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(4)昭和55年① カバラのバカ

牧雄の父親は短気でギャンブル好きで酒好きだったが、彰子の祖父はそれ以上に頭に血を上らせやすく喧嘩っ早かった。

ただギャンブル好きではあったが牧雄の父親ほどはのめり込まず、酒も日本酒1合、時には2合で晩酌する程度だった。


溶接工としてはベテランで腕も良かったはずなのに、若くて未熟な工員は誰も従いてこなかった。

牧雄の父親のような中堅以上の工員と組んで、鉄工所として重要な部類の客先からの注文の品を作っていた。


牧雄と彰子は小学校に入学し、同じクラスになった。

祖父は彰子のことをひどく可愛がっていたから、ランドセルも学習机も学用品もとびきり上等なものを買い与えた。


祖父は彰子のことを大切にするあまり、彰子を誰かがいじめた、という話を耳にしたときなど相手の家に怒鳴り込んだりもした。

けれども病弱でよくいじめられていた彰子は、祖父のそのような行動でますますいじめられるようになった。


だから普段の彰子を守る牧雄の仕事は、ますます増えていった。

そして、当然のことながら牧雄も一緒にいじめられた。


どういうわけか、担任の先生もいじめられる牧雄や彰子に味方してくれなかった。

その先生は羽原という名字の中年の男の先生だったが、上級生たちは陰でカバラと呼んでいたようだ。


確かに、カバのような顔つきをしていた。

バカラと呼ぶ子供も多かった。


やがて1年生たちもカバラとかバカラとか呼ぶようになったが、とにかく子供たちからは嫌われていた。

学校で一番嫌われていて、どの子供もみんなバカラに受け持たれたくないと思っていた。


不人気なのにはそれなりの理由があった。

それはお気に入りの子供に対するえこひいきが露骨なことと、1年生の子らにも容赦ない体罰だった。


ひいきという面では、山田という男の子を特に厚遇していた。

当時の牧雄たちが知る由もないが、山田は国立の附属幼稚園から附属小に上がれずに地域の小学校への入学を余儀なくされていた。


家は地主で建築業もしていたが、母親が極端な教育熱心で山田は都心の進学塾に通わされていた。

母親は学校の内外問わず、バカラに対して色々と働きかけをしていたフシがある。


何かと付け届けもしていたようだ。

山田は家庭訪問の時期や夏休み前、冬休み前にクラスの皆んなに自慢することがあった。


「うちのママ、羽原先生に今度もこんだけビールのタダ券をあげたんだ」


親指と人差し指で厚みを表現して見せたが、おそらくは誇張だろう。

しかしビール券を渡したことそのものについては嘘だという証拠はないし、事実だろう。


そしてバカラが嫌われていたもう一つの理由、体罰。

1年前まで幼児扱いされていた1年生の子供たちに対してすら、平手打ちやゲンコツを与えた。


しかもバカラの虫の居所が悪いときなどは、こじつけの理由で雷を落とすことも度々だった。

子供たちはみんな怯えていたが、山田だけは体罰を受けることなく、むしろバカラから模範生扱いされていた。


ある冬の日、彰子を巡ってこんなことがあった。

彰子は、病気で1週間ほど休んでからの登校だった。


体育の時間のことだった。

彰子は見学を申し出た・・・それは連絡帳にも祖父により書かれてあったことで、彼女は祖父から言われたとおりにしただけのことだった。


バカラはそこで怒りを露わにした。

クラスの子供たちが並ぶ目の前で、彰子を平手で打った。


彰子は横ざまに飛ばされた。

飛ばされた先で転がったまま、立ち上がれなかった。


いくら牧雄でも、バカラに立ち向かって止めようということなどできなかった。

整列していた子供たちは恐怖で、身を寄せ合っておしくらまんじゅうのように固まった。


「日頃から体を鍛えないから、病気なんかするんじゃぁ!」


バカラは怒鳴りながら彰子を立たせ、今度は反対方向へ平手で打った。

また彰子は飛ばされた。


「立つんだ、こらぁ! なんだこの弱虫!」


なんとか立ちあがった彰子だったが、バカラは体育の授業に参加するように命じた。

体操服は持ってきていなかったから、通常の服装で。


牧雄はバカラに対して、何もできない自分が悔しくてならなかった。

どういうわけか知らないけれど彰子は日頃バカラから目の敵にされていて、いじめっ子から彼女を守っていた牧雄のことも良く思っていないだろうとは彼自身感じていた。


相手が同年輩の子供だったら、彰子に代わって反抗できたかもしれない。

しかし相手は背丈も力も勝る上に、担任教師という絶対的な存在だ。


少しでも刃向かえばただでは済まず、ひょっとしたらさらにまた彰子に累が及ぶかもしれない。

泣きたくても泣けないまま、牧雄も体育の授業として校庭をむやみに走らされた。


そして彰子は体調を崩してしまい、放課後は牧雄が肩を貸すようにして帰った。

ただでさえランドセルは重いのに、彰子の体重もあってふらふらとよろめきながらの帰宅。


それなのに山田の取り巻きたちがふたりの周囲につきまとい、牧雄を小突いたり蹴ったりする。

山田は背後から従いてきて楽しそうにそれを眺めるだけ・・・彼は自分では手を下さず、取り巻きたちにやらせて見物するのが常だった。


団地の入り口からは彼らもふたりから離れ、そこからは長い道のり。

冬の陽はだいぶ傾き、もつれ合うふたりの影を雑木林の木々の影の間に映し出す。


誰か大人が通れば助けてもらえたかもしれないが、生憎と人も車も通りかからない。

それでも公社住宅に着き、部屋まで階段を登るのが最後の関門。


ようやく牧雄のうちに彰子を収容し、押し入れから布団を引っ張り出して彰子を寝かせた。

彰子に布団を被せると牧雄も疲れ切ってしまい、何も被らず寝てしまった。


寝ている間に夕方となり母親が仕事から帰ってきて、そこからがまた一騒動だった。

仕事中のところを母親から電話で呼び出された彰子の祖父は、車を飛ばして帰ってきた。


事情を牧雄から聞くと祖父は、まだバカラが学校にいるかもしれないと怒鳴り込みに行ってしまった。

牧雄は泣きながら母親に悔しさを打ち明け、母親は「悔しいけど、よく我慢した」と牧雄を抱きしめながら頭を撫でてくれた。


結局、バカラはすでに帰宅したあとで、彰子の祖父の怒鳴り込みは不発に終わったようだ。

しかし祖父が学校を訪ねて来たことはバカラの耳にも入り、それがさらなる事件を呼ぶこととなった。

こんな教師、実在しました。というか、私の小1のときの担任がモデルです。

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