(10)昭和59年 反省会
あれから彰子は病気をするという事がほとんどなくなった。
牧雄にとっては小さな青い星たちに祈った事が通じたか、それとも好きにお菓子を買わずに募金した事が「良い事」として巡り帰ってきたか、と思えた。
食が細かったのも好き嫌いなくなんでもモリモリ食べるようになり、枯れ木のようだった身体は健康的にふっくらしてきた。
血色も良くなり性格まで活発になって、体育の授業にも普通に出席して飛び回るようになった。
彰子の祖父や牧雄とその両親だけでなく、長年彰子を診てきたかかりつけの医師も驚くような変化だった。
全くの別人のようになるにつれ、友達の輪も広がっていった。
彰子のことを「ひとごろしの孫」と言うのも、大多数の子供たちの間では風化した噂となっていた。
山田とその取り巻きなど、いつまでも執拗にそれを持ち出して絡む子供たちもいたけれど。
あの「お金事件」以来、山田たちのグループはますます他の子供たちから敬遠されるようになった。
教師たちからも時にはあからさまにマークされるようになり、目立った活動はできなくなった。
しかし思うように行動できなくなった分、水面下ではさらに少数精鋭化しやりたい放題になっていった。
雑木林の中にある廃墟となった作業小屋を「秘密基地」にして、そこを拠点に良からぬことをしているようだった。
その小屋は、牧雄が住む団地へ続く道の途中から雑木林の中に入った先にあった。
ボスの山田は塾がますます忙しくなり、滅多にそこへは現れないらしかったが。
その一本道には山田の仲間たちがよく出没していたから、団地に住む子供たちは自然と彼らから身を守るように集団で固まって下校するようになった。
そのグループの中でも彰子は女の子たちで集まった中にいて、以前みたいに牧雄とふたり並んで歩くということはなくなっていた。
一緒に遊ぶ事が、全く無くなったというわけではない。
けれど少なくとも、大江の家にふたりで上がり込むことは無くなった。
5年生になり初めて彰子と別のクラスになった事もあり、牧雄は淋しくてならなかった。
大事に大事に守ってきた彰子が、保育園の頃からいつも一緒だった彰子が、離れていってしまうのが辛かった。
そうした中で、牧雄はクラス図書委員の大江に誘われて昼休みは図書室で過ごすようになった。
そこは山田たちのグループも寄りつかない、牧雄にとっては聖域のような場所だった。
牧雄の母親は本もたくさん与えてくれたが、図書室にある本の数はそれとは桁違いに多くて幅も広かった。
図書室の中は紙の匂いに満ちていて、そしてそこにある本の1ページ1ページが夢の世界の宝箱のようだった。
牧雄は昼休みの間じゅう、物語も図鑑も歴史漫画も貪るように読み漁った。
一冊読むごとに、世界が広がるような思いを感じていた。
けれども・・・読み終わった本を書架に返す時、ふと校庭を眺めて彰子を探す事もあった。
楽しそうに駆け回る子供たちの中に、紛れるように彰子の遠くて小さい姿を見つけた。
それがまるで、冬の星座の中に消え入りそうに瞬く「彰子の星」そのもののように思えた。
けれども牧雄が「彰子の星」と思っていた星の群れには「プレアデス星団」という正式な名前があって、しかも若くて高温で燃える星の集まりである事を図鑑で知った。
一方で野尻抱影の読み物だったと牧雄は記憶しているが、「プレアデス星団」のまた別の面を知った。
ギリシャ神話によれば、巨人アトラスの娘たちが狩人のオリオンに追われたのをゼウスが哀れに思い星に変えたのがそれだという。
少なくとも決して、牧雄がそれまで思っていたようなか弱い星、消えゆく星たちではなかった。
小さいながらも凛として輝き、神話になるくらい人びとの心を掴んで離さない強い星だったのだ。
牧雄が弱い星だと思っていた時はまさに彰子のような星に見えたのに、強い星だと知った時もまた彰子のような星に見えたのだった。
それが牧雄には、なんとなく不思議に思えた。
図書室の机に向かいながらふと手を止めて、そんな彰子と「彰子の星」の事をぼんやりと考える事もあった。
そして湧いてくる寂しさを慰めるように、また本の世界に戻るのだった。
山田のグループも来ず、無限の想像の世界に遊べる図書室。
内向的な性格もあり、そこは牧雄にとってシェルターであり完結したひとつの小さな世界であった。
しかしそのかけがえのない世界を守ろうとする牧雄の心に、殴り込みをかけようとする動きがあった。
牧雄が昼休みに図書室で過ごす事が、クラスの子供たちから責められたのだ。
5年生になってからの担任は中年の男性教師だったが、「みんな仲の良い明るい学級」を作る事を標榜していた。
子供同士の虐めや嫌がらせにも常に目を光らせ、その兆候を小さな芽の内に潰すことに心血を注いでいた。
それはそれで良い事だったのかもしれないが、やり方に問題があった。
学級内の問題は子供たち同士で解決させる事も大事だと考えていたのだが、その延長で毎日の「帰りの会」の中で「反省会」と称してその日一日の「反省すべき子」を挙げさせるような場を設けていた。
何人かが「反省すべき子」を挙手で挙げ、多数決で「その日一番反省すべき子」を決めるというものだ。
そして「一番反省すべき」とされた子供は翌日は教卓の側に机を移動させられるが、その「罰」も、担任の主導により子供たち同士の話し合いで決められたものだ。
その制度には致命的な欠陥があって、クラスの中で立場の弱い子供が「反省すべき子」として生贄にされがちであった。
強い子を守るための見えない圧力みたいなものがクラス中に働いて、弱い子は重箱の隅を突くように糾弾された。
ある日、牧雄と三井という女子が「反省すべき子」の候補として挙げられ、多数決が取られる事になった。
その時のクラスの中では、三井が最も弱い立場にあった。
三井は家が貧しく、しかも親が育児も教育も放棄しているようだった。
ガスや電気も止められるような家で洗濯や入浴もままならないようで、いつも洗いざらした上に穴の空いたような服を着ていて饐えたような体臭も漂わせていた。
かなり大人の都合でそうなった部分はあったのだが、クラスの子供たちはそんなこともお構いなしにしばしば三井を学級法廷の場に被告人として祭り上げた。
「服が汚い」、「臭い」、「靴が汚れている」、果ては「髪の毛がボサボサだから」という理由まで罪状とされた。
しかし三井は毅然とした態度で法廷に立ち、それも「ふてぶてしい」と多くの子供たちの不興を買っていた。
その結果としてさらに三井に対するクラス中の目は厳しくなっていったのだ。
そしてその日の理由は、「給食費が期限だったのに持ってこなかった」というものだった。
ちなみに牧雄については、「みんなと遊ばず昼休みを図書館で過ごした」という理由。
牧雄にとってはとんだ言いがかりだったが、それは三井にとっても同じだったろう。
そしていよいよ多数決という段になって、三井が手を挙げた。
「小林くんが図書館に行くのが悪いというのは、おかしいと思います!」
まさかの三井の発言だった。
牧雄が無罪ということになれば、三井自身が有罪ということになるのに。
「図書館に行くというのは、禁止なんかされていません! それなのにどうして、反省しないといけないんですか?」
三井は毅然とした目で・・・いや怒りを秘めた目でクラス中を見回し、最後に担任を見据えた。
教室の隅で腕を組んでぼんやりと裁判を見ていた担任は、はっと驚いて居住まいを正した。
「決まりを破ってなんかいない小林くんよりは、決まりを破って給食費を持ってこなかった私が悪いと思います! だから明日の特別席は、私が座ります!」
「はい! それだったら三井さんも悪くないと思います!」
クラス中がどよめく中、新たに手を挙げたのは大江だった。
どよめきはさらに大きくなって教室じゅうを満たし、担任は落ち着かなくきょろきょろとその空間を見回した。
「僕は知っています。みんなも知っていると思います。給食費を持ってこれなかったのは、三井さんの責任じゃありません! 三井さんには仕方のない事情があったのだから、反省する理由がありません!」
大江の発言に賛否の声が飛び交い、担任は立ち上がって狼狽していた。
牧雄も、狼狽していた・・・ならば、僕が特別席の罰を受けなければならないのか? ・・・しかも友達だと思っていた大江のせいで?
大江は黒板の前に進み出て、「静かにしてください!」と叫んだ。
たちまちどよめきは止んだ。
「小林くんに図書室へいくのを勧めたのは、僕です! だから僕が明日は特別席に座ります!」
「えええーっ」と驚く声、拍手しながら囃し立てる声、様々な声が交錯する中、大江は胸を張って自席に戻った。
牧雄は、大江を一瞬でも疑った自分が少し恥ずかしくなった。
その帰り、牧雄は大江に礼を言おうとした。
大江は足早に「塾に遅れる」と言いながら牧雄を制したが、満足したような顔をしていた。
そして翌日、担任は「反省会」と「特別席」の廃止をクラスみんなに告げた。




