多重債務者奮闘記
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やばい。
とにかく、やばい。
ん?
何をそんなに焦ってるかだって?
今日が月の支払い日である26日だってことだよ
俺の名前は 田中 潤
両親は、潤いのある生涯を送ってほしい。と願いを込めてつけた名だって小さい頃に聞いてたが、全然潤いのある人生じゃなかった。
幼少期は、両親が離婚し母方に引き取られた。
貧しかった生活は、より貧しくなり日に2食あれば喜んだものだ。
小学生にあがると給食は食べれたが、年中ボロボロの制服を使い回して、高学年になっても丈の短い制服を着ていた。
その事で、周りからかなり虐められた。
貧乏人は臭い、感染るからどっか行け、あいつの席にはゴキブリが沸く
例をあげたらキリがないくらい心をズタズタに叩かれた。
だが、女手1つで育ててくれた母に迷惑、心配はかけないように家では何でもないように振る舞った。
母方の実家、平家に祖母、祖父、母、俺で住んでいたが泣きたくなったら、トイレでシクシクと涙を零したもんだ。
中学、高校と進学し大学に通うためのお金を工面することは出来なかったし、母に無理をお願いすることは精神的に辛かったから卒業後は地元の工場に勤務した。
母が亡くなった。
入社後1年目のことだ。
これまで掛けた心労、体へ無理をいわせて掛け持ちでの仕事が祟ったのか。
最後まで、俺には笑顔のまま。
恨み言ひとつ吐かず、旅立った。
精神的支柱を失って多少自暴自棄になってた当時の俺は遊び歩いた。
遊び歩いてる最中に、次は祖父母が亡くなった。
俺が21の歳だった。
祖父の運転で、祖母と2人で旅行へ出掛けていた最中の交通事故だったそうだ。
平家を遺産相続で受け取り、友達も居なかった俺は仕事終わりに家でアルコール度数の高い酒を、しこたま飲んだ。
アルコールで全て洗い流せたらどんなに良かっただろう。
そんな時、職場で先輩からギャンブルを教わった。
ここで断る勇気があればまた違った人生だったのだろう。
誘われて嬉しかった自分がいたのだ。
これまでの人生で家族以外との関わりなど皆無だった為か、花に誘われる蝶のように、誘蛾灯に誘われる蛾のように、ふらふらと沼へハマっていった。
そこからズルズルとギャンブルへハマってしまった俺は、次第に借金をして博打を打つように。
そこから先は想像通りだ。
坂を転げ落ちるように、水が高いところから低いところへ流れるように負けていった。
そして借金総額1000万円
家も担保にしている為、どんなに足掻いてもどうしようも無い。
俺の歳も気付けば42歳。
今日家に来る借金取りに何て言おう。
はぁ。
まあ、なるようになるか。
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