【第百七話】瀬川 沙羅(2)
空一面を覆い尽くすモニターが映し出すのは、機械的な空間だった。
研究室と思われる、いくつもメモを書き記された付箋があちこちに貼られた空間。データ分析に用いられる無数のパラメーターが、ディスプレイに表記される。
そんな中、ガラス張りの、まるでカゴのような空間が大きく歪み始めた。
モニタリングを行っているであろう研究者の表情が一気に明るくなる。
『おお、いよいよお目に掛かることが出来るのか』
『時代が、時代が動く……!』
『早く所長に連絡を』
『今してます!』
慌ただしくなる研究室の中、空間の歪みはやがて空を泳ぐプログラミング言語を生み出す。それが徐々に形作るのは、一人の幼子だった。
床に着く程まで長く伸びた、漆黒の髪。くりくりとした大きな目が、周辺の状況を確かめようと忙しなく左右に動く。
『……くく。これは、何かな?一体、私をこのようなところに閉じ込めて何をしているのかな』
そんな長い黒髪を揺らした幼子は、何やら愉しそうに研究所の職員を見やる。
しばらくしてから、マジマジと己の全身を見てから、納得したように頷いた。
『ああ。君達が研究していた”ホログラムの実体化”というものか。なるほど、なるほど。確かにこれならば怜輝を救えるだろうな』
『……知って、いるのか?』
研究者の一人が、そう問いかける。
すると、黒髪の幼子は楽しそうに笑った。
『ふふっ、父は私の事など興味が無いよ。怜輝のことしか見ていないのさ。私が全部把握していることも、父は知りもしないだろう……しかし、驚いたな』
幼子は自身の身体を興味深く見下ろす。
それから、研究者へと質問を投げかけた。
『君達が、私を男性の肉体へと変化させるように仕向けたのかな?それとも君達の趣味かい?』
にやにやと好奇の目で研究者達を見下ろす幼子。だが、彼等も困惑した様子で首を横に振った。
『申し訳ない。恐らく不具合だと思われるが、詳細な原因は分からない……』
『なるほど、不具合か……しかし、私はどういう扱いとなるんだ?現実に瀬川 沙羅が存在している以上、イレギュラーも良いところだろう?』
その問いかけに、研究者達はお互いに顔を見合わせる。
煮え切らない様子の彼等に対し、幼子は呆れたようにため息を付いた。
『はー……どうにも君達は”その先”まで考えを持っていなかったんだね。データサンプルが欲しいんだろうけど、私にも自我が存在するんだ。君達には是非とも私の世話を頼みたいものなのだがね?』
『……分かった』
『賢明な判断、痛み入るよ。では、まず私の呼び方から考えようか?』
それから、その少年は物思いに耽るように顎に手を当てた。
ふと思いついたように、にやりと愉しそうな笑みを浮かべる。
『そうだな。"Digital Integrated Living Lifeform"……略して、"DILL"とでも呼ぶが良い。”デジタルに統合された生きる生命体”……という意味だ。偽物、らしいだろ?』
『……DILL――ディル、か』
『くく、そうだ。私……いや、それがボクの呼び名だ。よろしく頼んだよ、諸君。共にセイレイ君の命を救おうじゃないか』
ディルと名付けられた、その少年は心底幸せそうな表情で微笑んだ。
「こうして、世界にディルは生まれた……そして、魔災が起こったその日まで、彼の存在は世間から隠されていた。人の道を外れた存在だったからな」
「……ははっ、懐かしい思い出ムービーをありがとう」
ディルは皮肉染みた笑みを浮かべながら、ゆっくりと頭を持ち上げる。
「ディル君、動かないで!」
「……そんな訳にも、行かないよ」
しかし立ち上がるほどの力は無く、地面に手を突いて座るので精一杯だった。
それでも敵意を崩す事は無く、座り込んだままじっと魔王セージを見据える。
「……そうさ。ボクはセイレイ君たった一人を生かす為に、生まれた存在。いつか、総合病院ダンジョンの時にも言ったと思うけどね。まさかこんな形で暴露されるなんて思いもしなかったよ」
――セイレイ君は特別なんだ!この世界に活路を見出すたった1つの希望の光!!そんな彼を生かすことが!!活かすことが!!ボクが存在するたった1つの目的なんだ!!
かつて、ディルはそう言っていた。
俺を生かす為に、自分は存在しているのだと。
その時は、ただの妄言だと思っていたのに。まさか、本当に俺を生かすためだけに生まれた存在だったなんて。
魔王セージはディルを哀れむように見下ろした後、再び話を続ける。
今度は、一ノ瀬の方へと視線を向けた。
「少し、本題から逸れるが……一ノ瀬。先ほどの映像の中に、何か気になることはなかったか?」
唐突に投げかけられた質問に対し、一ノ瀬は考えるように顎に手を当てる。
「……女性として生まれるはずだったのに、何かしらの不具合によって男性の姿に――まさか」
それから、何か気付いたのだろう。目を大きく見開いて、静かに言葉を返す。
「さすがだ、話が早くて助かる。この不具合を仕様として活用したものが”金色のカブトムシ”だ」
「……!」
一ノ瀬は大きく息を呑む。突然足から力が抜け落ちたように、地面にへたり込んだ。
「実験用の装置として管理していたはずが、技術者の管理能力の甘さによって外部の世界へと逃げ出してしまった。そして、一ノ瀬がそれに干渉して女性の姿になった……と言う経緯だ」
「そんな、そんなことが……」
「我としても運営権限によって知った事実だったがな……船出は知っていたのではないか?」
魔王セージがドローンへと視線を向ける。しばらくすると、道音と思われるコメントがログに流れた。
[それを知ってどうにかなる問題なら言ったよ。でも、無意味にゆきっちをただ傷つける事実なら言わない方が良い]
「……先輩想い、だな」
[先生と違ってね。知らぬが仏、って言葉知らない?]
「生憎、我は魔王なのでな」
それ以上は、道音は何もコメントを残さなかった。静かになったチャットログから、道音が今どのようなことを考えているのかは皆目見当も付かない。
「……さて。話を戻すぞ。セイレイ、ここまで理解できているのならそろそろ分かってきただろう?」
「分からねえよ……」
分かりたくない。
知りたくない。
俺の本心を知ってか知らずか、その返答に魔王は呆れたように苦笑を漏らす。
「本当に理解が出来ていないのか、あるいは理解を拒んでいるだけか……」
『千戸 誠司……その口を閉ざして。それを言ってしまったら、セイレイ君は……』
ホズミの、敵意をはらんだ声音が響いた。静かに、淡々と問いかけているが……この場にいたなら、きっと魔法を連発していたことだろう。
「もう、ここまで知った以上全てを語るより他あるまい?さて、本題に入ろうか」
魔王セージは指を鳴らす。それと同時に空に浮かぶモニターに一瞬砂嵐のようなノイズが描画された後、再び過去の世界が映し出される。
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――何度も、脳裏を過った記憶の断片だ。
病床に伏した俺を取囲むのは、白衣を身に纏った研究員と思われる男性の姿。
『まだ、ホログラムの実体化は試験段階。何が起こるか分からないんですよ!?』
研究員の男性が説得を試みるのは、瀬川 政重――俺の父親だ。
親父は、説得を試みる研究員をちらりと見やった後、真剣な表情で首を横に振った。
『今このホログラムの実体化を行わないと、怜輝は死んでしまう!命を救うことが出来るのなら、俺はやる』
『でも……!』
納得が行かないと言った様子で食い下がる研究員。だが、親父の意思は固かった。
『ホログラムの実体化技術は、”希望の種”なんだ。もし、この技術が確立されれば、より多くの命を救えるんだ。その為にも、使わなければならない』
『それは社長のわがままも入っているでしょう!?何かが起こったらどうするんですか!』
研究員の男性は理性的だった。
明らかに、親父の身勝手な行動によって、ホログラムの実体化が行われようとしているのだ。
――もし、これがなければ、俺は……世界は。
もう、結末は変わることがないと分かっていても、俺は固唾を呑まずにはいられなかった。
『怜輝。死ぬな!!』
けたたましくモニターの音が鳴り響く。アラームの音は鳴り止む事も無く、警告灯が赤色に照らされる。
ワゴンが忙しなく行き来する音が聞こえる。
そんな中、ブーツの底が床を叩く音が、存在感を放ちながら聞こえた。
『……父よ。私が手を貸そう』
一瞬の予断も許さない状況の中、ブカブカの白衣を身に纏った、十もいかぬような幼い少女が姿を現した。
長く伸びた金色の髪を肩に乗せて、地面を擦らないように配慮しているようだ。どこか大人びた雰囲気を持った少女は、愉しそうにそう提案した。
突如現れた娘の姿に、瀬川 政重は目を丸くする。
『沙羅。お前、一体いつから……』
その問いかけに、沙羅はくくっ、と怪しげに笑う。
『なに。可愛い弟が死ぬかもしれないんだ。お姉ちゃんとして、命を助けるのは当然のことだろう?』
『お前に何が出来ると――』
『……ホログラムの実体化。あれを使って、お前らは私の分身を作りだしただろう』
沙羅がそう言うと、親父は目を大きく見開いて口を閉ざす。
刹那の静寂の後、ゆっくりと口を再び開いた。
『知って……いたのか』
『秘密裏にディルからデータを見せてもらった、技術の使い方なら心得てる』
『ディル?』
『私の意思から生まれた存在さ。母親にでもなったような気分だよ』
沙羅は、ぴくりとも動かない俺の頬を優しく撫でた。
『待っていろ、怜輝。全ての人々の意思を繋いで、お前をもう一度この世界に呼び戻す』
「……沙羅は、人工知能。すなわち”AI”を用いて怜輝の思考を再現した」
「全ての人々の、意思……」
俺は、徐々にその言葉の意味を理解し始める。
魔王セージは、ゆっくりと瓦礫に塗れたターミナル・ステーションを見渡しながら言葉を続けた。
「瀬川 沙羅自身の思考回路を軸として、インターネット上に溢れた、全ての人々の思考を切り取って、繋げる。そうして、擬似的に瀬川 怜輝の人格を完成させた……それが、セイレイ。お前のことだ」
「……俺が、姉貴と、AIによって作られた存在……」
沙羅+AI――だから、セイレイ。
「……はは」
なんと、ふざけた答え合わせだろうか。
だとすれば、魔災以前の記憶が無いことにも説明が付く。
俺は、魔災以前の瀬川 怜輝とは、同じではないからだ。
瀬川 怜輝の人格を模して作られた、全くの別人だから。
ディルが、瀬川 沙羅のコピーファイルである[瀬川 沙羅(1)]だとすれば。
俺の存在は、改良版の[瀬川 沙羅(2)]ということになる。
「……いつか、知らなきゃいけないことだったんだよ。でも、教えたくなかったな」
ディルは、悲しそうな表情でポツリと呟いた。
気付けば、俺の姿がホログラムの欠片となり、空に舞い上がっていくのが映る。
だけど、もうどうでも良いとさえ思えた。
「……皆、ごめん。俺、最初から偽物の勇者だった……」
俺自身だったものが、空に消えていく。
セイレイという存在自体が、初めから無かったかのように。
「セーちゃん、戻ってきてよ。僕達の所へ……!!」
空莉は、俺から零れ落ちるホログラムの欠片を懸命にたぐり寄せようとする。しかし、虚しくもそれは彼の手をすり抜けて虚空へと溶けていく。
見れば、クウリはその表情を涙と鼻水にぐしゃぐしゃに濡らしていた。
ごめんな、2回もお前から姿を消してさ。
へたり込んでいた一ノ瀬は立ち上がり、大声で俺を呼ぶ。
「おい!セイレイ、こっちを見ろ!!お前の居場所はここだろ……!?」
懸命に、彼女は声を張り上げる。
だが、俺はもう彼女の顔すら見ることが出来ない。散々、本心で向き合うことを一ノ瀬に求めておいて、肝心の俺自身がこんなことをしているんだ。
「セイレイ君!戻って来るんだ!君がいたから、俺はまた前に進もうって思えたんだ!」
ストー兄ちゃんが、声を張り上げる。
先ほどまで俺達と敵対していたのが、まるで嘘のようだ。両目に涙を浮かべ、必死に己の主張を訴えかけた。
……兄ちゃんは、真っ直ぐ進んでね。俺無しでも、進めるでしょ?
「セイレイ君っっ!!」
遠くから、聞き慣れた声が響く。
瓦礫を蹴飛ばして、みっともなく長い黒髪を振り乱して駆け抜ける少女の姿が視界に映る。迷彩柄の帽子が風に吹き飛ぶのも気にせずに、穂澄は俺の元へと駆け寄る。
ドローンの操作を雨天や道音に任せて、パソコンも放置して俺の元へとやってきたようだ。
「セイレイ君。ねえ、セイレイ君!?私のこと分からない!?ねえっ!?」
「……ほ、ずみ……」
もはや、まともに声を発することすら出来ない。
それでも、懸命に俺は魔災以降、ずっと寄り添い続けた幼馴染みに向けて手を伸ばす。
ホログラムの欠片となり、ボロボロになった手を穂澄は懸命に握る。
暖かい涙が、俺の手の上に零れた。
「やだ、なんで。なんで消えちゃうの、セイレイ君……!?まだ、戦いはこれから。魔王だって倒してない、世界だって救ってない!」
「……ご、めん……」
ただ、もう謝ることしか出来なかった。
最後にチラリと魔王を見れば、静かに目を閉じているのが見える。
――黙祷の、つもりか?
何かを問いただしたい気分だった。だが、魔王は静かに身を翻し、その姿を桜の花弁に変えていく。
「……これで、我の配信を終わろう。ではな、勇者よ」
「せ、かいは……消えは……し……な……」
魔王が姿を消すと同時に、俺の姿も完全に光の粒子と溶けて消えた。
自分の存在が希薄となっていくのを感じる。
遠くから、俺を呼ぶ皆の声が聞こえた。ドローンが映すホログラムから、忙しなくコメントログが流れていくのが遠くに見える。
だけど、俺はもうそのコメントをひとつも拾うことは出来なかった。
——自分という光の粒子が、どこに辿り着くのか皆目見当もつかない。
俺は死ぬのだろうか?そもそも存在しなかったはずの、勇者セイレイは。
セイレイは。
俺は。
一体、どこへ――。
[information
勇者:セイレイが永久離脱しました。
この配信者に関する情報は、全て削除されます]
To Be Continued……
【登場人物一覧】
・瀬川 怜輝
配信名:セイレイ
役職:勇者
元より存在しなかった、偽りの存在。




