【第百十六話(2)】還る場所(後編)
正しい選択だった。
先輩の望みにも応え、パパにも私が自立していく姿を見せつけることが出来た。
日に日に、心の奥底から変化する自分を実感することが嬉しかった。
だけど、こんな結果になるのなら、成長なんかしたくなかったな。
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対峙するのは、筋骨隆々の緑色の皮膚をしたホブゴブリン。その右手には私の頭ほどの幅を持った棍棒だ。
「アランっ!ホブゴブリンだっ、気を付けろ!」
先輩が私に注意を促す。以前の私にはなす術が無かったから、当然と言えば当然か。
正直、ホブゴブリンを見ると槍を持つ右手が震える。身体が呼吸を忘れたかのように、息が途切れる。
——だけど、もう先輩にカッコ悪いところは見せられない!
「かき乱せっ、スパチャブースト”黄”!」
私は高らかに左手を掲げて宣告する。それと同時に、アスファルトの地面を穿ちながら地形が大きく変化していく。
無論、私の持つスキルである「ホログラム・ワールド」だ。
こうしてお金に何の躊躇もなくスキルを使えるのは、パパが元々お金持ちであったからに過ぎない。魔物を倒す為の必要経費だからこそ、パパも私や先輩に支援してくれているのは分かっている。
だからこそ、私は二人の期待に応えなければいけないんだ。
「ガアッ!」
突如として足場を崩されたホブゴブリンは、苛立った様子でせり上がるアスファルトの壁を叩く。
勢いのままにはじけ飛ぶアスファルトの瓦礫が、弾丸の如く私達に襲い掛かる。
「させるもんかっ!」
それを予期していた私は、素早く自身の眼前にも同様に壁を生み出した。生み出された障壁に瓦礫の欠片が衝突し、激しく土煙を舞い上げる。
視界の傍らには、既に先輩がホブゴブリンの視界を縫う形で駆け出しているのが見えていた。
だからこそ、私は囮としての役割を遂行する。
「ぷっ、あははっ♪なさけなーい♡悔しかったら当てて見てよ、雑魚のホブゴブリンさんっ♪」
「グオオオッ!」
「っと、単純で助かるよ♪」
もう、ホブゴブリンからすれば私しか見えていないだろう。
モテる女は辛いものだよ……なんてね♪
……まあ本当に見て欲しい人は、私の方を見向きもしない訳だけど。
「スパチャブースト”青”っ」
[セイレイ:五秒間跳躍力倍加]
赤のドローンと化したパパが映し出す配信画面から流れるシステムメッセージ。
それと同時に、ホブゴブリンの背後から高く跳躍する先輩の姿が見えた。
「……あはっ」
彼の姿を見ると思わず笑みが零れる。先輩はホブゴブリンの首根を刈り取らんと、その右手に持ったファルシオンを上段から振り下ろした。
「ぜあああああっ!」
勢いのある掛け声とともに振り下ろされる一撃に伴い、灰燼が激しく舞い上がる。放つ斬撃のインパクトが衝撃波となり、私の衣服さえもはためかせた。
先輩の攻撃と重ねるように、私も持った槍を構え、鋭い突きを放つ。
「たあっ!」
前から、後ろから。
「ガ、ガァッ……」
首元を貫かれたホブゴブリンは、恨み言か賞賛か。どちらか分からない苦悶に満ちた掠れ声を漏らしながら、その姿を灰燼と変えた。
「倒した……?」
あまりにもあっけない幕引きに、私は呆然とそのホブゴブリンを貫いた槍の持ち手を眺める。
その事実に確信を持てたのは、先輩が私の肩を叩いた後だった。
「よくやったな、アラン」
「……うんっ」
先輩に認められた。
たったその一言だけで、私の今までの頑張りに意味を見出せる気がした。
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『セイレイ君、蘭。そろそろTenmei本社が見えてくる頃だよ』
パパはくるっとカメラをこっちに向けて、そう私達に告げた。
どこに建っているものかとぐるりと周囲を探れば、明らかに存在感をありありと放つ施設があることに気付く。
「Tenmei」とスタイリッシュなロゴで彩られた石碑のような看板が案内するのは、まるで人を喰らう巨大な怪物の口を彷彿とさせるほどの広さを持った全面ガラス張りになった玄関口。
初めて都会に来た田舎者よろしく首を大きく上に向けなければいけないほど、その施設は巨大だった。
「こんなにおっきな企業だったんだ」
私としても、ここに来たのは初めてだった。
パパの働いている企業である「A-T」もかなり大きな会社だと思うけど、こうして比較されると何となく自信がなくなってくる。
ちらりと先輩に視線を送れば、彼はどこか恐怖に怯えるような、不安げな表情を浮かべていた。
「……先輩?」
「あ?ああ」
どこか彼の表情に嫌な予感を覚え、気付けば呼び掛けていた。
だが、先輩はぎこちない笑みを返しながら、己の胸中を語る。
「……よく分かんねーけど、この場に居たくねえな。寒気がする……」
「ん、じゃあ帰る?」
ここまで弱音を吐く先輩は初めて見た。
彼のそんな弱々しい姿にいたたまれなくなり、私はなるべく作った表情でそう提案する。
だが、私の意見は容易く拒否される。
「そうつれないことを言わないでくれよ。折角来てくれたんだ、お茶でも飲んでいったらどうかな」
突如として現れた、謎の女性によって。
その女性は、静かに開いたガラス扉からブーツの足音を響かせながらこちらにやってきた。
年齢は、セイレイ君――先輩よりちょっと上くらいかな?でも成人はしてなさそうな感じ。
腰くらいまである長めの金髪から覗かせる無気力な雰囲気。ダボダボの白衣を上に羽織ってて、その隙間から服屋で適当に買ったようなプリントTシャツとサイドスリットの入ったショートパンツが見えていた。
いわゆるダウナー系って感じかな……。
「……えっと、誰ですか?」
私は恐る恐る、突如現れた謎の女性に話し掛ける。だが、女性の正体について答えたのは彼女ではなく、隣で恐怖に滲んだ表情を浮かべた先輩だった。
「……姉貴……いや、瀬川 沙羅……か」
「お姉ちゃんって言ってもらいたいものだがね。十年も待ったんだ、感動の再会だろう」
瀬川 沙羅と呼ばれた女性は、わざとらしく寂しげな表情を作る。語る言葉からは、彼女の本心が一向に見えない。
彼女はロングブーツの足音を響かせながら、ゆっくりと先輩へと歩み寄る。
「……っ、来るな……」
「ちょっと遅めの反抗期かい?可愛いところもあるじゃないか」
それに連なって、先輩の表情が徐々に硬くなる。
そんな彼の姿が見ていられなくなり、私は庇う形で瀬川 沙羅の前に立った。
「っ、先輩嫌がってるじゃないですか!離れてっ!」
「怜輝。君はこんな小さな子供まで侍らせたのか。本当に女たらしだな」
だがまるで彼女は私のことなど気にも留めずに、先輩に語りかけ続ける。
「人に刃を向けるな」とパパに言われそうなものだったが、今は話が違う。
私は迷わず槍を顕現させ、その切っ先を瀬川 沙羅へと突きつけた。
「先輩に近づかないで!」
「少し大人の話をしたいんだ。君にはどいてもらうよ」
「何を――」
何を言っているんだ、そう言い返そうとしたが。
瀬川 沙羅は突如として右手を水平に薙いだ。その動きに連なり、大理石のタイルを貫いて現れた樹根。それはまるでハンマーの如く私に襲いかかった。
あまりにも咄嗟の攻撃に対応できず、その一撃は私の横腹を勢いよく打ち付ける。
「――は」
肺が潰されるような息苦しさを覚える。気づけば、私は地面に倒れ伏していた。
脳がそのダメージを処理し切れていないのだろう。激痛が襲いかかったかと思えば、見える景色が真っ白になったりと、次から次に処理できる情報が奪われていく。
先輩と、パパが何かを懸命に叫んでいる声が聞こえる。
だけど、何ひとつとしてそれを情報として処理することは出来なかった。
ああ。
唯一処理できた情報と言えば、瀬川 沙羅が発した言葉だけだった。
「おかえり、怜輝。君の帰るべき場所はここだよ。そして、荒川 東二。君も来てもらおう。配信にドラマはつきものだろう?」
「ぱ、ぱ…………せん、ぱ……」
最後に覚えているのは、そこまでだ。
★
「……て……」
★★
「ね……お……て……ね……」
……?誰かが私を呼んでいる声がする。
★★★
「ねえ……てよ……ね……」
知らない女性の声だ。でも、どこかで聞いた気がする。
★★★☆
「ねえ!起きて、ねえってば!」
徐々に、その声は鮮明になっていく。
私は重い瞼をゆっくりと明けた。
目映い日差しが差し込む中、その日差しを遮る形で一人の少女が私を覗き込んでいるのが見えた。
「……っ」
「大丈夫?どうしたの……?」
ゆっくりと声のする方向に視線を送った先に居たのは、一人の少女だった。
先輩と同い年くらいの、迷彩柄のキャスケットを被った、長い黒髪の少女。白を基調とした可愛らしいワンピースの上に黒のジャケットを着込んでおり、ちょっとお洒落な雰囲気を醸し出している。
そんな彼女の姿には心当たりがあった。というか、何度も見てきた人物像だ。
「……あなたは、勇者一行の」
「うん。魔法使いの前園 穂澄です。あなたは誰かな?」
「私は……」
何が起きたのか、時間差で情報として脳で処理されていく。
ちらりと周りを見渡せば、先ほど私の横腹を殴りつけた樹根の他には何もない。
瀬川 沙羅と名乗る女性の姿も、先輩の姿も、赤のドローンとなったパパの姿も。
気づけば、私は叫んでいた。
「……助けて。助けてくださいっ!」
私は自己紹介することも忘れ、前園 穂澄と名乗る少女の両肩を掴む。
「う、うん?」
前園はぎょっとした表情を浮かべたが、徐々に真剣味を帯びたそれへと変わっていく。
彼女が真剣な表情になるのを待ってから、私は言葉を続けた。
「瀬川 沙羅って言う人が、現れて……!気付けば先輩もパパも居なくて……!」
「ん、ちょ、ちょっと待って。誰が何って?瀬川 沙羅?」
「あ。えっと。はい」
そう言えば先輩もパパも、前園からすれば全くの知らない呼称だったことに気付かされた。
少し間をおいてから、私は話を続ける。
「えっと、先輩って言うのはセイレイ君のことです。パパって言うのは、荒川 東二……四天王の赤のドローンのことです」
「……セイレイ君が、お姉さんに連れ去られたってこと?それで、あなたは……」
「私は、荒川 蘭。先輩からは”遊び人”の役職を貰って……」
「……ふーん」
一瞬だけ、前園の目が品定めするような目つきになった気がする。どこかその目が怖くて、私は思わず顔を背けた。
だが、しばらくしてから前園はゆっくりと身体を起こす。
「セイレイ君。居なくなったと思ったらこんな小さな女の子とよろしくやってたんだね、あのロリコン勇者……」
「え。あの、誤解です」
前園は一体何を怒っているのか知らないが、多分大きな誤解を与えている気がする。
だが、私の反論も聞き止めることなく前園はじっとビルを見据えた。
「……セイレイ君。待っててね、再会したらお説教だよ」
「はあ……」
前園の反応についていくことが出来ずに呆然としていると、ふと彼女の代わりに話し掛けてくる人物がいた。
「えっと、荒川さん、で良いのかな。大丈夫?動けそう?」
長い栗色の髪を後ろに纏めた大人びた風貌をした成人女性がそう語りかけてきた。白のカッターシャツに、紺のジーンズを履いた、如何にも「キャリアウーマン」みたいな雰囲気の女性だ。
確か彼女は「盗賊noise」として配信に参加している人物だったはず。そして、最も配信内で本名が出ている人物でもある。
「あ、ありがとうございます。一ノ瀬さん」
「noiseって言って欲しいなあ」
一ノ瀬は困ったような笑みを浮かべながら、私の前に回復アイテムとしてのスナック菓子を手渡した。
微かに痛みの残滓こそ残っているが、思った以上に致命傷とはならなかったのだろう。私は一ノ瀬からスナック菓子を受け取り、包装を破った後もそもそとそれを口に運んだ。
喉元をスナック菓子の欠片が通過する度、急速に痛みが引いていく感覚を抱く。
ついに完全に痛みの消えた私は、ゆっくりと身体を起こした。
「……助かりました。えっと、皆さんもここまで来る事が出来たんですね」
「大変だったよー。穂澄ちゃんが暴走するものだから」
「一々時間なんて掛けてられないし」
一ノ瀬は苦笑いを浮かべながら答える。しかし、話を聞いていた前園はどこか不機嫌と言った様子だ。
……いや、不機嫌という言葉は訂正するべきだった。
「……ひっ」
「セイレイ君に何かしようとするのなら、許さないから……」
「殺意」の言葉こそが適切だろう。
そんな彼女を窘めるように、一ノ瀬は引きつった笑みと共に話し掛けた。
「穂澄ちゃん、冷静になろう。焦りは禁物……穂澄ちゃんが一番状況判断能力高いんだから、君が冷静さを失ったら駄目だよ」
「……分かった」
一ノ瀬の言葉にようやくクールダウンしたようだ。
ちらりと彼女達の背後に視線を送れば、心配そうにこちらを見ている少年二人が視界に入った。
そのうちの、藍色の髪をした大人しめな雰囲気の少年がおずおずと尋ねる。
「荒川 蘭ちゃん、だね。セーちゃんとずっと行動をしてたの?」
「あっ、はい……先輩には連携とか教えてもらって」
「あのセーちゃんが、ねえ。立派に頑張ってたんだ……」
確か、彼は「戦士クウリ」か。どこかしみじみした様子で頷いていた。先輩の幼馴染みと言っていたはずだが、その穏やかな表情からは慈愛のようなものさえ感じ取ることが出来る。
その傍らで、ぼろきれのようなスカーフを首に巻いた、上下真っ黒のスウェットを履いた少年はじっとビルを見上げた。
「……瀬川 沙羅の魂胆は分かる。時間が無い、打ち合わせを終えたら急ぐべきだ」
「えっと、ディル……さんですね。一体あの人は何をしようとしているんですか?」
僧侶ディルは、Tenmei本社を睨みつつ静かなトーンで答えた。
「セイレイ君……瀬川 怜輝を、世界の舞台装置に仕立て上げようとしてる。彼女の理想の配信を作ろうとしてるのさ」
To Be Continued……
【配信メンバー】
・盗賊noise
・魔法使いホズミ
・戦士クウリ
・僧侶ディル
・遊び人アラン
【ドローン操作】
・秋狐(白のドローン)
【アカウント貸与】
・Dive配信:雨天 水萌