(12)昭和60年② 朝顔の花が咲いた朝
6年生になり、またも牧雄は彰子とは別のクラスになった。
彰子が他の女子と共有する時間はますます増えていき、牧雄との時間はどんどん減っていった。
山田とも別のクラスになったのはせめてもの幸いだったが、あいも変わらず山田は手下の子供を使って牧雄に攻撃を仕掛けてくる。
山田の手下は牧雄のクラスにもいたのだから。
山田たちのグループは、雑木林の中の小屋を拠点に悪さを重ねていた。
その小屋のある一帯の雑木林は山田の家の土地だと牧雄が知ったのは、その頃だった。
「地主の許可無く立ち入りを禁ず 許可なく立ち入れば不法行為として訴えます」
小屋へと続く道の入口に立ててある看板は牧雄のような子供にも物々しさを感じさせたが、山田の家の土地と知ってからは気味が悪く見えた。
大人にとってもその看板の効果は絶大だったようで、誰もそこへは立ち入らなかった。
それには山田の家が絡む特殊な事情もあった。
山田の家はもとは田んぼや雑木林ばかりだったその地域の地主で、もとからの住民は山田の家の小作人から独立した家が多かった。
地主と小作人という主従関係が公的には否定された戦後になっても、山田の家は影響力を持ち続けた。
昭和30年代になって市街地化がその地域にも及ぶと、山田の家は土地を買い戻しては住宅地を求める個人や法人に転売していった。
しかも建設業にも手を出して、田んぼを潰し雑木林を切り開いて宅地を造成した。
山田の家のおかげで生活している家も多く、地域の大人たちは山田の父親や祖父に媚びへつらったり、あるいはコソコソと逃げ隠れるように行動していた。
断片的に耳に入ってくる子供たちや大人たちの噂話や陰口を総合する形でその事情を知って、牧雄は合点がいった。
いつぞやの集金騒動に際しての保護者会で一度は山田に向きかかった非難が、警察も駆けつけるほどの騒ぎになったのになぜ早々と鎮火してしまったのかと。
結局山田は不問にされ、表向き一度は解散したグループも程なく再結集したのだ。
そしてグループは、ちまちまとした悪事を重ねていった。
例えば、民家の勝手口に出してあるビールや酒の瓶を勝手に持ち出して酒屋に持ち込んで換金したり、独り暮らしの老人の家に遊びに行くと言って集団で押しかけて小金をせびったり。
集金騒動で懲りたのか、いずれも警察に通報されないギリギリのレベルに留められていた。
けれども大人たちは陰で、山田たちグループのことを噂しあっていた。
地域の中で札付き扱いされていることを知らないのは、本人たちとその保護者たちだけだった。
学年の中で特に山田たちのグループから狙われた子供たちの中のひとりが牧雄であり、そして再び同じクラスになった三井もまたそのひとりだった。
しかしその三井は6年生に進級するあたりから、急に垢抜けて小ざっぱりするようになってきた。
ボロは着ていても汚れは以前ほどではなくなったし、髪もボサボサのままという事がなくなった。
生ゴミみたいな体臭も、気にならなくなってきた。
しかし牧雄は他の子供から聞いてしまった。
深夜の公園の水飲み場で人目を避けて、水を停められたので水汲みに行ったついでにパンツひとつになって服を洗って体を拭いているという噂を。
牧雄は三井に対して、「けなげ」とはこういう事かなとぼんやりと思った。
そう言えば以前なら虐められると全力で反発・・・時には暴力に訴えてまでしていた三井だったが、すっかり大人しくしおらしくなった。
牧雄は三井に対して彰子よりも先に異性を感じたのかもしれないと、だいぶ後になってから考えるようになった。
だからと言って三井では彰子の代わりになどならないくらい、牧雄にとっては彰子が大切な存在に違いはなかった。
けれども彰子の心は、ますます牧雄から離れていくような感じさえした。
それは何かあると牧雄の胸の奥底から湧き上がる、恐怖や焦りや寂しさを伴っていた。
梅雨も終わりに近い頃のことだった。
牧雄は、ベランダの朝顔を眺めながら彰子を思いため息をついた。
その朝顔は、1年生の時に理科の授業で育てた朝顔の子孫だった。
牧雄のは鮮やかな赤紫、彰子のはやはり鮮やかな紺色の花を付けた朝顔から種を取ったのだ。
2年生、3年生と毎年一緒に牧雄の家のベランダで育ててきた。
しかし5年生の時くらいから彰子は、朝顔に対する興味が薄れてきたのを牧雄は感じていた。
そして6年生になってからは、全く興味を示さなくなってしまった。
それでも牧雄は、彰子との接点を守るみたいに朝顔を育てていた。
その朝顔が、その年初めての花を咲かせようとしていた。
もう花の色が混ざり先祖返りもしたのか、くすんだ桃色の花になりそうだった。
それでも牧雄は、花が咲いたら真っ先に彰子に知らせようと思っていた。
夜にまたもう一回、ベランダに出て解けそうに膨らんだ蕾を眺めた。
室の中に戻ろうとした時、遠くで消防車のサイレンがけたたましく鳴るのが聞こえてきた。
雑木林の向こうを見ると、下から炎に照らされた煙が空に立ち上るところだった。
「お母さん! 火事だよ!」
牧雄は台所で洗い物をしていた母親に呼びかけた。
母親は「えっ、なになに?」とエプロンで手を拭きながらベランダに出てきて、「あーあ」とため息をついた。
煙が赤いのは炎のせいだけではなく、火の粉を巻き上げているためでもあるらしかった。
母親は「どこの家か知らないけれど、後が大変ね」と呟き、台所へ戻っていった。
牧雄も、室に入った。
朝顔の蕾を祈るような気持ちで見つめてから。
・・・せっかく花が開くのを見届けようと思って前の晩寝たのに、日曜という事もあり朝寝してしまった。
しかも自分で起きたのではなく、玄関でのちょっとした騒ぎで目が覚めてしまった。
彰子の祖父がオロオロと何かを訴えていた。
牧雄の母親が「落ち着いて、落ち着いて」とそれを宥めていた。
どうやら彰子の祖父は、彰子のことで騒いでいるらしかった。
牧雄はハッと飛び起きて玄関に出ると、母親は何か薬局の紙包を手に外に出るところだった。
彰子の身の上に何が起こったのだろう・・・牧雄は気が気でなく、テレビもつけずにテーブル脇に座り込んだ。
寝室で父親が「おーい、飯はまだか」と叫んだが、寝言だったようでまた寝苦しそうにイビキをかき始めた。
しばらくしてから、母親が戻ってきた。
牧雄は玄関に走り出た。
「お母さん! アキちゃんは?」
母親はギョッとしたようだったが、牧雄の頭を撫でながら微笑んだ。
あくまで、優しく。
「心配しなくていいの。・・・アキちゃん、大人になったのよ。・・・でもショックだろうから、今日はそっとしてあげてね」
そしてそのまま、朝食の支度をしに台所へ行ってしまった。
牧雄は(生理とやらが来たんだ)と分かったが、だからどうなのだとか具体的な事は分からなかった。
ただ、また彰子が牧雄から遠く離れていってしまうんじゃないかと、怖くなった。
混乱する心を持て余したまま、しばらく玄関に突っ立ったままだった。
それからベランダに出ると、朝顔が大輪の花を咲かせていた。
せっかく咲いてのに、牧雄は彰子にそれを伝えることができなくてそれも哀しかった。
しかも牧雄にとってはまた別の別れも訪れた。
前の晩の火事は、三井の家だった。
山田のグループの何人かが悪戯で火のついた花火を投げ入れ、運悪くそれが室内で引火したという。
グループのうち、松村が逃げ遅れて三井の兄に捕まり、顔の骨が折れるくらい殴られたとも聞いた。
グループのアジトだった小屋にも警察の調べが入り、グループはみんな補導された・・・山田を除いては。
放火という明らかな犯罪を前に、それまでヒソヒソと噂話しかしてこなかった大人たちは大っぴらに不良小学生とその家族たちに非難の目を向けた。
多くのメンバーが夏休みまでに校区外に引っ越していき、その中には松村もいた。
そして三井の一家も、そのままどこかへ引っ越していった。




