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降る、ふる、かれる。  作者: 茶茶
第一章 リスナー
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1 女子高生の世界


腐った空気が鼻に突く。何、とは断定できないような長年積み重なれた重く淀んだ空気がいやらしく肌を覆っている。

私は心の中で悪態をつきながらも、顔には楽し気な笑みを浮かべた。


「来週からテストとかマジ無理」


 私は来週から始まるテストへの愚痴をこぼしながら、シャツのボタンを外した。ロッカーの中には、桜色のブレザーとチェック柄のスカートが丁寧に折り畳まれている。


「数学、ぜったい赤点だ」私は体操服の腕を通した。


「そんなこと言って、また百点連発するんでしょ。いっつも、ゆあ成績トップクラスじゃん」りりかが言う。ピンク色が少しだけ混じった髪の毛を緩く巻き、流行の最先端のメイクを施している。部外者から見ても、クラス内で中心人物と一目でわかるオーラを常に放っている。


「いやーあれはさ、まぐれだって」私はロッカーの扉裏の鏡を覗き込みながら言った。


鏡には陶器のように白い肌、ぱっちり二重の目に小ぶりながらも筋の通った鼻、そして黒髪ストレートヘアが映っている。私は化粧ポーチを取り出して、汗でべた付いた肌をファンデーションで覆い、消えかけているアイラインを付け足した。


「いや、まぐれであんなにバケモンみたいな点数とれるわけないでしょ。」


「偶然。偶然」私は言う。五百点中四百五十二点。当然、偶然やまぐれなわけがない。私が死ぬほど勉強した結果であり、必然だ。すべては良い大学に入学し、良い人生を送るために。高校受験に失敗した私は、大学受験で勝ち組にならないと生きる意味がないと思っている。


「それにさ、ゆあ可愛いし。それで頭いいとか前世にどんな徳を積んだんですか」


「ほんと、ずるいわ。私、ゆあになりたいもん」


 晴美とかりんがそれぞれ言う。


「いやいや。私になったら、足は大根足だよ?三人の方が圧倒的にスタイルいいから羨ましいよ」


 思っていないでまかせが口からするすると出てくる。女子高生の褒めあいなんて言葉に一切意味は持たない。女子高生の「かわいい」や「うらやましい」はそこらへんの石ころと価値はたいして変わりはない。


「ゆあが大根あしだったらうちどうなんの?」


「私の足、大根ってか丸太なんだけどぉ」


「えっ逆に?逆に皮肉ってっしょ」


 ぎゃーぎゃーと三人が騒ぐ。


「もー、始まるよ?早くいこ?」私はりりかから誕プレでもらったタオルを手に取り、ダル絡みをする三人を置いて更衣室を出た。



 ムッとした体育館の独特な匂いが鼻をかすめた。汗とゴムと埃の匂い。体育館に入った最初のうちは不快感を覚えるが、すぐに慣れ、そのうち私自身も体育館で匂いを発する一部になる。


 バスケットボールのゴール下では、数人の男子が取っ組み合いをしてはしゃいでいた。


「おまっ、マジでやめろや」なんて言いながら楽しそうに笑っている。私は壁に沿って腰を下ろし、その姿を目で追った。何にも考えずに、ただ笑っている男子たちを羨ましく思う。


 サッカー部のキャプテンの吉田君とぱちりと目が合った。


吉田君は一部の女子から人気があるが、個人的には好きになれなかった。吉田君の顔は目がずいぶんと離れ、輪郭が角ばっていて深海魚に似ているし、髪の毛はいつも整髪剤で不自然にベタベタしている。それに、何より自分を大きく見せようとするような物言いが好きではなかった。


 私が軽く会釈をすると、吉田君はふいと顔をそらした。


「何なにー、ゆあなにみてんの」と着替えを終えたりりかたちが近づき、肩を寄せた。私の右隣にかりん、左隣にりりか、りりかの隣に晴美が座った。シャンプーと化粧品と柔軟剤が混ざった、女子高生らしい甘い香りが鼻を突いた。


「あー、男子。馬鹿だよね」三年生の印である赤の体育館シューズの靴ひもを結びながらかりんが言った。「あの取っ組み合いで一回消火器を誤発させたのに。こりないねー」


「あーあったねそんなこと」とりりかは懐かしそうに笑っている。


高校一年生の時、男子の取っ組み合いにより消火器が誤発した。緊急学年集会が開かれ、何もしていない私たちも連帯責任だ、とものすごく怒られた。その日の放課後は先生たちの悪口大会だったのは言うまでもない。


 吉田君の大きな笑い声が体育館に響いた。


 吉田君は男子から馬乗りされ、ズボンを下ろされそうになっている。その上、シューズを脱がされて遠くに飛ばされたり、体中をくすぐられたりしている。


 その様子を、晴美がニヤニヤしながらりりかに目配せした。


 りりかは、「もー」と照れを隠すかのように晴美の肩を軽くたたいた。


「なになに?」とかりんが言う。


「最近、吉田君とりりか、いい感じらしいよ」晴美が言う。


「えっ、そうなの?」私とかりんが同じタイミングで驚いた。


女子高生として生きる中で「好きな人」の情報は、重要度においてほぼトップに君臨する。それを知っていると仲間だし、知らなければ仲間ではないとみなされるのも同然だ。私以外がグループの長であるりりかの好きな人が知っていたら大問題だが、今回の場合はかりんも知らなかったので問題ない。私は愁眉を開いた。


 晴美が何かを見つけたかのように「ねぇ、みて」と声を潜め、私たちに目で吉田君の方を見るようにいった。さっきまで床に寝転がっていた吉田君は桜川さんと顔を寄せ合い、なにやら楽しそうに談笑していた。


「なに、あいつ」りりかは見るからに不機嫌になった。


「あれじゃん?桜川も吉田君のこと狙ってるんじゃない?」私は言った。


「えーキモ。自分の立場の把握できてないよね」と言うかりんは、甘いものをいつも食べているにもかかわらず、すらりと痩せ細っている。まるで成長過程で脂肪を蓄える、という工程を飛ばしたかのように、体の凹凸が少ない。華奢という言葉がかりんにはよく似合っている。グラマラスな桜川さんとは反対だ。


「あのおっぱいで男子全員落とせると思ってんじゃない?」りりかは桜川さんの豊満な胸を汚らわしいものを見る目つきで睨んだ。


「それな。てかさ、あのリップの色なんかおかしくない?」と言う晴美の重たい瞼には、りりかのまねをして買ったピンク色のアイシャドウが妙にぬらぬらと光っていた。


「え、だよね。私も思った」りりかが同意する。


 晴美は自分の発言がりりかに認められたのがうれしいのか、ご機嫌な様子ででっぷりとした体を揺らした。


「桜川さんって、多分あれ濡れメイクしてるんだと思うけどさ、なんか濡れメイク言うよりはなんていうか、泥?みたいだよね」私は言った。


 ぎゃははと皆の笑い声が大きく破裂した。


「泥って、ふふ、やばぁ、あははっ」

「分かるけどさ」

「くそダサいよな」

「ないわー」


 四人が言葉を投げ打つ。


「この前さ、私がお世辞でメイク可愛いねって言ったらさ、余計ひどくなってんの。それであれ」かりんが楽し気に言った。


「うーわ。じゃあ、かりんのせいじゃん」りりかが言う。


「いやー、わたしのせいじゃないでしょ。泥メイク、そのうち流行るんじゃね?」かりんが厭味ったらしく言った。


「時代の先行き過ぎ」私がつっこむ。


 私たちは再び桜川さんに視線をやり、そして互いに目を合わせた。突き破るような笑い声があたり一面を覆った。


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