【第十章】序幕(後編)
「素晴らしいと思わないかい?千戸 誠司さん」
突如として、瀬川 沙羅は燃え盛る業火の前に両手を広げながら語り出した。
こんな幼い少女に対し、怒りを覚えるのは道理ではないのは分かっている。だが、内に秘めた怒りを抑えきることが出来ずに低い声で言葉を返した。
「……何が、素晴らしいというんだ、お前は。沢山の人が死んだんだぞ」
「そうさ、沢山の人を消し去った!私の本質を理解しようともしなかった愚かな父親も、私を憐れむような目で見る下衆共も皆!」
「何を言っている……?」
さらりと、とんでもない意味合いの言葉を発した気がする。
俺はその真意を問うように、彼女の話を促す。すると、瀬川 沙羅はくるりと長い金髪を揺らしながら振り返った。
「ついに私は成し遂げた!私を真っ当に評価しようとしなかった瀬川 政重を始末することを!世界を真っ白にすることを!これが見たかったんだ!」
「なあ、沙羅ちゃん。言っていい冗談と悪い冗談があるぞ」
なるべく大人の対応を心掛けなければ。
そう思い、彼女を年相応の存在として扱うように配慮する。
だが、瀬川 沙羅にとってはそんなことどうでも良かったのだろう。純粋なあどけない笑みを浮かべながら、彼女は話を続けた。
「冗談なんかじゃないさ!私がちょちょいと作られたプログラムに悪戯を仕掛けたのさ。魔災とは良い響きではないか!あははっ!!」
彼女は声を上げて笑う。
……冗談と取るには、限度というものがある。怒りを堪えるように拳を握り、会話を続けた。
セイレイは目の前で起こる惨状に呆然と立ち尽くしており、俺達の会話は耳に入っていないようだ。
「沙羅ちゃん。その話が本当なら、君が魔災を作った原因という事になるけど」
「ずっとそうだと言っているじゃないか?」
瀬川 沙羅は曇りなき目でそう言葉を返す。
「……」
俺はこの時、彼女を生かすべきではないと判断した。
瀬川 政重から受け取ったスマートフォン。それに組み込まれた「世界を書き換える力」を、俺は彼女を始末することに使うことを決意する。
方法は単純だった。
俺達が逃げ込んだ避難所そのものを、ダンジョンとして書き換えるだけだ。
瞬く間に、避難所の中に魔物が生み出される。
魔物の放つ炎の息吹が、いとも容易く施設内を火の海に染めた。
地獄の中で生まれる、更なる地獄。
その中で関係のない生存者も魔物の凶刃に倒れる。だが、俺にとっては彼女を始末することの方が最優先だった。
だが。
「私の事は良い!逃げろ、怜輝!」
自らの周囲も業火で囲われた瀬川 沙羅は、自身よりもセイレイのことを優先する。
その表情は必死そのものだった。
姉としての振る舞いを行う彼女に対して、俺が抱いた想いは——。
(仕方が無いんだ、仕方がない……)
——正当防衛、だった。
結局のところ、俺は自らの悪事を正当化することしかできなかった。
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諸悪の根源の命を奪い、俺は長らく安寧の日々を過ごしていた。
セイレイが救助した、前園 穂澄という少女とも行動を共にするようになった。俺は、いつしか二人を実の子供のように見るようになった。
とても、幸せな時間を過ごせたと思う。
元気いっぱいにはしゃぎ回るセイレイと、それを静かに窘める前園。
互いに互いを思いやりながら生きていく姿に、俺の心は救われるような思いだった。
だが、安寧の日々はいとも容易く崩れ去る。
ある日。
俺一人、集落外で情報収集の為にフィールドワークをしていた時のことだ。
「やあ、久しぶりだね。千戸 誠司」
「……!?」
雑草を踏み抜きながら、成熟した女性の姿となった瀬川 沙羅はそう語り掛けてきた。
耳に掛かる長い金髪を優雅に振り払いながら、彼女はくすくすと笑う。
「驚いたよ、あんな強引な方法で私を始末しようだなんて。大人は身勝手だね」
「身勝手はどっちだ。魔災を意図して引き起こし、沢山の人の命を奪ったお前が言えた義理か?」
「くくっ、責任転嫁も良いところじゃないか?結局のところ、自らの正義を盾に沢山の人を殺めたという意味では君も同じだろう」
「……」
彼女の言うことは事実だ。
告げられる言葉と同時に、俺は心の内から沸き起こる罪悪感に気付き始めた。
沢山の悲鳴が脳裏にフラッシュバックする。
「……仕方が無いんだ。仕方がない……」
そんな想いを押しとどめるように、俺は何度も首を横に振る。
「そう、仕方が無いんだ。自ら望んで不利益を生み出そうとする阿呆などいない。皆、自らの行いを正しいと信じるからこそ、世界にとって悪になるだけさ」
「……」
自ら犯した過ちを受け入れる言葉に、思わず身を委ねそうになる。
だが、彼女の言葉を聞き入れてはいけない。そう本能が告げていた。
瀬川 沙羅は、何かを思いついたように俺のズボンのポケットを指差した。
「千戸 誠司。君は今も父のスマートフォンを持っているかい。少し貸してくれないだろうか」
ここが、俺にとってのターニングポイントだった。
俺が、彼女の言葉を断っていれば——。
だが、その時の俺は何の疑いも持たずに、瀬川 政重から受け取ったスマートフォンを手渡した。
「ありがとう」と瀬川 沙羅は感謝の言葉を告げつつ、スマートフォンを操作。それから、何やら満足した様子で俺にスマートフォンを返した。
「君は、この世界に干渉する権限を得た。合格さ」
「……一体、何を言っているんだ?」
唐突に何を語り出すのだろうか。
意味が分からずに言葉を返すと、瀬川 沙羅は「待っていた」と言わんばかりに饒舌に語り始めた。
「君には”Sympass”の起動権限を与えたよ。魔災の渦中を生き残った合格者……つまり”passした者”だけで成り立つ配信サイトさ」
「……っ、お前は、魔災で命を奪われたものを失格だというのか?」
ふつふつと込み上げる心の炎をコントロールしつつ、俺は静かに問いかける。
少しでも何かきっかけがあれば、俺は瞬く間に彼女の細い首筋に手をかけてしまいそうな気分だった。
魔災の中で二度と会えなくなった妻や娘は不合格者だというのか。ふざけるな。
俺の感情など理解していただろうに、瀬川 沙羅は楽しげな笑みを絶やさない。
「弱者になど意識を向けるから、世界は衰退の道を辿るのさ。強者だけが生き残ればいい」
「ふざけるのも大概にしろっ!!」
俺は怒りを堪えきれず、彼女を怒鳴りつけた。
瀬川 沙羅はまるで子供でも窘めるかのように「まあまあ」と笑う。
「落ち着きたまえ。私は怜輝と全人類から注目されるような配信がしたいだけさ。それを成し遂げたら、君の望む世界へと作り変える権限を与えよう」
「……世界を、作り変える?」
その言葉は、甘美な果実のそれだった。
魔災によって、何もかも失われた世界から……自ら望む世界を作り変えることが出来ると?
俺の返事を待たないうちに、瀬川 沙羅は俺から背を向ける。
「期待しているよ。千戸 誠司……君が、どのような形で配信を仕組んでくれるかをね」
「……」
そう言って、彼女は俺の前から姿を消した。
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俺は、望む世界を作るというゴールの為だけに魔王セージへと姿を変えた。
沢山愛情を注いできたセイレイと前園を裏切り、世界にとっての敵となった。
後悔が無いわけではない。ただ、これが俺にとっての最善だっただけだ。
もし、勇者セイレイが敗北するようなことがあれば……瀬川 沙羅は全人類を洗脳し、自らの信者にすると言っていた。
だが、そうはさせない。
彼女が全人類を洗脳する前に、俺は全人類を滅ぼす。
そうすれば、瀬川 沙羅は自分の理想の為に「世界の前提を書き換える」という方法を取らざるを得ないはずだ。
失われた命を取り戻すには、きっとそうするしかないのだから——。
To Be Continued……
気が向いた方は、ep7を読み返してみましょう。
セイレイの姿をドローンで撮影するように促したのは千戸でした。