神を信じよ
少し前――
「おばちゃん、ビールおかわり」
「こっちにも! 二人分ね!」
聖女の説法が始まると客たちの注文のペースも上がってきた。料理よりも利益率の高い酒の注文が多いのは店としてはありがたいが、酒を出すのは女将の仕事であるから、せっかく『降臨祭』での聖女の説法が店の中で見られると思っていた女将は踏んだり蹴ったりだ。
注文を受けて店に設置されている樽からビールを注いで客に出す。この繰り返しをかれこれ三十分も続けていた。さすがに手が回らなくなってきた。
「ボケッとしてないであんたも手伝っておくれ!」
苛ついた気持ちもあったろう。厨房からボーッと店内を覗いている店主に、ついきつい言葉を発してしまった。いつもはこれで喧嘩になってしまう。
が――今日は状況がいつもとは異なっていた。
「いや、でもよお前、これ見てくれ……」
そう言っている間にも目を離そうとしない。店主は相変わらず店内の一点を見つめていた。そういえば店内の喧騒もいつの間にか消えており、さきほどビールを注文した客たちも口をジョッキから離していた。店主と同じ方向を見つめている。
「何がどうしちまったんだい……?」
女将は持ってきたビールを客のテーブルの上に置くと、飲み干したジョッキを片付けながら彼らが見ているものを見た。店内におかれている鏡を。
すなわち、『聖女』の説法が映し出されているはずの鏡だ。
『世界を作ったばかりならともかく、安定した世界の神というのは存外ヒマでね。こうやって闘争を見ては楽しんでいるんだよ』
そこには、『聖女』ではなく、若く凜々しい一人の男性が映し出されていた。
女将はその男性に見覚えがあった。
いや、女将だけではない。おそらく、この世界に暮らす者すべてが彼の存在を知っていた。
この聖都ペイントンを――世界を支配する神だ。
しかし、神は今なんと言ったか?
客たちが囁き合っている。
「今の聞いたか?」
「ああ。人々を戦わせて楽しんでるとか言ってたぞ」
神と謎の赤いドレスを着た女の問答は続いている。
『つまりあなたは帝国と王国の戦いを煽り、そして今は『信者』と『異教徒』を分断して相争わせ、それを見ていて楽しんでいるというわけですか!』
『そうさ。神の楽しみのために死んだ者たちは殉教者だ。この上ない幸せな死に方じゃないか。そこに無駄のひとつもない』
店内の動揺はさらに大きくなる。
「どういうことなんだ? 神様は俺達を殺して楽しんでるって事か?」
「そんなはずないだろう。だって神様は信じる者に幸せと平穏を与えてくれるって聖女さまが」
「というか、聖女さまはどこに行ったんだ? この鏡は聖女さまの話を映し出すんじゃなかったのか?」
客のその声が聞こえたからではないだろうが、鏡に映し出される映像が切り替わった。白いローブを着た女性の姿に。
『神を信じなさい。神を信じるのです。惑わされてはなりません。誤った教えに耳を傾けてはならないのです。それは神に逆らうばかりか、その敵対勢力に力を与えることとなります』
「なんだよ……いつも通りの聖女さまじゃないか。安心したぜ」
客たちがほっとしたのもつかの間、別の客が違和感を覚えた。
「いや待てよ。おかしくないか?」
「何がだよ」
「よく聞いてみろ。聖女さまは誰を信じて誰に耳を傾けるなと言っている?」
「あぁ?」
客たちは新しい酒が来たことにも気づかず、聖女の話に集中している。
『私はこの五年間、ずっと語りかけてきました。神を信じよと。神はきっと私たちの願いを聞き入れてくれると。ようやくその日が訪れたのです』




