(11)昭和60年① 死の淵をそっと覗き込む
牧雄は後になってから、虐めからのサバイバーだと自認するようになった。
それは、ひょっとしたら本当に死んでいたかもしれないから。
山田とその手下たちからの虐めがひとつのピークを迎えていた小学校6年生の頃、牧雄は「死」というものを強く意識していた。
死ねば日々繰り返される虐めから逃れて楽になれるかもしれないという、安易な発想によるものが大きかったと思う。
いや、「安易な発想」というのは暗黒のその時期を抜けたから「安易に」言えるのであって、その当時はそれこそ地獄を生きるような毎日だったというのは胸の内に深く刻みつけられている。
その当時の牧雄を取り巻く世界は急速に広がりつつあったが大人の世界と比べるとまだまだ小さく、その小さい世界の中に占める子供同士の人間関係の比重はどうしても大きくなってしまっていた。
だからその小さな世界の外・・・牧雄にとっては生きている世界の外に脱出すること、すなわち死ぬことが楽になれる唯一の手段のように思われる時期があった。
思春期のはじめを生きていた牧雄の、不安定な心理もそれを増幅させていたかもしれない。
しかし死ねばどうなるのか分からなかったから、不安だった。
それが牧雄が「死」の世界の方へ足を進めるのを、躊躇わせていた。
死んだ後にはどんな世界が待ち受けているのだろうか・・・それを見てきた人の話を直接聞く機会など無いから、見当すらつかなかった。
天国とか地獄って本当にあるのだろうか、あるとすればどんな世界なのか。
いや、天国や地獄よりも、霊になって生の世界の空間を漂っているのではないか?
だとすれば幽霊の存在とも矛盾しないから、より現実的なのではないか?
牧雄が図書室や学級文庫の本の中で、とりわけ怪談や超常現象を扱った本を読んでいたのはそんな時期だった。
図書館に置いてある学研の「学習」などでも死後の世界などについての特集や怪談読み物が掲載される事があり、牧雄は貪るように読んだ。
そうするうちに、「死の瞬間」というものへの関心も湧いてくるのをどうしようもできなくなった。
死というのはどうしても痛い事、苦しい事とワンセットになって牧雄のイメージとしてはあり、想像するだけで身の毛がよだつ思いがした。
牧雄の住む団地は雑木林に囲まれている事もあり、夏になると公社住宅の2階や3階くらいまでは蚊がよく上がってきた。
宵の頃、叩きそこねて死なせきらなかったヤブ蚊を、牧雄は虫眼鏡で観察してみたりした。
瀕死のヤブ蚊は脚を弱々しく動かしながら、しかし拡大してみるその顔は悪魔のように見えた。
牧雄はひとしきり眺めるとその翅をつまんで、蚊取り線香の火から1センチ位の場所に落とした。
次第に火が近付いてくるとヤブ蚊は痛いのか苦しいのか助けを求めるように脚をせわしなく動かし、しかし火が数ミリのところまで迫るとパタリと動かなくなった。
そして、嫌な臭いを上げながら火に焼かれていくのだった。
それを見届けながら、命ってなんだろうと考えたりした。
あんな小さなヤブ蚊でも、苦しみはあるし死ぬのも嫌なのだろうなとぼんやりと思った。
牧雄はふと、幼い時に経験した父方の祖父の葬儀の事を思い出した。
布団に寝かされた祖父は動くことも息をすることもせず、ただ安らかな顔をしていていた。
お葬式には大勢の人がやってきて、神妙な顔をしたり泣いたりしていた。
火葬が終わると祖父の体は消えてしまって、後には白い骨だけが残っていた。
死ぬって、なんだろう・・・命って、なんだろう。
霊というものがあるならば、どこからやってきて生物の体に宿って、そしてどこへ消えていくのだろう。
疑問はどんどん湧いてくるけど、答えが見つからない。
母親に聞いても、昔話から引っ張ってきたような漠然とした答えしか返ってこない。
父親に聞いても、「うるせぇ、そんな事わかるか」と不機嫌そうに言われるだけ。
他の女子と休み時間にコックリさんをやったりする彰子だったらなにかヒントみたいなものは知っているかもしれないと思ったけれど、「彰子の祖父は人殺し」というずっと以前の噂が思い出されて、彰子にはその話題はタブーかもしれないと思い止まったりした。
そういえば、あの噂はほんとうだったんだろうか。
いくら彰子の祖父が粗野な人間だったとしても、人を殺すことなんてあるんだろうか。
いや、そんなはずはない・・・なぜなら牧雄の両親は普通に彰子の祖父と接して、そして会話している。
本当に「人殺し」なら、そんなふうに接することは怖くてできないのではないか?
でも殺したとすれば、どんな相手をどんな方法で殺したのだろうか?
殺された人は、どんな痛みや苦しみを味わいながら死んだのだろうか?
そしてまた牧雄の頭の中は、「死の瞬間」の事でいっぱいになった。
自分はその時、どんな死に方をするんだろう・・・?
生きているからには、いつかは必ず死ぬ。
そう思うと、向こう側の世界へのハードルが少し下がったような気がした。
そして実際に、ベランダの手すり越しに下を覗き込んだりもした。
そこは植栽とアスファルトの地面があるだけだったが、まさに死の淵を覗き込むような感覚だった。
この手すりを乗り越えれば、楽になれる・・・。
そんな誘惑が稀に湧いてくる事すらあった。
けれども、牧雄は乗り越えなかった。
やはり死ぬというのは本能的に怖くて、そしてその恐怖を乗り越えるだけのエネルギーがまだ足りなかった。
もっと追い詰められれば、その恐怖もちっぽけなものに思えて飛び出せたかもしれない。
しかし、牧雄にはまだやりたい事が残っていた。
それはただ単に運が良かっただけかもしれない。
なにかの拍子に牧雄を生の世界に引き留めようとする力が弱まった時に、やはり死の世界へ飛んでいたかもしれない。
けれども本の世界という、牧雄自身が密かに心の中で育んできた小宇宙は大切なものでそれを失いたくなかった。
なにより、牧雄が死んでしまえば母親は悲しむだろうし、疎遠になってしまっている彰子だって悲しむだろうし、父親だって悲しむかもしれない。
後に思えば、あのときの牧雄にはまだ拠り所とする物や事がたくさんあった。
それが、死の世界に飛び立とうとする牧雄の足を引っ張って離さなかったのかもしれない。
だから牧雄は、生きている。
その後の人生が苦しみに満ちていても、やはり生きている。




