(2)昭和52年 彰子との出会い
彰子が祖父と共に牧雄たちのの向かいの部屋に引越してきたのは、保育園の以上児クラスに上がったばかりの春だった。
それまでは繁華街に近い下町に住んでいた。
どのような理由で引っ越してきたのかは、まだ小さい牧雄は知らなかった。
教えられても理解できなかっただろうけど。
ただ、彼女が母親から捨てられたこと、祖父が彼女を押し付けられたことはだいぶ後になってから追い追い知ることになる。
それよりも牧雄にとっては、同い年の遊び相手が向かいの部屋にいることがただ普通に嬉しかった。
なにしろアパートは公営住宅に準ずる造りで、5階に通じる階段の両側に1部屋ずつ配置されていた。
親しい近所付き合いといえば、向かいか上下1階ずつの部屋くらいのもの。
天気のいい日に公園に行けば子供たちが集まって遊んではいたが、結構年長の子供も多かった。
保育園の年少児にしてみれば、小学1年生ですらとんでもなく年上のお兄さんお姉さんに見えてしまう。
引っ込み思案で気の弱かった牧雄は、母親と一緒であっても公園に近寄るのが怖かった。
だから、一人遊びが多かった。
そんな牧雄にとっては、彰子が生まれて初めての友達と言える存在だったかもしれない。
保育園には牧雄の母親の送り迎えで一緒に通ったし、保育園でも自由遊びの時間はほとんどふたり一緒に遊んだ。
彰子の祖父と牧雄の父親は鉄工所の同僚ではあったがそれ以上に競輪仲間で、休日は連れ立って競輪場かさもなくばパチンコ屋で一日中過ごしていた。
その間、彰子が自分のおもちゃ箱を持って牧雄の家に遊びに来て一日中遊んで過ごした。
おもちゃといっても、人形やままごと道具だった。
それも、彼女の祖父が間に合わせで街の玩具店で買い揃えたものだったようだが、牧雄はあまりよく覚えていない。
男の子の遊び、女の子の遊びといった区別もまだ曖昧な年頃で、牧雄は違和感なく遊んだ。
時には、家事がひと段落した彼の母親も加わった。
牧雄の家には絵本や図鑑の類がたくさんあった。
着せ替え遊び、ままごと遊びに飽きたら、なんと書いてあるかわからないままに眺めたり、母親にせがんで読んでもらったりした。
そんな時は、双子のように並んで肩をくっつけ合っていた。
本当のきょうだいのように、触れ合っていた。
しかし、彰子は病弱だった。
それこそ一年中、体調を崩していた。
顔は青白く、胴も手足も細かった。
医師からは「成人まで生きられないかもしれない」と言われたこともあったらしい。
急な気温の変化とかで簡単に風邪をひき、一旦風邪をひくとすぐに悪化させた。
風邪をひいて保育園に預けられなくなっても、祖父は仕事を休めない。
時には弁当工場で働く牧雄の母親が休んで家で預かることもあったが、だいたいは祖父が鉄工所まで子連れで出勤した。
そのような時は、彼女は事務所の隅に置かれた籠の中で過ごしたようだ。
事務所には常時、社長の奥さんがいて経理や事務にあたっていた。
幸いなことに子供好きで手が空くと面倒を見てくれたようだが、大部分の時間は彰子は独りで取り残されていた。
彰子が保育園を休む間、牧雄も保育園でひとりぼっちだった。
しかも何人か粗暴な子がいて、牧雄は格好の標的になった。
遊んでいたおもちゃや絵本を取り上げられて、しかし保育士は他の子たちに気を取られてそれに気づいてくれなかった。
いや、粗暴な子たちは小さいなりに狡猾で、保育士の目を盗んでそのような行動に出ていたのかもしれない。
そんななか、ひとつの「事件」が起こった。
その日、彰子は1週間ぶりに登園してきた。
部屋の隅っこで、ふたりはブロックを積んでお城のようなものを作って遊んでいた。
そこへ、いつもの粗暴な3人がやってきて、ふたりが積んだブロックを足で蹴って崩してしまった。
牧雄は彼らとは目を合わせずに、ただ崩れてしまったブロックを見やりながら彰子を連れてその場を離れようとした。
それが、彼なりに得た「処世術」・・・波風立てず、逆らわず、長い物には巻かれろ・・・だった。
けれども彰子は3人を黙って睨みつけると、崩れたブロックをまた積み始めた。
3人のうちのひとりが面白がってすぐにまた崩す。
彰子はまた3人を睨みつけ、積む。
また崩される。
なおも彰子はむきになって積む。
やっぱり崩される。
何度目かに崩されて、そこで牧雄の癇癪が爆発した。
彰子が大切に積んだブロックを崩されるのが堪えられなかったし、黙ってブロックを積み続ける彰子が理解できなかった。
奇声を上げて泣いていたことを彼は覚えている。
泣きながら、3人に飛びかかった。
3人のうちのひとりに掴みかかろうとしたが、目標を誤って別のひとりに体当りする形となってしまった。
しかしそれでじゅうぶんだった。
体当りされたひとりは、いとも簡単に転がっていった。
転がって止まった先で、わあわあ泣き出した。
騒ぎに保育士がふたり、駆け寄った。
彼女たちの目には、牧雄が唐突に暴れだしてひとりを投げ飛ばしたように見えたらしい。
彼は叱責されたがそれは小さい彼にとっては、あまりに理不尽なことだった。
大人だったら落ち着いて弁明できたかもしれないが、彼はただ3人組を指さし涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き叫ぶばかりだった。
もう保育士たちは、どっちが正しいかはどうでもよくなったようだ。
牧雄と彼に転がされた子とのふたりを宥めるのにいっぱいになり、その「事件」は有耶無耶にされた。
その間に彰子は黙々と積み木を重ね、壊される前よりも立派なお城を作った。
ようやく泣き止んだ牧雄に、彰子ははにかむように笑いながらそれを見せた。
ただ、彼がしたことは決して無駄ではなかったかもしれない。
なぜなら牧雄たちに「危害」を加えようとした3人は、その後はあからさまにふたりにちょっかいを出してくるようなことは無くなったのだから。
その3人それぞれのその後を、牧雄は知らない。
ひょっとしたらなにかの都合で途中で退園したかもしれないし、あるいは卒園まで一緒にいてその後も同じ小学校、中学校に通っていたかもしれない。
小さい子供の小さい世界のことだったし、その後に開けた世界はもっと大きかったから相対的に小さな「大事件」となってしまったもののように思われる。
ただ、彰子は当時は無関心なようでいながらその「事件」のことを牧雄よりも詳細に覚えていて、むしろ牧雄のおぼろげな記憶が彰子から「コピー」された記憶で補完された部分は大きい。
それは、その時に確定した「小さくて弱い彰子を守る牧雄」という関係を、彰子自身が強く意識していたからかもしれない。
実際、小学校になって保育園よりもさらに雑多な属性を持った大勢の子供たちの集団の中では彰子は虐められたが、それを牧雄はときには全力を尽くして守ったから。
いつもいじめられている彰子をかばう牧雄は、より一層の仕打ちを受けた。
しかし牧雄は、決して彰子を見放そうとしなかった。
彼女は誰かが守ってやらなければ、もろくこわれてしまいそうな実に弱い存在に彼には思われた。
そんな彼女を守ることにより、彼の幼い心の中にも、少なからず誇りというものが芽生えていた。
けれども彰子は決して弱いだけの子供ではなかった。
それは、何度ブロックを崩されても相手を黙って睨みつけ、またブロックを積むという行動に現れていた。
彰子は、芯が強かった。
それだけでなく、優しくもあった。