き直り彼の説明をもう一度自身の中に落とし込むようにフィードバックする。
「……そうでしたか、須藤さんが消息不明に……」
「申し訳ありません。余計な心配になるかと思って、嘘を吐きました」
千戸は申し訳なさそうに深々と頭を下げて嘘を吐いたことを謝罪した。森本は「いえいえ、そんな」と首を横に振り、それから顎に手を当てる。
「しかし、聞けば聞くほど奇妙な話ですね……参考までに、一ノ瀬さん」
「あ、はい?」
突然話を振られると思っていなかったのか、一ノ瀬は狼狽え上擦った声で返事した。
「一ノ瀬さんの研究資料の中に、『魔物化』に関する文面が記されていましたね。須藤さんは魔物化の兆候は見られませんでしたか?配信内で大量の粉末魔素を摂取させていたと思いますが」
「……っ」
その質問に息を呑んだのは瀬川だ。救命処置を行う際、一ノ瀬の指示とは言え粉末魔素を須藤の口腔内に入れた張本人である彼。もし魔物化に関係しているのなら自分にも責任の一環があると思うとどこか背筋が冷えるような感覚を覚える。
世界の異質とも言える現象の一つ、魔物化を森本は疑っている。それは突拍子も無い彼の発言からも明確だった。
だが、一ノ瀬は首を横に振った。
「私もその可能性は考えました。ですが、実験結果におけるデータでは、高濃度の魔素を摂取した時点で、早期に末梢の色調不良が出現するんです。しかし須藤にはそのような兆候は見られなかったことから、魔物化のリスクは脱したと判断しました」
「それは、人体実験を経由していますか?」
「出来るはずが無いじゃないですか」
一ノ瀬は森本の言葉に強く反論した。だが、森本は諭すように一ノ瀬に語りかける。
「一ノ瀬さんは研究を甘く見ている所があるようです。魔素吸入薬も独自に作成したとのことですが、本来であれば薬品一つにしてもサンプルデータの収集、経時的に観察を行い、様々な観点から有害事象の有無を確認する。そういった様々なデータを収集し、安全性を担保した上で使用することが理想的です」
「う……」
ぐうの音も出ない正論に、一ノ瀬は言葉を詰まらせる。
森本はそこで言葉を止めること無く畳み掛けた。
「勿論、一ノ瀬さんの作成したデータはこの世界においてかなり学術的価値のある貴重なデータです。そこは認めますが、自身の行動が周りに及ぼす影響……一度、それについて考えを改めた方が良いかもしれませんね」
「……はい」
須藤が居なくなった要因に、一ノ瀬が独自に作成した魔素治療薬が関係しているかも知れない。
森本の言葉に一ノ瀬は何も言い返すことが出来ず、力なく項垂れた。
他人の為を想って行った行動が、かえって他人に余計なリスクを背負わせている可能性。今まで自分が持つ知識に絶対的な自信があったからこそ、自身を上回る知識量を持つ人間からの言葉は深々と彼女の心の奥底に刺さった。
一ノ瀬のキャンパスノートを手に取った森本は、後悔の念に自分を責めたように歯を食いしばる彼女に語りかける。
「一ノ瀬さん、大丈夫ですか?」
「申し訳ありません、私は……」
「あくまで可能性の話をしたまでで、他に明確な要因があるかもしれません。一ノ瀬さんがするべき行動は後悔ではありません」
その言葉に、一ノ瀬は苛立ったように、棘のある口調で返す。
「じゃあ、どうしろって言うんですか」
「一ノ瀬、トーンを抑えろ」
千戸が彼女を咎めるように言葉を挟むが、どうやら一ノ瀬の耳には届いていないようだ。
他人を大切にしている彼女だからこそ、他人を危険に晒す行動をした自分自身が許せなかった。
森本は、そんな彼女の目をじっと見て言葉を続ける。
「一度、事実と憶測を区別しましょう。どこからどこまでが事実で、どこからどこまでが憶測なのか。その分析をしっかりと行った上で対策をする。貴方達が配信内でいつも行っている情報分析からの行動と、同じことです」
「事実と、憶測……」
その言葉をかみしめるように、一ノ瀬は森本の言葉を反芻した。
To Be Continued……




