解決編
5
水咲の推測は見事に当っていた。
「こんにちは。また会いましたね。こんなところで何してるんですか?」
深い帽子を被って机に伏せて寝ていた彼は、肩を叩かれて起こされた。
「古谷敷さん、ここの授業取ってたんですか? 次の授業は明日だって言ってたじゃないですか。なぜ、まだ大学にいるんです?」
水咲の推測はこうだった。大抵、席は教室の後ろから埋まっていく。夏生も警戒しているので、一番後ろの席を取っている。あとから入ってきたのでは前の席になってしまい、夏生を観察することができない。だから、誰よりも早く教室に行って、一番後ろの席で待ち構えているはずだ。顔を見られないように、机に伏せて寝たふりをして、と。
水咲は古谷敷の右隣の机に、佐々木原は彼の前の机に、夏生は彼の左隣の机に腰掛け、まだ誰もいない教室に女性3人で男1人を取り囲んだ。
「さてと、お昼休みもあと20分で終わるから、さっさとやらないとね。まずは、わたしの話の前に、夏生さんから古谷敷さんにお話があるみたいですよ」
夏生は古谷敷にこんなに近寄るのは久しぶりだった。以前なら、これくらいの距離などどうってことないのだが、今では怖くて仕方がない。少し足が震えているのがよく分かった。
夏生は初め、下を向いていた。どう話を切り出せばいいのか分からなかったからだ。この2年半の出来事が、映画のフィルムのように脳裏に映写された。その映画は、そこらのホラー映画よりも怖かった。その映画を毎日見続けさせたのが、目の前の男なのだ。そんな男とまともに目を合わせることなどできない。だが、ここを乗り切らなければ、このホラー映画は終わらないのだ。面と向かって「やめて下さい」と言ってやりたいと思っていたではないか。そのときが今なのだ。
次の瞬間、夏生は意を決して鋭い目付きでにらみつけた。
「お久しぶりです。お久しぶりで、こんなこと言うのはあれかもしれないけど……もう、や、やめて下さい。どうして私をつけ回すんですか? 私がなにしたって言うんですか?」
「…………」
「もう2年半もこんなことやってるんですよ。こんなことやってて楽しいんですか?」
しかし、目の前の男は何も喋ろうとしなかった。
「答えて下さい!」
夏生は悲痛な叫びを上げた。すると、男はボソッと言った。
「ボクは……何もしてない」
その返事を聞くと、水咲は長い脚を前後にブラブラさせながら呟いた。
「古谷敷さんにとっては短い2年間かもしれないけど、夏生さんにとってはどれほど長い2年だったことか、あなたわからないでしょう? 2年間、毎日誰かに見られてるっていうのは、並みの忍耐力がないと耐えられない。どんなにつらいもんか、今度わたしがあなたのことストーキングしてあげましょうか?」
水咲は太ももの上で頬杖をつくと、顔を傾げて上から見下ろした。
「古谷敷さんがサークルをやめたのは、夏生さんに告白して断られて、このままサークルに残っていたら気まずくなるし、恥ずかしいからやめたんじゃないんですか? やめたのは確か、2年前の5月頃でしたよね? ちょうど夏生さんに告白した頃です。あなたは、夏生さんに告白したけど、あっさり断られた。だからその腹いせにストーキングをするようになった。ストーカーの典型ですね」
「ボクは何もしてません」
古谷敷の声は静かだったが、顔が赤くなっているのが分かった。
「もしかして怒ってるの? それはちょっとずるいんじゃない? 本当に怒りたいのは夏生さんなんだから。それぐらいで腹を立てられちゃ、夏生さんの怒りはもっとすごいものよ。こんな手紙を送られてきたんだから」
水咲は机から下りると、数通の手紙を机の上に置いた。そして、その中の1枚を適当に拾い上げると音読した。
「中央大通りにあるボウリング場にこの前行っただろ。そんとき見てたけど、投げるフォームがひどすぎる。もっと女らしく投げられねぇのかよ。スコアも最低だね。カラオケも下手、ボウリングも下手。もっと前にビリヤードもやってたよな。お前には何から何までセンスないわ。生きてたって何の取柄もないんだもんな。お前なんて死んじまえ! 11月4日」
水咲は古谷敷をじっと見据えた。佐々木原と夏生も彼の様子を脇から見ていた。
「わたし、この手紙を書いたのは古谷敷さんだって証拠、見つけたんです。古谷敷さんもわかってますよね? 証拠っていうのが何か。だって自分で書いたんだから」
水咲は1枚1枚、日付順に広げて置いていった。
「わたしね、夏生さんからこの手紙を見せてもらったときから気になってたんです。どうしてこの12通の手紙だけは毎日送ってきたんだろうって。手紙を送ってこなくなったと思ったら、急にまた送ってくるようになった。しかも12日間連続で送ってきてる。これには意味があったんですね。わたし、わかっちゃいました。この手紙には不審な点が3つあるんです」
水咲は1日目と2日目、3日目、そして今読んだ4日目と、最後となった12日目に送られてきた手紙を摘み上げた。
「まず1つがこの4通です。この4通、なぜか過去のことを言ってるんです。毎日手紙を書くなら、その日にあったことを書けばいいと思いません? なのに、過去のことを掘り返してる。12日に送ってきた手紙なんて、わたしとののちゃんと夏生さんの3人で帰った日のことについて言ってる。3人で帰ったのはその前日の11日ですよ。どうして11日に書かなかったんですか?」
夏生は古谷敷の顔から目を離さなかった。相変わらず、彼の瞬きは普通の人より多く、表情は変わらない。
次に水咲は、6日目に送られてきた手紙を摘み上げた。
「2点目がこの手紙。この手紙だけ、夏生さんを指している代名詞が、なぜか『てめぇ』なんです。他のはみんな『お前』なのに」
水咲は最後にもう一度、2日目に送られてきた手紙を拾い上げた。
「そして3点目。この2日目の妙な手紙が決定打になりました。これ見て下さい」
『 谷間ねぇよなぁ、胸の谷間がよ。全然ないくせに、襟元の開いた服を着るのやめてくれねぇか? そんなまっ平らな地肌を見せられても嬉しくも何ともないんだよ。性的魅力なんて1つもないな。そんなんじゃ、男は誰も寄ってこねぇわ。かわいそうに。いい出会いもなく、人生独りで終わるんだろうな。しょうがないから同情だけしてやるよ(11/2)』
水咲はその手紙の出だしを指した。
「ほら、なぜか最初の行は1字下げて書き始めてるんです。他の手紙はこんなふうになってません。なぜ1字下げてから書き始めたのか?」
古谷敷は唇を噛み締めていた。
「1字下げたのには意味があったんですね? この手紙の2字目に……『谷』という字が来なくちゃいけなかったから」
このとき夏生は、古谷敷の表情が微妙に変化したのを確認した。
「これら12通の手紙には仕掛けがしてあったんですよね? 1日に送った手紙は1字目、2日に送った手紙は2字目を取っていく。こうやって12通を、送った日付と同じ数の字数目の字を取ってつなげる。そうすると『古谷敷通夏生愛子は赤い糸』ってなるんですよね?」
古谷敷の瞬きは更に早くなった。
『古風な女性はいいと思う。けどな、お前は一体何なん……(11/1)』
『 谷間ねぇよなぁ、胸の谷間がよ。全然ないくせに、……(11/2)』
『お前敷布団ベランダに干したままどっか出かけただろ……(11/3)』
『中央大通りにあるボウリング場にこの前行っただろ。……(11/4)』
『……………………………………………………………………(11/5)』
『てめぇの食生活は乱れてる。朝と昼はどんなもん食っ……(11/6)』
『頼むからさ、愛してる、っていうフレーズの入ってる……(11/7)』
『……………………………………………………………………(11/8)』
『毎日思うけどお前はどうしてそんなに厚化粧なんだ? …(11/9)』
『おいブサイク。なに赤いマフラーなんてしてんだよ。……(11/10)』
『今日はどこへも行かないんだな。いつもだったら遊び……(11/11)』
『あいつは誰なんだよ。毛糸のカバンを持ってる奴。ほ……(11/12)』
「『てめぇ』と表現したのは、6字目に『生』が来ないといけなかったから、字数を稼ぐためにそうしたんです。他の手紙とかもよく見ると、文面がちょっとおかしいもんね。何字目にそれぞれ決まった漢字が来ないといけないんだから、結構大変だったんじゃないですか?」
彼の太ももが、上下に動き出した。
「だから、この2日の手紙は、2字目に『谷』という漢字を持ってこようとしたけど、いい単語が思いつかなかったんですね。そういえば、2字目に『谷』のある単語ってあんまりないよね。わたしが今思いつくのは『峡谷』くらいだな。でも、この単語を使って中傷文を書くのは至難の技だよね」
誰もいなかった教室にポツリポツリと学生が現れた。彼らは教室に入ったときは、後ろで固まっている4人に注目するが、その後は興味もないらしく、席に座って自分の世界に入っている。
「別に夏生さんがその仕掛けに気付かなくてもよかったんですよね? 自分だけ楽しんでいればよかった。気付くか気付かれないか、その緊張感がまたよかったんでしょ?」
水咲は視線を手紙に戻すと、両手を頬に宛がって言った。
「『古谷敷通夏生愛子は赤い糸』か。やっぱりな、そんなことだと思った。これらの手紙、夏生さんのことひどく言っているけど、よく読むとこれって、夏生さんのことが大好きっていうのがひしひしと感じられるもんね。やっぱり、何だかんだ言いながら好きなんだよね。ほら、好きな女の子に好きだって言えなくて、逆にいじめちゃう男の子みたいにね」
「でも、やってることは子供だね」
「その通り」
佐々木原の意見に水咲はすぐに賛同した。
「さて、古谷敷さん。どんな言い訳をしてくれるんですか? わたし達、楽しみにしてるんですよ。確かわたしのこと、風俗でもやってそうなバカな女って言ってましたよね?」
水咲につられて夏生も1歩前に出て言った。
「私の苦しかった2年半を、どうしてくれるんですか?」
今まで、どうしてこんな男に怯えていたのだろうか。ストーカーの正体がわかった今、もうびくびくすることなんてないのだ。
古谷敷は3人の気迫に押されて、椅子の背凭れにぴったりと背中をつけた。
「ボ、ボクは、何も悪いことはしてない」
腕を組んでいた水咲がすかさず突っ込んだ。
「してますよ。家宅侵入。あれは立派な犯罪です。そして何よりも、夏生さんの心を踏みにじった」
古谷敷の貧乏揺すりがピタリと止まった。と、思いきや、突然いつもより高い声が教室内をこだました。
「そ、そんなの、ボクの告白を断るから悪いんだ!」
その声で教室にいた全員が後ろを振り向いた。
「言い訳するより開き直るんだ?」
水咲は驚きながら言う。
「うるさい! とにかくボクは……」
と、次の瞬間、乾いた音が鳴り響いた。夏生は古谷敷の頬を思い切り平手打ちしていた。平手打ちは鮮やかにヒットし、彼はその衝撃で椅子から転げ落ちた。
夏生は古谷敷に歩み寄って座り込み、
「私にだって、選ぶ権利はあるんですよ。もう私に近付かないで下さいね」
と言ってにこりとすると、立ち上がって振り向いた。水咲と佐々木原は拍手をしていた。
「お見事」
夏生は気持ちよくVサインを出した。水咲と佐々木原もそれを受けてVサインを返す。
そして、夏生は最後の最後までとっておいた、日本語で最も美しい言葉で感謝の意を表現した。
「水咲さん、佐々木原さん、本当にどうもありがとう。ありがとう」
水咲と佐々木原は拍手をしながら笑顔を返した。
再び涙で滲んできた目を、今度は隠すことはしなかった。
鳴り止まない拍手の中、2年6ヶ月ぶりに夏生は笑顔を取り戻した。
第8話 歪んだ愛情【完】




