(14)昭和61年② 牧雄のヰタ・セクスアリス
中学生になってから、1か月が過ぎようとしていた。
太陽は高く昇り、気温は日に日に上がり、木々の緑もますます濃くなってきた。
牧雄たち男子生徒たちも首の周りがなんとなく窮屈な感覚の抜けない詰め襟の学生服にしばしの別れを告げて、白さが眩しい中間服の白いシャツに衣替えした。
女子のセーラー服も、白いシャツとジャンパースカートの組み合わせに変わった。
正直なところ、牧雄は彰子の冬服のセーラー服姿がとても気に入っていた。
入学式の日、学生服の牧雄とセーラー服の彰子は久しぶりに肩が触れ合うくらい接近して並んで写真を撮った。
普段は飲んだくれて荒くれている父親が珍しく上機嫌で、めったに出したことのないコンパクトカメラで撮ってくれたのだ。
彰子もはにかみながら上品ぶって、牧雄と一緒に写真に収まった。
出来上がった写真はほとんどがピントや露出がズレていたのだが、何枚かはきれいに鮮明に撮れていた。
その中でもふたりが特に接近して触れ合った一瞬を切り取ったような一枚は、とりわけ鮮やかに撮れていた。
緊張して直立不動で突っ立っている牧雄に対して、彰子はなんとなく牧雄に体を寄せるようにしてちょっと首を傾げて眩しいくらいの微笑を向けて、たまたま流れた春の微風が彼女のスカートの裾を軽くふんわりと浮かせていた。
牧雄はいい表情をできなかった自分を恨んだが、しかしその1枚を一生の宝ものにしようと思った。
その1枚は、本当に奇跡の1枚だったと思えた。
なぜなら、その後も彰子は牧雄に対して他人のように振る舞ったからだ。
一方で中学生になってから牧雄は、彰子に対する想いを日毎に募らせるようになった。
朝起きると彰子の事を想い、夜寝る時も彰子の事を想う・・・まさに寝ても覚めても、という状態だった。
彼は日に日に強まる彰子に対する思いは、混じりけのない純粋なものだと自分で思っていた・・・いや、思いたかった。
小さい頃から彰子と一緒に遊び、時には彼女を守ってきた・・・家族同然というよりも家族よりも強い絆で結ばれているから彼の心は彼女の虜となり、惹かれているのだと。
けれども遅ればせながら牧雄も思春期を迎えており、彰子に対する想いに性的なものも絡んでくるのをどうしようもできなかった。
彼は彰子をそんな目で見てしまう自分が、とにかく嫌だった。
もともと彼にとってセックスというものは、不道徳で汚らわしい行為のようにも思われていた。
それは、酒に酔っては母親の体を求める父親の姿を幼い頃から傍で見てきた事も関係しているだろう。
だから、ついつい彰子を性的な目で見てしまう自分を嫌悪すらした。
それでもどうしても、邪な心を抑え込む事はできず、抑え込もうとすればするほど、それはより強く噴き上がってくるのだった。
登校時、前を歩く彰子のふっくら盛り上がったお尻を眺めながら、彼女の裸の後ろ姿を想像しながら歩いたりした。
男女別の体育の時間、校庭の反対側の女子たちの一群の中に彰子の姿を素早く見つけ、白い体操服の胸の膨らみ、紺色のブルマーが見せる体のラインを盗み見したりもした。
毎日のように彰子とのセックスを夢想し、しばしばそのイマジネーションを脳内で一杯に膨らませて自慰に耽る事もあった。
夜寝る時は、彰子とふたりだけで楽園に遊ぶ空想をしたりした。
ふたりだけの楽園・・・そこは一年中夏の無人島で、小さい小屋かテントの中でふたりイチャイチャしていた。
あるいは一糸まとわぬ姿で太陽の下に出てお花畑でバドミントンしたり、白い砂浜で波と戯れたり。
そんな空想をしながら布団の中で丸まっていると大抵は楽しく安らかな思いで眠りに落ちたが、どうかすると悶々としながらいつまでも眠れない時もまれにあった。
そしてそんな事を思いながら眠りに就いたからかどうか、翌朝に彰子と裸で絡み合う夢を見ながら夢精することもあった。
自分の心は汚れきってしまっていると気に病み、そんな心を洗って磨ける粗目のスポンジみたいなものが無いものかと悩んだりもした。
朝から晩までムラムラしている自分が許せなくて、気が狂ってしまいそうだった。
愛(もしくは恋)と性とは水と油のように互いに異質で交わらないものだという、思いは根強くあった。
純粋で美しい愛や恋と、その対極にある不純で醜い性と。
どうしても恋愛の側にいたいのに、そこから彰子を無垢な目で見ていたいのに、性の側から脚を抜け出させる事のできない自分がそれを邪魔した。
心はふたつに引き裂かれそうで、ひたすら山田たちに虐められていたときとは別種の地獄に生きている思いだった。
そんな時、図書館に置いてある国語辞典でひとつの悟りを得た。
その辞典で【恋愛】を引くと、「特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。」とあった。
牧雄にとっては、ひとつの衝撃だった。
世の中のあらゆる物や事の意味を定義する国語辞典は確かに、恋愛について『出来るなら合体したいという気持』を肯定していた!
決して自分は異常でもなんでもなかったんだ、むしろ当たり前の気持ちを持っていたのだ・・・その思いは牧雄の心を救った。
だいぶ肩の荷が下りた気分になった、中学1年生の4月だった。
ゴールデンウィークの前後にもうひとつ、彼にとって衝撃的な経験があった。
小学校時代から引き続き図書委員になった彼は、表の書架から外れたいわゆる閉架図書が収められている書庫の掃除をしていた。
そこで、何気なく手に取った一冊の本。
中学生が読むにはまだ幾分難しい、戦後日本文学を収めた全集。
その中にあった、吉行淳之介の『砂の上の植物群』・・・牧雄は、なんの気無しに手に取っただけだった。
しかしそこに描かれた世界は、1か月あまり前まで小学生だった牧雄にとっては刺激が強すぎた。
行きずりの処女との交わり、緊縛、そして近親相姦を思わせる展開。
本を開いたまましゃがみ込み、それまでにないくらい固く膨張した自分の性器をズボンの下に意識しつつ、時間も忘れて読み耽った。
時間的な制約もあり細切れにしか読めなかったが、短い時間を作っては毎日、書庫へ通った。
そして生々しい小説の一節を心に焼き付けて家に帰っては、夜ごと布団の中でそれを反芻した。
あるいは、例えば裸の彰子を縛る様子を空想したりして、けれどもさすがに罪悪感に苛まれたりした。
そういえば重要な登場人物・・・主人公に処女を奪われる女子高生の名前が、字こそ違えど明子という名前だったのも、彼を興奮させもし、そして苦しめたりもした。
そんなふうに少しずつ読み進めていたある日の下校時、後ろから「マキオ〜」と声を掛けられた。
彰子だった。
彼は学校ではあだ名ではなく呼び捨ての名前で呼ばれていたが、彰子までもがそうだった。
公社住宅に続く一本道の後ろから、彰子がひとり彼の後を追ってきていた。
「なんだい! 気安く呼びやがって」
わざと乱暴に答えてみせたが、心の中では彰子に声を掛けられた事そのものが嬉しかった。
この頃ドロドロと混沌としていた胸の奥底に、澄んだ輝きの光明が射したような。
彰子は重そうな白カバンを「よいしょ」と肩に掛け直しながら、牧雄に並んだ。
牧雄も、彼女の歩みに合わせて公社住宅への道を再び歩き始めた。
「マキオ、今日は早いね」
「ううん、いつもこのくらいだよ。それよりアキちゃんこそ遅くない?」
「バスケ部の見学してたんだ・・・。入るんだったら、そろそろ決めないと・・・」
「ふうん・・・バスケかぁ・・・」
「でも、やっぱり入らないかも。バスケ部って、親の役目も多いから・・・遠征とかもあるし。うち、お祖父ちゃんがそんなのに対応できないし・・・」
初夏を思わせる風は爽やかで日差しも穏やかだったが、なんだか湿っぽい話になってしまった。
それを自分で感じたのか、彰子は話題を変えた。
「それより、ねぇ、ウッチー、どう? ・・・英語の内野先生」
「すごいピョコピョコしてるよ。そっちでも?」
「うん、すごいアクセント付けて英語しゃべるよね。あんなんで本当にアメリカ人に通じるのかなぁ」
そんな他愛のない会話をしながら歩き、牧雄の心は有頂天だった。
しかしふたり並んで歩いていくという事は、終点まで一歩一歩近付いているという事でもあった。
終点より先にさらにふたりの世界が開けているわけでもなく、この幸せな時間を引き延ばそうと歩みを遅くしてみせるが、そうすると彰子が先に進んでしまう。
あわてて追いつき、しかしついつい横目で彰子の胸のあたりを見てしまう。
そんな邪な事をしているからかあっという間に公社住宅まで着いてしまい、それぞれの家の入口の前で「じゃぁね」と別れた。
牧雄は鉄の扉に背中を持たせながら、彰子との幸せな10分足らずの間を思い出し、心の中で幾度も噛み締めていた。
【恋愛】の語釈については、「第三版 新明解国語辞典」に拠りました。




