Division point
冷え切った空気を内包する板張りの空間内で切り結ぶ二つの影があった。
照明は無い、ただ月明かりが照らすのみの室内。
踊るように、楽器を奏でるように。
重ねられる剣戟は火花散る幻視さえ呼び起こすほどに苛烈だった。
片方の影――年長の男は色素の抜けきった白髪を振り乱しながら、凄烈なる一撃を振るい続けている。
室外から差し込む僅かな光を映して閃く刀身と一体になり、さながら稲妻の化身ともいえるほどの風姿。
それを受けるのは一見して何の特徴も持たない少年だ。
黒々と艶のある毛髪、長い前髪の間から覗く相貌は虚ろに闇ばかりを映している。
それはまるで暗がりに潜み獲物に飛び掛かるその瞬間を見定める狡猾な獣のよう。
襲い掛かる刃の嵐を最小限の動きで受け流しながら、少年はその時を待っていた。
あまりに対照的な二人のその印象とは裏腹に、それは本来一つの現象であるかのようでもあった。
陰と陽、光と影。
相反する二つのものはしばしば一組のものとして扱われる。
こうして刃を交えていることは本来は起こり得ない事。
分かたれた半身同士が失われたものを求めあうような、矛盾した営みだ。
何人たりとも立ち入ることを許されない剣の聖域が形成されていく。
吹き荒ぶ風を避けることが出来ないのと同じことだ、近寄れば誰一人として無事では済まない。
剣を振るうこの二人が、剣舞を織りなす者だけがそこに在ることを許される。
それでさえ動きを止めれば即座に全身を寸断され命が果ててしまうような危険を伴っている、剣の頂とも言うべき領域に他ならないものだ。
一合二合と積み上げられていく鋼の衝突はもう百を超えている。
響き渡る金属音が悲鳴に似て、限界が近いことを告げている。
撃ち合うほど、時が過ぎるほどにその一刀に込められる力は減じていく。
戦いとはそういうものだ、だからこそ初太刀から全霊を込めて振るわねばならない。
雲耀という言葉で表されるその速度はまさに稲妻の走りを表すもの。
未だその勢いを保ちはすれど、その衰えは少年の眼にはっきりと確かめられていた。
寄る年波には勝てぬもの。
白髪の男はそれでも今なお当代最強と謳われる傑物である。
体力的にも十分に現役を続けられる、ましてやその剣の冴えとなれば並ぶものなど在るはずがなかった。
しかし、少年がその剣をものともせず、じっくりと息が上がるのを待っているのもまた事実である。
万が一にも相打ちとなる愚を避けるように、静かに冷徹にその時を待った。
勝利は既にその手の中にある。
攻め手を打たず、受け太刀を繰り返す少年の立ち回りはそう宣言しているのと同義だった。
「――ッ!」
白髪の男が打って出た。
一息のうちに三度、刀が振るわれる。
喉を狙った突き。
胴を薙ぐ払い。
そして頭頂部から体を両断せんとする振り下ろし。
少年はその全てを分かっていたかのように素手で払い落とした。
渾身、裂帛の気合いを持って放たれた連撃だったにも拘らずだ。
驚愕に見開かれる白髪の男の眼は一瞬輝きを失って硬直し、すぐにまた光を宿す。
再び炯々と敵を見つめ、一度距離を置いた。
人身画竜の型
今しがた放たれた連撃にはそのような名が付けられている。
神速をもって放たれる三連撃は回避することのできないものであるはずだった。
受け太刀を試みようものなら刀ごと切り飛ばすことさえ可能だっただろう。
それを初見で完璧に受け流すなど、あってはならないこと。
一族に伝えられる唯一の型を破られたという事実は勝負が決まったことを意味していた。
命を失わぬまま、その存在価値だけを奪われるという最も屈辱的な形の敗北だ。
誰よりも強く、尊き血を受け継いできた己の有様こそが人生の全てだった。
そうあることで保たれてきたものがある、それを守る事でしか自分を表現することが出来なかった。
だからこそ宝剣神薙を受け継ぐ者として、望まれたままの最期を迎える必要がある。
一族にこれ以上の繁栄は無いのだから、せめて最後の時までは。
白髪の男を突き動かすのは胸の内にある諦観とも希望とも言えぬ想いだ。
「悪鬼はここで滅ぼさねばならぬ――覚悟せよ」
白髪の男が言う。
凍えるほど冷えた大気に異様な圧力を纏い始めている。
鬼気迫る表情の敵を見据え、少年は何かを悟ったようだった。
こうして剣を交えているのだから、悪鬼というのが自分の事を指しているのは当然のこと。
そしてその言葉が意味するものが、長い修行の末に収めた自らの剣に対しての評価であることも。
必要とされるものは、敵の打倒を成す力だけではない。
剣の腕によって身を立てようとするのならば、そこに品格を見出そうとするのは人の常だ。
ただ強くあっただけ、誰よりも強いのに名声を得ぬままに最期を迎えた剣豪など数えきれないほどいただろう。
権力者に取り立てられた者は勿論強くはあっただろうが、そうならなかった者との違いは剣の腕とは何ら関わりのないところにしかない。
自らの師がそんな余分なものに気を取られて本分を見失うほど愚かだとは思えないが、権力者たちとのしがらみの中で純粋な剣としての在り方が損なわれてしまっていることは明らかだった。
為すべきことに対して回り道が過ぎるのだと、少年は思う。
それは自らを害するものが決して研鑽を積まぬ悪であることを前提にした治世の在り方である。
大儀無き敵、あるいは欺瞞に身を委ねるような烏合の衆が相手であればそれも悪くは無いだろう。
だがしかし、少年がこの時予見していた敵は他者のために自らの命を投げうつのを厭わないような大義ある敵の台頭である。
斯様な敵の出現に対して、自らの主が行う施策はあまりにも脆弱だった。
自らの正義に仇為す者を悪と断じるのは稚拙、神ならぬ身で何かを守り抜こうとするならば品性など捨て去ってしまえ。
そう考えていた。
もっとも、それが認められないのが当然であることも分かっている。
この世が不条理に塗れている限り人の心を前に道理を説く意味などない。
回り道をして、宥め賺すように治めていくのが正道だ。
そうしていくためにどうしても必要になるのが単純な武力というのも皮肉なものだが。
「お請け致します。いざ、尋常に――」
少年は納刀する。
事此処に及んでも攻勢に転ずること無しと、白髪の男は受け取った。
速度に秀でる抜刀の技にて後の先を取る腹積もりであろうと。
それが誤りであることを知る由もなく、再び自らの流派に伝わる唯一の型を放たんと構える。
次なる一刀こそ必殺とならん、そう考えていた。
しかし――
先に動いたのは少年の方だった。
完全な間合い外からの抜刀。
その一撃は空を斬るだけのものになるはずだった。
だが
「くッ……」
次の瞬間には刀を握る手の骨を砕かれていた。
少年が見せた構えは抜刀術などではなかった。
収めた刀を鞘ごと振り抜き、飛ばした鞘で敵を打ち据える外法の技であった。
剣技のうちに含めることが憚られるような、卑劣なる一撃だ。
尋常なる勝負において用いてはならないであろう醜悪な技術による決着。
これをもって少年は完全なる決別の意思を示すこととなった。
「皆伝の証として御首頂戴いたします――お覚悟を」
振り上げた刀を見上げる白髪の剣豪の頬には一筋の涙があった。
それが門弟のうちから出でて自らを凌駕するに至った弟子への感情の発露であるのか、あるいは自らの力不足を嘆いたものであるのかは誰にも分からない。
それが何であるにせよ、少年の決意は変わらない。
今ここで断ち切るべき因縁を取り除くべく、刀は振り下ろされた。
暗闇に沈む瞳に僅かな光が宿った日、静かな夜のことだった。
アクションシーンとしてお楽しみいただければ幸いです。
長尺のシーンを描く練習をしたいので気まぐれに加筆するかもしれません。
(うぉぉがおぉと戦う場面を長々と書きたい気持ちは強いのです)
もし面白いと感じていただけましたら本編のアストラルフレームLost throneの方もお読みください。