【第十章】序幕(前編)
多くの人々の命を奪うような殺人犯でさえ、自らを悪と認識せずに正当化することがあるようだ。
「自分は正しい行いをしただけである。しかしどうして、私は法に裁かれなければならないのだ」と。
無論、俺——千戸 誠司も間違ったことをしたとは思っていない。世間にとっては魔王……悪そのものなのだろう。だが俺としてはそれが最善だと考え、全人類を死に追いやろうとしているだけだ。
きっと、世界の誰にも理解出来はしないだろう。
全人類を死に至らしめることが平和をもたらす——矛盾したその二つが、俺が導き出した答えだ。
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瀬川 政重とは旧知の仲であった。
学生時代には、たくさん悪ふざけをして教師を困らせたものだ。今になって思えば随分と青かったものだと考えるが、これも思い出の一つだ。
しかしここ数年、長らく彼とは連絡を取り合っていなかった。”Tenmei”の社長として名誉ある仕事をしている彼の妨げになってはいけないと思っていたのが一つ。だがそれ以上に、俺も高校教師としての業務が重なっていたことより、まともに休暇を取ることが出来なかったからだ。
特にその年は”一ノ瀬 有紀”という特殊な生徒の事例を取り扱う必要が生まれたことが大きい。
「男性が女性の姿になる」
今までの常識が通用しない事例に、教師一同は連日対応について話し合わざるを得なかったのだ。
更衣室の問題、男女ごとに別れる授業での対応、身体的特徴の変化に適応する為の個別教育等……本当に、沢山の課題に対応せざるを得なかった。
しばらくして想定外のトラブルもひと段落が付き、冬期休暇に入ろうとした時期のことだ。
瀬川 政重から突如として連絡が届いた。
「とても大事な話がある、全ての仕事を放棄して来てくれ」
まるで俺の意思さえも全て無視したメッセージが届いたのだ。端的に、一刻の猶予もないと言ったメッセージに、全身に重しがのしかかったかのような気分だった。
その日、俺は最初で最後の仮病を使う。もう、二度と使う機会のないものを。
彼が呼び出したのは、寂れた商店街だった。薄暗く、くすんだ色のシャッターが並ぶ通路が、まるで拒絶されているような気分を生む。
そこに、無精ひげを生やした中年の男——瀬川 政重は待っていた。
配置されたベンチに座っているのは、彼の長男である瀬川 怜輝だ。
彼の姿を見た俺は、目を丸くした。
「おい、瀬川。怜輝君は事故に遭ったと聞いたが」
どこか申し訳なさそうに目を伏せながら、俺の問いかけに答えることなく瀬川 政重は重い口を開いた。
「……千戸。ばかげた話だと思うが、聞いてくれるか」
「……なんだ?」
確認を取るような言い出しだったが俺に拒否権はないのだろう。
それを理解した上で、話を切り出すのだから卑怯と言わざるを得ない。
「実験は……失敗した」
次に口を開いたかと思うと、そのような言葉が飛び出した。
彼は「世界の為に、人の為になることがしたい」……そう、いつかの日に語っていたのを覚えている。
その為に、彼は非科学的な現象を現実のものとする実験に着手していたのも聞いていた。
「もう、止める手段は存在しない……」
「失敗って——まさか」
話を聞いていただけに、息が詰まるような感覚になる。
だが、俺の感情など他所に瀬川は逡巡した様子を見せつつも、言葉を続ける。
「これから、世界は大混乱に陥る。何千、何万。いや、もはやそんな生易しいレベルでは済まないことが起こる」
語る数字は死者のことを示しているのだろうか?だとしたら、ヒューマンエラーどころでは済まされない話なのだが。
いや、そもそも彼自身も仕事を放棄してまで、一体俺に何を押し付けようとしているのか?
ぐるぐると巡る思考の中、かろうじて言葉を紡ぐ。
「……何という事を……。お前の見解では、世界はどうなる?」
聞かなければならなかった。知らなければならなかった。
ただの空想ごとで終わればいい話なのだが……。
「ああ。この世の理を超えた生き物達が世界中に生まれるだろう。魔物が呼び起こす大災害……魔災、と言ったところか……」
……彼は、やはり空想を語るのが好きなようだ。
こんな年になって、情けない。
そう話を無視することが出来ればどれほど楽だっただろう。
「お前は、さっきから何を言っているんだ。意味が分からない、絵空事を語るような年齢ではないだろう」
「絵空事ではないからな」
それから、瀬川は自らの息子である怜輝に語り掛けた。
「怜輝。お前には、これから辛いことが待ち受けているかもしれない。何もかもリセットされた世界がお前を待ち受けている。だが、その世界でお前は生きるんだ。……零から。その想いを忘れないように、お前をこう呼ぼう——生・零……と」
そう、彼は自らの息子を怜輝ではなく、セイレイと呼んだ。
やがて、俺達は通路の先にあるレンガ造りの橋に移動した。怜輝君は話がつまらないのか、ゲームに没頭しているようだ。
場所も移動したところで、彼は自らの実験について語り出す。
ホログラムの実体化実験のこと。その実験を補助する役割として、人工知能が用いられたこと。
それはインターネットを介する情報を活用し、無から有を作り出す、とてつもない大規模な技術となるはずだった。
だが、人工知能が手に入れた力は我々の理解を超えていたのだ。
「ああ。零から作り上げた生命という存在。そこに人工知能を組み込んで、完璧な存在を作り出すことが可能という前例を作れば、大きくこの国——世界は発展する……はずだった」
一瞬、ちらりと怜輝君へと視線を送ったことに気付く。
事故に遭ったはずの彼が、何事もないかのようにそこに居る理由に、おおよその見当がついた。恐らく、彼こそが”前例”なのだろう。
「だが、そうはいかなかった。お前達は、人工知能の持つ力を侮っていた」
瀬川が言葉を詰まらせた為、俺は彼が思っているであろう発言を代弁した。
ホログラムの実体化。人工知能。魔災。
浮いていたはずのパーツが、一つ一つ繋がっていく。それは、最悪の答えを生み出す。
「そうだ……AIの暴走は、遂には止まらなかった。特にインターネットを介していたというのが大きな過ちだった。ゲームをはじめ、様々な情報という情報を巧みに取り込んだ人工知能。それはホログラムとして、世界に魔物を生み出した」
魔物。
ゲームの世界が現実となる、という誰もが子供の頃は憧れたであろう世界。だが、責任ある大人となった俺にとっては、そんな夢見がちな世界には思えなかった。
脳裏に過ぎるのは、俺の帰りを待つ妻や娘の姿だ。
今すぐにでも、我が家に帰って家庭を守りたかった。だが、Tenmeiの社長はそれを許さない。
「……俺は、それを聞いてどうすればいいんだ?」
「……千戸。俺は、本当に申し訳ないと思っている」
瀬川は深々と頭を下げるが、俺が望むのは謝罪ではない。心の奥底に、燃えるような怒りの火種が生まれるのを感じる。
だが、ぐっとそれを押し殺して俺は話を促す。
「今更謝ってもどうにもならないことだろ。一度狂い始めた歯車は、二度と元には戻らない。ならば、進むのみだ」
そう、進まなければならない。彼の言う事が全て本当であれば、魔災によって引き起こされる現象から世界を修復しなければならないのだ。
俺の言葉にハッとしたのか、瀬川は困ったような笑みを浮かべた。
「辛い思いをさせる……な」
「……お互い様だ」
それから瀬川は、隣で「俺達の話など興味ない」と言った様子でゲームをしている怜輝君へと視線を向ける。
「頼んだぞ。彼のことを」
怜輝君——改め、セイレイはきょとんとした顔を向けた。
何も知らない、あどけない純真無垢な少年といった雰囲気だ。
いつかの日に写真で見た彼は、やんちゃ坊主と言った印象だったはずだが。
「どうしたの?」
セイレイは、真ん丸な目を俺に向けた。
その瞬間。俺は怜輝君と姿こそ同じだが、中身は全くの別人なのだと理解した。
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瀬川 政重と別れを告げるのを待っていたかのように、魔災は引き起こされた。
施設という施設に魔物が生み出され、混乱と恐怖が各地に響き渡る。人の集う場所を狙って魔物が生まれるというのだから、なおのことたちが悪い災害だった。
警察署も、消防署も、ダンジョン化したことによって何もかもが機能しなくなった。
人命を救助しようと、サイレンが鳴り響く。しかし、誰を助ければいいのか、どこに人の命を預ける場所が存在するのか。
人々の悲鳴が重なる世界に、俺とセイレイは呆然と立ち尽くす。
そんな中、背後から声を語りかけてくる人物がいた。
「千戸 誠司さん、かい。初めまして」
幼い見た目にそぐわぬ、大人びた態度。中身だけ別人格が憑依していると説明されても納得しそうなほどに落ち着いた少女が、俺に語り掛けてきた。
「……誰だ、君は」
こんな凄惨な災害に巻き込まれたにも関わらず、落ち着いた態度で語り掛けてくる存在に思わず身構える。だが、少女は「くくっ」と笑みを零しながら話を続けた。
「瀬川 沙羅。そこに居る怜輝の姉だよ」
「……」
「なに、そう怖い顔をしないで欲しいものだがね」
ただの幼い子供とは思えぬ、底知れぬ深淵を感じさせる立ち振る舞い。彼女の存在に、どこか俺は恐怖を覚えた。
思わず、瀬川 政重から託されたスマートフォンを持つ手に力が籠る。
——世界を書き換える力を持ったスマートフォンを。
この少女だけは、世界に存在してはいけない。そう思わせる何かが、心の奥底に生まれるのを感じていた。
To Be Continued……




