事件編《後編》
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時はそれから4日後、11月16日月曜日の2時限目の授業まで流れた。
水咲、佐々木原、夏生の3人は、とある教室の前で授業が終わるのを待っていた。この教室は学生で半分以上埋まっていた。学生の私語は何分経ってもおさまらない。廊下にいても学生のざわめきが聞こえてくるが、隣りの授業に支障があるほどうるさくはなかった。だからなのか、その教授は別段彼らを注意することなく、何食わぬ顔で授業を続けていた。
「夏生さんは何も言わなくていいからね。わたし達の後ろで立っているだけでいいから」
「もし辛くなったら、すぐに教室出てってもいいですから」
水咲と佐々木原には、気を遣って緊張を取り除こうとしているのが感じられた。優しい2人だ。夏生にとって、自分のために何かをしてくれる人間はみな、優しい人だと思う状況にいたが、この2人だけは特別だった。
「ありがとう。でも頑張るね」
古谷敷先輩とは2年ぶりの再会である。だが、久しぶりに再会するのは夏生だけなのだ。あっちは毎日見ていたのだから。なんだか妙な気分だ。
水咲さんはついてこない方がいいと言ってくれたが、これは自分の問題だ。全てを彼女に任せて、自分は怖いから逃げ回る。そんな弱い人間にはなりたくなかった。第一、私は何も悪いことなどしていない。逃げる必要なんてないのだ。逆に立ち向かう勇気が必要なのだ。
やがて、終業チャイムが鳴った。教室のざわめきが更に大きく膨れ上がったと思いきや、教室の扉が開け放たれ、ざわめきを持ち帰りながら学生がぞろぞろと出てきた。
「窓際の一番前に座っている人だよね?」
「うん」
「よし。それじゃあ、いこっか」
水咲を筆頭に、女3人は勢いよく教室へ入った。上流へ向かうシャケのごとく、3人は学生の波を逆流して行く。
やがて、3人は川上へ到着した。そこには、フレームが真ん丸なメガネをかけている細身の男子学生がいた。親の遺伝なのか、髪の毛が貧相で老けて見える彼は、だらしなく無精髭を伸ばしている。白のポロシャツを腕まくりし、シャツの裾をジーパンに入れてベルトをしていた。女のように白くて細い腕は、常人よりも多くの毛で覆われている。そして、彼は靴下を履かずにスポーツシューズを履いていた。
常人よりもまばたきの多い彼は、女性3人が目の前に立ちはだかるのを見ると更にまばたきを早めた。
彼こそが、夏生に2年半ストーキングを続けている、古谷敷通である。
2年前と何ら変わりはなかった。無精髭の長さといい、意味のない腕まくりといい、毛の多い腕といい。何ら変わりはなかった。変わりはなかったのだが、2年前はそれらの特徴は何も感じなかったのに、今となってはその1つひとつが不気味に捉えられた。
夏生は、佐々木原の背中から顔を出すように古谷敷を見ると、2年半ぶりに視線が合ってしまった。その瞬間、状況がうまく飲み込めていなかった古谷敷の表情が一変した。「なぜ、お前が?」そんな言葉が出てきそうな表情だった。
「あのぅ、すみません。古谷敷さんですか?」
水咲がそう声をかけると、彼は目をパッチリ見開いて不思議そうに彼女を見た。
「古谷敷さんですよね?」
「は、はい」
古谷敷の声は、まるで声変わりをしていないように高かった。
「どうも、初めまして」
水咲は軽く会釈をする。そして、長い髪をかき上げると自己紹介を始めた。
「わたし、名探偵研究会の会長やってる水咲って言います。こっちはわたしの友達のののちゃん」
胸を張って堂々と立っていた佐々木原も軽く会釈をする。
「そして、こちら、先週友達になったばかりの夏生さん」
だが、夏生が会釈をすることはなかった。
古谷敷は依然、釈然としない顔をしている。
「古谷敷さんは4年生だそうですね。4年生になると、もうあんまり学校に来なくなるから、お話しするの難しいだろうなぁって思ってたんだけど、捕まってよかったです。就職先は決まりました?」
「い、いえ」
夏生は質問をぶつける水咲と、それに反応する古谷敷を代わるがわる見た。
「そうですか。不況はまだ続いているんですね。でも、あきらめずに頑張って下さい」
彼はきっと、就職活動なんてしていないに違いない。それは夏生が一番良く分かっていた。あんな手紙を毎日送りつけてきて、就職活動などできるわけがない。
「ところで古谷敷さんて、英会話サークルの副部長だったんですよね?」
「えぇ、まぁ……」
「どうして、サークルやめたんですか?」
「まぁ、色々ありまして……」
「そうですか。いつ頃やめたんですか?」
「2年のときに……」
古谷敷は、実に淡々と述べていた。必要なこと以外、一切喋らないところは今でも健在だ。
「今から約2年前ですね。古谷敷さんがやめる数ヶ月前に、新人の女性が1人入部してきたの覚えてます?」
だが、古谷敷は何も答えなかった。その沈黙に耐えられなくなったのか、ゆっくりと貧乏揺すりを始めた。
「この夏生さんです。面識はありますよね?」
貧乏揺すりが1段階早くなる。どうやらストレスを感じ始めたようだ。このあたりも2年前と変わっていない。夏生はあのときのことを思い出した。
夏生が彼から告白を受けたとき、彼の貧乏揺すりは尋常でないほどの動きを見せていた。そして、夏生が彼の申し出を断った瞬間、両足で貧乏揺すりを始めたのには驚いてしまった。彼なりのストレス解消法なのかもしれない。
古谷敷は依然、押し黙っていた。
「面識はあるはずですよ。だって古谷敷さん、夏生さんに告白したんですよね?」
すると、古谷敷はゆっくりと顔を上げた。「そんなことまで知っているのか?」と言わんばかりの表情だ。
「そんな古谷敷さんに、ちょっとお願いがあるんです。実は夏生さん、ストーカーに狙われてるんです。それで先週、そのことでわたしの所に相談に来たんです。助けてほしいって」
彼は今度はゆっくりと夏生を見た。夏生は彼と目が合う前に視線をずらす。
すると、ここで初めて古谷敷の方から言葉を放った。
「も、もしかして、け、警察?」
水咲は驚いて聞き返してきた。
「どうしてですか? わたし、警察じゃないですよ」
横にいた佐々木原がくすくす笑っていた。
「もう、なに笑ってんのよ」
「ううん、別に。ちょっと面白かったから」
水咲は再び古谷敷に向くと力強く言った。
「とにかく、その夏生さんがわたしんとこに相談に来たんです」
「この大学で自殺未遂あったの知ってますか?」
佐々木原は少し緊張した面持ちでそう尋ねた。
「ああ、はい」
「それ解決したの、この華奈なんです」
佐々木原は自慢気に水咲のことを指した。
そのとき、古谷敷が眉間に少しだけしわを寄せたのを夏生は見逃さなかった。
「ちょっとののちゃん、余計なこと言わなくていいのよ」
水咲は顔を赤らめながら佐々木原のことを叩く。
「なに照れてんの? 華奈らしくないなぁ。いいじゃん、こういうことはどんどん自慢しなきゃ」
夏生はじっと古谷敷を観察していた。今の顔。表面上は何食わぬ顔をしているが、内心あせっているに違いない。あの事件を解決したのはこの水咲さんだなんて知ったら、誰だって驚くだろう。
「どうやら古谷敷さんが夏生さんに告白した辺りから、ストーカーに付きまとわれるようになったんです。多分、夏生さんを古谷敷さんにとられてしまうと思った誰か別の男が、ストーカーになったんだと思います。だから、一緒に夏生さんを助けてあげて欲しいんです。いいですか?」
「は、はぁ。そ、それで、何をすれば……」
なるほど。誰か別の男を仕立て上げて、彼を疑っていないふりをし、安心して話を聞いてもらう為にあんな嘘を水咲さんはついたのだ。
夏生には、水咲が事件慣れしているように思えた。
「ありがとうございます。早速なんですが、これを見てもらえます?」
水咲が古谷敷の隣りの席に座ると同時に、佐々木原は数通の手紙を机の上に並べた。
「これ、実は夏生さんに送り付けてきたストーカーからの手紙なんです。差出人の名前はもちろんわかりません。夏生さんが言うには、これが2年半に渡って何通も来たそうです。でね、不思議なのが、今日持ってきたこれらの手紙。この手紙ね、今月の1日から毎日送られてきたそうなんです。これは7日にきたやつですけど」
水咲は手紙を開いて見せた。そこには、目の前の男が書いたとは思えない丸文字の文面が綴られている。男は自分の手紙を手にとり、熱心に読み始めた。
『頼むからさ、愛してる、っていうフレーズの入ってる歌は歌わないでくれ。お前が言うと気持ち悪くてしょうがない。今日、カラオケ行っただろ。実は僕もその後ついてカラオケ行ったらさ、偶然にもお前の隣りの部屋だったんだよ。お前の下手な歌が聞こえてきたぜ。僕は1人で部屋で歌わずに、お前がいた部屋の歌声を耳を澄まして聞いてた。下手な人間が、愛してる~、なんて歌うな! バーカ!(11/7)』
「今まで毎日送ってくることなんてなかったのに、どうして急に毎日送って来るようになったんだと思います?」
手紙を読むのに熱中していた為か、古谷敷は我に返って生返事をした。
「さぁ……」
夏生には、どうして彼が自分の手紙をそんなにも熱心に読んでいるのかが不思議だった。手紙を読みながら、そのときのことを思い出しているのだろうか。それとも、自分の手紙を客観的に見て、あまりに酷い文面に反省しているのだろうか。いや、それはないか。
「でもね、わたしこれらの手紙を読んでわかったんです。犯人はこの大学の人間だなって」
水咲は手紙の山から1枚を取り出した。
『目を突き刺すその真っ赤なセーターはやめろ。人様の目を傷つける気か。道草食わずにまっすぐ帰って正解だ(12/13)』
水咲は古谷敷に向き直る。
「この手紙は12月13日に送りつけています。12月と言えば、いよいよ寒さも本格化する頃ですよね? その時季、赤いセーターだけでは寒いはずです。だから、上にもう1枚コートを羽織っているはずです。なのに、このストーカーはコートを羽織っていない夏生さんについて書いている」
水咲は体を前のめりにしてゆっくりと言った。
「この手紙から、夏生さんはこの日はどこにも寄らずに帰ったようです。アルバイトも今年から始めたから、このときは学校以外は外出してない。ということは、コートを羽織っていない夏生さんを見ることができるのは、彼女が家にいるときか、授業を受けているときのどちらかです」
彼女の言う通り、家に居るときは怖くて四六時中カーテンを閉めていたので外から覗かれることはない。ということは、大学で見られていた可能性が高いわけだ。どうして気付かなかったのか悔やまれてならない。
今さらながら、夏生は水咲の鋭い洞察力に恐れ入った。
夏生は古谷敷の様子を窺った。彼は机の1点を、瞬きの多い目でじっと見据えたまま動かなかった。いや、唇だけがわずかに動いた。
「も、もしかして、この大学とは、か、関係ない人が、し、忍び込んだのかも……」
小さな声でボソボソと喋ったので聞き取りづらかったが、ここにきて古谷敷が初めて反論した。
「残念だけど、それはないのよね」
初めての反論は、束の間で水咲に否定された。
「赤いセーターのことが書いてある手紙は12月13日。13日って土曜日なんです。夏生さんは土曜日は英語のリスニングの授業だけ受けてたんです。で、そのリスニングの授業なんだけど、この授業は視聴覚室でやります。視聴覚室はテープレコーダーの数に限りがあるから、受けられる学生の人数がぴったり決まっています。先生も手元の座席表で学生の名前を把握してます。だから、関係者以外の人間が忍び込んで授業を受けるのは無理なんです」
古谷敷の表情をうかがった。自分の反論を覆されても落胆している様子は見受けられない。
「赤いセーターについて書けるのは、去年土曜日のリスニングの授業を受けていた人間だけです。しかもわたしは、ストーカーは夏生さんが所属する英会話サークルの人間だと思ってますけどね」
徐々に落ち着きを取り戻した古谷敷のか細い脚が、また慌しくなってきた。
終始落ち着いている水咲の組まれた綺麗な脚は、左右の脚を組み替えて説明を始めた。
「夏生さん、最近、ストーカーからの電話を断ち切るために番号変えたんです。けど、番号変えた次の日には、ストーカーは彼女の番号をもう調べ上げてたんです。こういう場合、ストーカーはどうやって新しい番号を調べるのかというと、郵便受けに投函された電話の料金明細を盗み見て、番号を調べるそうなんです。けど、夏生さんの場合、いくらなんでも早すぎます。番号を変えた次の日です。料金明細から調べ上げたとは思えません」
水咲は頬杖を突きながら、更に説明を続けた。
「わたしのサークルにもあるんですけど、サークル名簿ってありますよね? 英会話サークルにもあるそうです。夏生さんは番号を変えたから、次の日すぐにサークル名簿の電話番号の欄を書き直したそうなんです。だから、ストーカーがそんなに早く番号を嗅ぎ付けたのは、名簿を見たんじゃないかと思うんです。名簿の在りかを知っているのは、サークルに所属する人間か、または所属していた人間」
以前に水咲は、恋愛の妬みがストーカーになる要因として、古谷敷が怪しいのではないかと推測したが、こういった小さな状況からも、ここまで犯人を絞り込むことができるものなのだ。2年半もの間、誰なのかも分からず悩み続けたのに、水咲は1日で犯人を推し量ってしまった。正体が分かった途端、今までの苦しみが半分にまで解消された気分だ。
水咲には感謝の気持ちで一杯だった。
「これらの手紙を見る限りでは、ストーカーは自分がこの大学の人間であるということを隠そうとしてたみたい。だって、学校での夏生さんの様子は一切触れていないですからね。どれもこれもみんな、学校以外の夏生さんを手紙で書いてる。自分は大学の人間ではないということを悟られないようにしてるんだよね。例えばこれなんかそうですね」
『てめぇの食生活は乱れてる。朝と昼はどんなもん食ってるのか知らねぇけど、夕食見る限りではよくねぇな。そんなことしてりゃデブになるわ。ブタだよ、ブタ。お前ももうおしまいだね。ブタになるのは簡単だけど、元に戻すのは大変だ。かわいそうに、将来お嫁に行けないんじゃないか?(11/6)』
「この手紙もひどいよね。人の将来の心配なんて大きなお世話だよ、って感じだよね。自分の将来のこと心配しろよ、って感じ」
佐々木原の言葉は心を和ませる力がある。自分の言いたいことをさらりと代弁してくれる。勿論、佐々木原にも感謝の気持ちで一杯だった。
水咲は、佐々木原に笑顔を返すと古谷敷と向き合った。
「この『朝と昼はどんなもん食ってるのか知らないけど』っていうのが、いかにも自分は大学の人間ではないと強調してるみたいです。大学の関係者から一生懸命切り離そうとしてるんですよ」
古谷敷は居ても立っても居られない気持ちなのか、目のやり場に困っている。
「あっ、そうそう、そういえばこんな手紙もありました」
水咲は机の上から1枚の手紙を摘み上げた。それを丁寧に読み上げる。
「あいつは誰なんだよ。毛糸のカバンを持ってる奴。ほら、頭に黒のサングラスをのせた髪の長い女のことだよ。また変な女と友達になったんだな。風俗でもやってそうな女じゃないか。やっぱ、類は友を呼ぶとはほんとだな。バカな女にはバカな女がくっつくんだ。お前の隣りにいたもう1人の背の低い女は、お前に懐いてなかったな。だって、どう見たって賢そうな女だったもんな。そりゃ、懐かないわ」
そこまで読むと、隣りで大人しく立っていた佐々木原は笑みを浮かべていた。彼女は下を向きながら、歯を出して嬉しさを堪えていた。
水咲はその様子を横目でチラチラ見ると、少しふてくされながら手紙の朗読を続けた。
「お前みたいな女はどこに行ったってだめな女だよ。だいたい、人の気持ちも考えないんだもんな。そんな奴はどこへ行ったってだめだ。11月12日」
全文を読み上げると、水咲は座り直して背筋を伸ばした。
「風俗でもやってそうな女っていうのは、どうやらわたしのことみたいなんだけど、そんな変なふうに見えます? バカな女に見えます?」
すると、その回答は古谷敷ではなく、佐々木原が答えた。
「見えないこともないよねぇ」
「うるさいなぁ。ののちゃんは黙ってなさい」
水咲は佐々木原の尻を叩いた。そして、手紙をトントンと揃えて束ねた。
「実は、わたしが今読んだ手紙が最後の手紙なんです。それ以降、手紙が送られて来ないんです。これもまた不思議なことで。どうして書くのやめたんでしょう?」
「さぁ……」
すると、素っ頓狂な声を上げる佐々木原がいた。
「ああ! これってもしかして、ホームページを見ることができる携帯ですか?」
佐々木原は机の上に置いてあった古谷敷の携帯電話を見てそう叫んでいた。
「は、はい」
「うわぁ、いいなぁ。これ、いくらするんですか?」
「に、2万円」
佐々木原は古谷敷の携帯電話を手に取った。
そのとき、今まで無表情だった古谷敷は、携帯電話を手に取っていじくっている佐々木原を見て、不安気な表情をしてみせた。
水咲はにこりとすると古谷敷に問い掛けた。
「この携帯って、Eメールや画像も送れるんですよね?」
「は、はい」
「でも、画像を送れるって言ってるけど、みんなどんな画像を送るんでしょうね?」
古谷敷は相変わらず「さぁ……」の一言で返事を終わらせている。
こんな大人しい人間がストーカーをしているなんて信じられなかった。いくら人と話すのが苦手だとは言え、そこまで口数が少ないと考えものだ。これから社会に出てやっていけるのだろうか。いや、就職活動をしていないのだから社会に出る気もないようだ。親のすねをかじって一生暮らしていくのだろう。
こんな人が、よく私に告白をしたものだ。人に自分の想いを伝えるというのは結構勇気が要るものだ。きっと、彼にとって人生最大の勇気だったに違いない。それはすごいことだ。私の為に、小さな勇気をかき集めて告白した大きな勇気は認めたい。だが、その後が良くない。せっかく振り絞った勇気は、結局のところ、人への恐怖となってしまった。2年半もの恐怖。それは、言葉に言い表せない程の辛い毎日だった。楽しいはずの学生生活が、半分以上も無駄にしてしまったのだ。この代償は大きい。
そんなことを夏生が思っていると、水咲がタイミングよく言葉にしてくれた。
「夏生さんのストーキング、聞いてみたらすごいですよ。手紙以外にもメールも毎日送って来るし。最近は、学校を終わった後も、家に帰るまでずぅっとくっついてくるそうです。それで、家の外でも見張ってるらしいんです。私生活を完全に監視されちゃってるんですよね。実は、夏生さんがわたしの所に相談に来たきっかけというのが、画像を送って来たからなんです」
古谷敷は横目でチラチラと佐々木原の様子をうかがっていた。
「それが、ただの画像じゃないんです。夏生さんのお部屋の画像なんです。しかも明らかに、家の中に侵入して撮った映像なんです。どう思います?」
古谷敷は唸って首を傾げるだけだった。
「ひどいですよね? 絶対ひどいですよね?」
「ええ、まぁ……」
古谷敷がそう答えて一呼吸置いた後、水咲の口から、今までの話の流れからは想像できない質問が飛んだ。
「あのぅ、古谷敷さん。夏生さんにストーキングしているのは……あなたですか?」
そこにいた水咲以外の3人は目を丸くさせた。
一体どうしたというのか? 水咲さんともあろう人が、どうしてダイレクトにそんなことを聞いたのだろうか?
すると、古谷敷は今日2回目の反論をした。だが、その反論は、1回目の反論とは打って変わり、はっきりとした口調だった。
「ボクは何も悪いことはしていません!」
夏生と佐々木原は引き続いて目を丸くさせた。あの古谷敷が、はっきりと反論したのである。あんな古谷敷の声量、聞いたことがなかった。
「そうですか。わかりました。じゃ、行こっか」
佐々木原は携帯電話を古谷敷に返す。古谷敷は、電話に変なことをされていないか確認していた。
「そういうわけで、古谷敷さん、何かわかったこととか思い出したことがあったら、いつでも名探偵研究会の部室に来て下さい。今度はいつ学校に来るんですか?」
「あ、あした」
古谷敷の口調が、いつもの弱々しい口調に戻った。
それを聞いた佐々木原は羨ましそうに言った。
「いいなぁ、週2日かぁ」
その後、すかさず水咲が尋ねた。
「学校がないときは何してるんですか?」
「…………」
「就職活動はしてないんですか?」
「ええ、まぁ……」
水咲は微笑みながらうなずいていた。
そして、3人は教室の出口へ向かう。古谷敷に背中を向けた夏生は、緊張感からようやく開放された。果たして彼は、私達が疑っていることに気付いているのだろうか。そして、ちょっとは私の苦しみを分かってもらえたのだろうか。いつの日か、必ず証拠をつきとめて、面と向かって「やめて下さい」と言いたい。
廊下に出ると佐々木原と肩を並べて歩いた。間もなく後ろから水咲の声がした。
「夏生さんにストーキングしているのは……」
彼女は教室の入口で立ち止まっていた。
「……あなたですよね?」
古谷敷の口調を変えさせたさっきのダイレクトな質問は、今度は少しだけ違っていた。
「わたし今まで、罪を犯した人に何人か会ってきましたけど、当然ですけど、その人達はみんな自分の犯した罪を隠そうとします。だから犯人に、こういう事件があったんだよって言うと、自分はさも知らなかったように驚くふりをします。けど、あなたは違いました」
古谷敷は水咲から目を逸らした。
「夏生さんがストーカーに付きまとわれているって言ったとき、どうしてあなたは驚かなかったんですか? 部屋の画像を送りつけられて、わたしが『ひどい』と言ったことに賛同してくれなかったのはどうして? 自分が好きだった女性が、ストーカーの被害に遭っているのに」
水咲は腕を組んで机に腰掛ける。
夏生らは、教室の入口に戻って水咲の話を聞いた。
「それでわたし、あなたは驚くふりをするなんて小芝居、できない人なんだって思いました。そう思ってたんですけど、あることを思い出して考えが変わりました。『ストーカーは、自分のやっている行為が悪いことだと思っていない』」
水咲と古谷敷の間には、長机2つ分の距離があった。
「さっきわたしが、『ストーキングしているのは、あなたですか?』って聞いたら、変な返事をしましたよね? 『ボクは何も悪いことはしてません』て。『あなたですか?』って聞いているんだから、『自分じゃない』ってどうして言わなかったんです? 普通なら、自分を事件から切り離そうとします」
水咲は身体を前のめりにして、少しだけ2人の距離を縮めた。
「どうして切り離そうとするのか分かります? 自分の犯した行為は悪いことだと認めているからです。切り離さなかったら、犯罪者になっちゃうから。けど、あなたに驚くふりなんてできるわけない。自分の行為が悪いことだって、自覚してないんだもん。だから『ストーカーは自分じゃない』って否定しないで、『何も悪いことはしてない』って、自分の行為が悪くないことを主張したんです」
そこまで一気に言い切ると、机から降り、ゆっくりと力強く断言した。
「女を怒らせたら……痛い目に遭いますよ」
水咲の声は普段の甘い美声からは想像できない程、鋭い口調だった。彼女はしばらく古谷敷をにらみつけてから、その教室を後にした。
夏生と佐々木原は、行ってしまった水咲を慌てて追いかけた。
*
水咲、佐々木原、夏生の3人は、この事件の会議室とも言える、名探偵研究会の隣りの空き教室へ向かって歩いていた。
「本人に面と向かって言っちゃったねぇ」
「あれくらい言わないと、自分が悪いことをしているってこと、気付かないからね」
「でも、面と向かって言っちゃって脅してきたりしないかな?」
夏生は少し不安だった。あんなことしたら、何をしでかすかわからない人間だからだ。それは、この2年半を通じてよくわかったことだ。
しかし、水咲はそんなに深刻には考えていなかったようだ。
「それは大丈夫だと思うよ。少なくとも、今日のことに関しては一切触れることできないからね。そんなことを言った瞬間、古谷敷さんが犯人だって証明できちゃうもん。わたしは彼にしか、今日の話はしてないんだから」
「あっ、そっか」
「多分、彼、授業がないときは夏生さんをつけるために学校に来てるね。だから就職活動やってないんだよ。でもこれで、彼は夏生さんに簡単に近付けなくなったよ。犯人だ、って言ってやったからね」
やがて、3人は会議室へ辿り着いた。
水咲は席に着くと、再び手紙を開いて1枚1枚読み始めた。
夏生は水咲の隣りに座ってその様子を横から見ながら、ふと尋ねた。
「ほんとに、犯人は古谷敷さんなんだよね?」
まだちょっと信じ難いことだった。あんな気弱な人間がストーカーをやっていることが。
水咲は背伸びをしながら答えた。
「間違いないね。画像を送れる携帯も持ってたし。ね?」
佐々木原はうなずいて答えた。
「夏生さんに送信したメールの履歴が残ってないか調べてみたんだけど、だめだった。ロックされてて、何触っても動かなかった。それを見つけられたら証拠になったのに」
「世の中うまくいかないよね」
水咲は再び手紙とにらめっこを始めた。
「どうしても、この12通の手紙が気になるんだよね。しばらく手紙を書いてこないと思ったら、急に毎日書いてきて、それでいきなりやめちゃってる。どうしてこんなことしたんだろう? なんか意味あると思うんだよね」
水咲は両手で髪をかき上げ、額を露わにした。そして、そのままじっとして動かなくなると、そのうちの1枚を囁くように読み出した。
「毎日思うけどお前はどうしてそんなに厚化粧なんだ? 化粧ってのは、素顔を隠すためにやるわけだろ。しかも、美しくなろうと思ってやるわけだろ? お前のは何だ? 化粧になってねぇよ。そのまんまじゃねぇか。ってゆうか、化粧のせいで余計に不細工になったんじゃないか? それとも、そんなに厚化粧してるのは、素顔が不細工だと自覚してるからか? 不細工を超えてる不細工は、いくら化粧したって不細工だよ。11月9日。9日……か」
水咲はしきりに首を傾げていた。
「てめぇ……」
水咲が発した汚らわしい言葉に佐々木原はすぐさま反応した。
「えっ? なに? 今なんて言ったの?」
「てめぇ……か」
「て、てめぇ? な、なんで? ど、どうしちゃったの? 頭おかしくなっちゃったの?」
「てめぇ、ねぇ」
「絶対おかしいよ。ストーカー菌が移ったんだよ、きっと」
夏生は微笑みながら佐々木原のことをなだめた。きっと彼女は、他の人には気付かないことに疑問を抱いているに違いない。夏生は優しく尋ねた。
「何を悩んでいるの?」
「実はね、手紙を見せてもらったときから気になってたんだけど、今月の16日に送りつけた手紙がすっごく気になるんだよねぇ」
夏生と佐々木原は、水咲が気にかけている手紙を覗き込んだ。
「その手紙だけ、夏生さんのことを『てめぇ』って表現してるんだよねぇ。どうしてなんだろう?」
夏生は山積みになった手紙から1つを摘み取って、自分の目でその事実を確かめてみた。確かに彼女の言う通りである。彼女が指摘する以外の手紙はどれも『お前』と表現している。一体どうしたのだろう。この手紙を書いたときだけは、いつもと違う気分だったのだろうか。何かよほど気に障ったことでもあったのだろうか。
「何か意味がある気がするんだよねぇ」
夏生は水咲と一緒になって頭を悩ましてみたが、ちょっとやそっと考えただけでは、彼の心は読み取れそうになかった。
「不良マンガでも読んでたんじゃないの?」
佐々木原の意見に夏生は思わず笑ってしまった。
「あの人、マンガとかですぐに影響されちゃう人なんだ? そうだとしたら単純な人だね」
「単純ですよ。顔の特徴も単純。簡単に似顔絵なんて書けちゃえます」
佐々木原はかたわらにあったスケッチブックを開くと、真っ白の紙に古谷敷の顔をみるみる浮かび上がらせた。ものの2、3分でさっき対面したときの記憶だけを頼りに描いてしまったのだ。夏生は佐々木原の隠れた才能を今さらながら知らされた。
「すごい! そっくり! 絵、上手なんだ」
「絵を描くのが好きなんです。暇さえあればなんでも描きますよ」
「もしかして、そのスケッチブックはたくさん絵が描いてあるの?」
「そうですよ」
「見せて見せて」
夏生は順々に彼女の作品を観賞した。建物から人物まで様々な絵が描かれていた。とても繊細な絵だった。とても落ち着いた絵だった。彼女の作品はどれも明るかった。光の下でその絵を眺めているようだった。水咲の後ろ姿を描いた作品もあった。髪の毛1本1本まで丁寧に描かれていた。そよ風が吹いただけで絵の中の髪が揺れだすのではないだろうか。
そんなやわらかいタッチの絵もあれば、マンガチックに描かれた絵もあった。
そのスケッチブックは、佐々木原の心を覗いているようだった。これを見れば、彼女の人柄が一目瞭然のように思えた。
「これは見ない方がいいですよ」
佐々木原は、とあるページを素早くめくってじっくり見せないようにした。
「これ、前にあった自殺事件に関係した絵ですから」
ちょっと見てみたい気もするが、せっかく気を遣ってくれたから見ないことにしよう。
「あっ、これは何?」
画用紙の中央には表彰台に乗っている3人の人間がいた。1位は真ん中で一番高く、3位は一番低い、オリンピックなどのスポーツ大会にお目見えするあの表彰台だ。ところが、3人の入賞者はスポーツをしていたとは思えないカジュアルな服装をしていた。
「これは先月やった大学対抗アニメ製作発表会の授賞式なんです。うちの大学、3位に入賞したんですよ。3位のところに立っているのが、私の友達の金織さんです。サークル活動7年目にして、ようやく入賞したみたいです。授賞式、見に行っちゃいました」
「アニメ、面白かったよね」
水咲はストーカーの手紙を見ながらポツリと呟いた。
「華奈と一緒に見に行ったんです。入賞した3作品はその場で上映したんですよ」
「ヘぇー、そうなんだ。私も見たかったなぁ」
「実は私、前はこのアニメ研究会にいたんです。だから頼めば見せてくれますよ。華奈と2人でお願いすれば、絶対に見せてくれますよ。ね? 華奈」
そう言って佐々木原は、受賞者3人が表彰台に乗っている様子を描いた絵を水咲に見せた。
2人は水咲に注目した。ところが、水咲はその絵をじっと眺めるとしばらく動かなくなった。特に奇抜な絵ではない。いたって微笑ましい情景だ。きっと、水咲もその絵を何度も見ていて知っているはずだ。今さら目を凝らして見るほどではないだろう。
「おーい、華奈。どうしたの? 私の絵、なんか変?」
水咲はその絵をきっかけに他の手紙を振り返る。
「うっそー、そういうこと? だから、てめぇなんだ」
水咲は立ち上がると、たった今の真剣な表情は消えていて、元の笑顔で夏生に語り掛けた。
「ののちゃんと2人でお願いすれば、アニメ見せてもらえると思うけど、その前に古谷敷さんにガツンと言ってやらないとね。間違いなく彼が犯人だよ」
水咲の突然の事件解決宣言で、夏生は今の状況が把握できなかった。こんなに早く? 嘘でしょ? 警察は何もできなかったのに?
佐々木原はもう一度自分の絵を覗き込んでいた。自分も負けじと、事件解決の手掛かりを見つけようとしているのだろう。
「急いでお昼にしよっか。古谷敷さんを捕まえないとなんないし」
そう言いながら勢いよく立ち上がった水咲を追いかけるように、夏生も立ち上がりながら呟いた。
「あの人、もうあの教室にはいないと思うから、見つけるのが大変だと思うけど」
「夏生さん、3限目の授業あるんだよね? だったら大丈夫。彼、きっとその教室の近くに現れるから」
それを聞いて、改めて古谷敷の不気味さが伝わってきた。けれども、次の水咲の言葉は、言葉に言い表せないほどの励みとなった。
「夏生さん、もう安心して。あなたのつらい2年半は、今日の午後で終わるからね」
夏生は大きくうなずいた。何度も何度もうなずいた。涙で滲んできた目を彼らに気付かれないようにしてうなずいた。そして、日本語で最も美しいとされる言葉は、最後の最後にとっておこうと思った。
「うー、全然わからん」
佐々木原は小さな声で呟いた。
第8話 歪んだ愛情~事件編《後編》【完】




