最終話 聖女は帰りました。
傭兵が絶命したのを確かめた勇者は、最上階へ向かった王女を追いかける。
その途中、勇者の脳裏に邪神討伐の記憶が蘇る。
ある時、邪神の眷属に家族を人質に取られた者たちが襲いかかってきた時がある。
脅迫されているからだと、勇者は彼らを殺さずに倒すつもりだったが、聖女は容赦なく首を刎ねた。
何故と問う勇者に、聖女はこう答えた。
「彼らは自分たちで家族を取り戻すわけでもなく、誰かに助けを求めるわけでもなく、私達を殺すことを自らの意思で選びました。なら、それはもう敵です。敵は必ず殺します」
それから勇者と聖女は邪神の眷属を倒し、人質を解放した。
開放された人質たちは自分たちの家族がどうなったのかを聞くが、聖女は勇者に言ったのと同じ言葉を口にした。
無論、それで納得出来ずに家族の敵討ちと襲いかかってくる者もいたが、聖女は変わらずにその者を敵とみなして殺した。
その一方で、聖女は敵でない者には不気味なほどに慈悲深かった。
病にかかった少女のために薬草を取ってきたり、恋人をさらわれた騎士のために手を貸すこともあった。他人をかばって死にかけたのも一度や二度ではない。
彼女の心の半分は、間違いなく聖女と呼ぶにふさわしい慈愛で出来ている。しかし残りの半分は敵に対する残酷さで作られていた。
どうしてそうなったのかと聖女に問いかけたこともあった。
「人間はいつだって優しさと残酷さが同居しています。普通の人はまぜこぜになってますが、私の中ではきっちり別れているだけです」
普通の人間は優しさと残酷さが互いに中和しあっているので、どちらも強く出てこない。しかし聖女は白黒はっきりしすぎているせいで、全く中和されずに両立してしまっている。
それが人間離れした慈愛と残酷が発露される理由なのだ。
勇者にとって、ほんの僅かなしくじりが致命になりかねない聖女との付き合いは邪神よりも恐ろしかった。
人間というものは他人の優しさに甘えてしまうものだ。もし聖女が施す慈愛を当然のものとして、無意識のうちにつけあがってしまったら? 次の瞬間には敵と判断されて首を刎ねられるかもしれない。
勇者にとって邪神討伐の旅は、常に聖女に対する恐怖との戦いであった。
そんな事を考えているうちに最上階にたどり着いた。
扉を乱暴に開けた勇者が見たのは、聖女が王女の首を刎ねる瞬間であった。
「あら、勇者様。戻ってこられたのですね」
「王女を殺したのか?」
「ええ。気絶した私を介抱してくださったのは良かったのですが、私を都合よく利用するつもりとわかったので殺しました」
この国の王族は大半が邪神の勢力によって殺され、かろうじて生き残った3人も聖女によって殺された。王国は滅んだも同然だ
「勇者様はどうしてお戻りに?」
聖女を殺すためにとは口が裂けても言えない。
「い、一度は逃げ出したが、やっぱり君が心配になって」
「まあ、私を助けに来てくださったのですね! やはりあなたは本物の勇者様です」
「けど、必要なかったな」
「いいえ。私を助けようとしたのは勇者様だけ。その気持が何よりも嬉しいのです」
聖女は感極まって、勇者の両手を掴んだ。
柔らかく、白魚のように美しい聖女の手のひら。男ならその感触に喜ぶだろうが、しかし聖女を誰よりも知る勇者にとっては恐怖でしか無い。
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それから勇者は新しい国王となった。
王家は聖女を奴隷として使役するつもりだったと喧伝したおかげで、人々の多くは勇者が次の王にふさわしいと認めた。
勇者は国の復興に尽力する傍ら、聖女を元の世界に送り返す儀式の研究を国家事業として進めた。
それから数年後、儀式はついに完成する。
「本当にありがとうございます。よその世界の私にこんなにも親切にしてくださって」
「君は私達を救ってくれた。この程度は当然だ」
儀式が発動し、異世界への扉が開く。
「勇者様! このご恩は決して忘れません」
「ああ! 私もだ」
こうして聖女は元の世界へと帰っていった。
「終わったか? 聖女は確かに元の世界に帰ったか?」
勇者は儀式を制御する魔法使いに、念入りに確かめた。
「はい。間違いなく聖女は帰りました」
「そうか……そうか! やっと、やっとあいつから解放された!」
勇者は全身の力が抜けてその場に崩れ落ちる。周囲にいる人間も、緊張から解放されて魂が抜けたような顔をしている者や、感動して泣きながら抱き合っている者たちもいた。
後の歴史書ではこの日こそが、真に王国が救われた日として記録されている。