2011年3月11日 とある兵庫県民の備忘録
東日本大震災の時、僕は部活が終わって高校の駐輪場に居た。
それで友達の一人のマナベ君が突然驚きの声を上げたので、どうしたのかと聞いた。
「親戚の家が壊れた……」
てっきり近場の親戚の家が火事にでもなったのかなと思っていたが、どうも違うらしい。
彼の親戚は千葉に住んでいて、地震で家が被害を受けたようだ。
日本人にとって地震は脅威だが身近な物。
新潟中越地震、能登半島地震、東北内陸地震等の記憶が新しい僕は、失礼ながら対岸の火事気分で「お気の毒」と思った程度だ。
大方、古かった家が遂に耐え切れず崩れた物だろうと、いつもと同じ様に談笑しながら帰った。
家に帰ると祖母が夕飯の仕度をしていた。
居間のテレビは点けっぱなしで、やっぱり地震の速報をやっていた。
まあ大地震の直後なら普通の事だが今回は違った。
テレビに映し出されたけが人、死者、行方不明者の数が異様に多い。
そして映された津波の映像を見て、ここで初めて僕は思った。
「えらいことになっとる……」