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第15話「運命とは都合のいいものでは無い」⑤

「――ちょ、清水……」



 真白がそうと言って身をよじる。私は彼を離さないよう、より一層強く、体を抱く力を強くした。


 真白が肩からかけているバッグを避けて、胸を押し当てる。むにゅりと形が潰れて、真白はどうやら、その感触に驚きを隠せていないようだった。



「……清水、じゃなくて、心春って呼んで」



 私はもっと胸を押し当てて、彼を誘惑しながら言う。真白はしどろもどろになり、「ちょっ、と、待って」と声を震わせた。



「どういう、こと? 君、べ、別の部屋にいくんじゃ……」


「そんなわけないじゃん。ここ、どこかわかってるの?」



 私はくすりと笑いながら、真白の耳元に顔を近付けて、そして、彼のすぐ横で、息を吹きかけるように囁いた。



「……ここ、ラブホだよ?」



 私の囁きを聞き、真白はビクリと、身を硬直させた。


 ――そう。ラブホテル。男と女が部屋に入って、あんなことやこんなことをする場所。カップルの集まる、愛と欲望の憩いの場所。



「真白、知らなかったんだ。まあ、酔ってたし、アンタ、童貞臭いしね。……予想通りで、逆にびっくりしたよ」



 私が更に囁くと、真白は「ちょっ、清水!」と声を張り上げ、大きく身をよじって、私の拘束から逃れた。


 私は「あっ」と、跳ね除けられ、手を放してしまう。真白は息を荒げて、強い困惑の中私を見つめた。



「な、なに、考えてるの!? それはいくらなんでも、ダメだろ!」



 真白が身振り手振りを大きくして叫ぶ。私はため息を吐いてから、一歩、一歩と彼に近づいた。


 真白が「あっ、」と呟きながら、一歩、一歩と後ろへ下がる。そうして彼が壁に背を着いてから、私はそれを追い詰めるように、彼の体にぴったりと密着した。



「なに考えてるのって、そんなの、決まってるじゃん。男女でこういう所入ったのなら、そんなの、やることなんて一つでしょ」



 ――そう。全部、この瞬間のために準備をしていた。


 ロマンチックな雰囲気も。彼の体に何度も何度も擦り寄ったのも。全て、彼を夜の営みに誘い込むためだった。



「――ねぇ、真白、」



 私は真白を上目遣いで見上げ、そして、更に強く、胸を押し当てるように、彼の体に抱き着く。



「……しよ?」



 淫猥な雰囲気を醸して、私は真白に迫った。


 真白は、貞操観念が強い。こう言った行為を、どこか神聖化している節がある。


 彼にとって男女の営みとは、単に欲望を満たす行為なのではなく、まさしく『愛』故の行いなのだ。そもそも、童貞ほどこうした情念が強く、だからこそ、彼らは『愛』に踏み切ることができない。


 それは言い換えれば、責任感の強さにもなる。とどのつまり、真白とひとたびそういう行為に及んでしまえば、彼は結局、私と付き合わざるを得ない、ということになる。


 まともな状態の彼なら、恐らくはこうも流されはしなかった。どこかで気が付いて、せめてネットカフェで、男女別々で部屋を取って事なきを得る、位のことはしただろう。


 だからこそ、彼が全く知らない世界で、困惑と勢いに任せてお酒を飲ませて、理性の留め金を外したのだ。事実として、真白はそうして、やんよやんよとここまでついてきてしまった。


 やや強引に彼を連れ回しはしたが、ここまでくれば、もう大丈夫だ。最後の一線で、酔った勢いに任せて同意を勝ち取れば、私はそれだけで、彼と付き合うことができる。


 真白だって男だ。性に関する欲求はそれなりにはあるはずだ。男がこうまでされて、女に手を出さないわけがない。


 私はそして、更に彼の体に艶めかしく触れた。素肌が素肌をなぞり、真白が顔を赤くさせて、ビクリと体を跳ねさせる。



「真白。しよ? 私、アンタになら、いいからさ」


「け、けど、これは……」


「気にしなくていいよ。誰にもバレない。それに、真白だってやる気でしょ? ……当たってるの、わかるよ?」


「――っ、」



 真白は顔をしかめて、私から目を逸らした。私は両手で彼の顔を掴んで、優しく、だけど強引に、私の方へと顔を向かせる。



「ダメ。こっちを見て。私だけを見て」



 真白が目を見開く。息が荒くなって、顔が上気して、明らかに興奮してきているのが伝わって来た。


 もう一息だ。このまま、彼を誘惑して、一線を越えてやる。私は小さく唾を飲みこんで、



「真白。お願い。したいの、私。アンタと。好きだから。アンタになら、私の全部、見せてもいいから。大丈夫、童貞だからって、引いたりしないから。リードしてあげるから。だから、ねぇ、真白――」



 私はそう囁いて、ゆっくり、ゆっくりと、彼の唇に、顔を近づけていき。



「――私と、付き合って」



 そう呟いてから、私は真白の唇に、キスをしようとした。


 ――だけど、その瞬間だった。


 真白が私を引きはがして、そして、勢いに任せて、そのまま私の頬を、強く平手で叩いた。



「できるわけないだろッ! そんなことッ!」



 混乱した私を無視するように、真白はそして私の両肩を強く掴んで、大きく揺さぶりながら、酷く怒った表情で、聞いたことが無いくらいの大声を出した。



「君は――君は自分が、それでどれだけ傷付いたのか、わかっているだろ!」



 暴力的とも言えるくらいに勢いよく私に迫って、真白は責め立てるように声を張り上げる。私は男の叫び声に思わず恐怖してしまって、「――あ、」としか声をあげられなかった。



「僕に当たり散らすくらい追い詰められていたのに! 僕なんかに縋るくらい、苦しんでいたのに! そんな君に、どうしたって、こんなことができるって言うんだ!」


「で、でも、真白……ちゃ、チャンスだよ? 童貞を捨てる……」


「君を襲うくらいなら、墓場まで持っていくよそんな物!」



 真白は強く息を荒げて、私をキツく睨みつけながら言った。私はその必死の剣幕に何も言う事が出来ず、ただ小さく体を震わせていた。


 と。真白が私から手を放して、ため息を吐きながら背中を向ける。そうして彼は、肩を落としながら、私の方を見もしないで、話し始めた。



「……ごめん、叩いちゃって。……痛く、なかった?」


「あ……。べ、別に、大丈夫、だけど……」



 私は真白に叩かれた頬を押さえて、そうと返す。


 痛みがないわけではない。ちょっとだけ赤くなっているし、じんじんとした感触が、拍動と共に強くなったり弱くなったりしていた気がした。


 だけど、そんなことより。私は、ただ、取り返しのつかないことをしたかのような、そんな強い焦燥感に駆られていた。



「――清水」



 と、そんな私の心を更にかき乱すように、真白が私にまた声をかけてきた。



「ごめん。きっと、いや、間違いなく、僕が、ずっと、不甲斐ないから、君にそんな決断をさせたんだ」



 私は彼の言葉を聞き、ドキリと、冷えた感触が全身を走るのを感じた。



「あ、ちが、そんな……」


「ずっと、言おうとしてたんだ。だけど、君を、傷つけたくなくて、今日一日、ずっと、ずっと、先延ばしにしていた。君に振り回されているのを言い訳にして、自分のしなくちゃいけないことから逃げてた」


「や、やめてよ、ちょっと。何言ってんの、真白。別にさ、そんな、大げさにしなくても――」


「――清水。僕はもう、君とは会えない」



 私は、真白が裁断をするように言ったその言葉に、頭が真っ白になってしまった。



「な、なん、で、そんなことを言うの――?」



 反射的に声を紡ぐ。自分の中で、何かが瓦解していくのを感じて、だけど、だからこそ、私は自分を、止めることができなくなった。



「ちょっと、冗談やめてよ。なにをそんな、別に、会う位、どうだっていいじゃん」


「良くないからだよ、こんな関係。――付き合う気もない奴がね、自分のことを好きでいてくれる女の子と、ずるずると会ってちゃいけなかったんだ」


「よ――良くないわけないじゃん! だって、真白、私はアンタのことが好きなの! 付き合うかわからないなんてさ、そんなの、これからの話じゃん! アンタが、私のことを好きになってくれれば、それで……」


「だからだよ。僕は――君のことを、好きになれない。絶対に」


「なんで! そんなの、わからないじゃん!」



 私は懇願するように真白へと迫る。すると真白は、きつく奥歯を噛み締めた後、苦しみを吐き出すように、顔をしかめて、私に自身の想いを、打ち明けた。



「――僕には、好きな人がいる。……だから、君とは一緒になれない」



 私はそれを聞いて、世界が大きく揺れたかのような、そんな感覚に陥ってしまった。


 ウソだ。ウソだ。そんなの、嫌だ。私は意識がぐらぐらとして、足元をふらふらとさせた。



「――そ、それって、あの、姫川さんのこと……?」


「――うん」


「や、やっぱり……。なんで――どうしてなの、真白。よりにもよって、なんで、アイツ――」


「……」


「ねぇ、答えてよ、真白!」



 強い切迫感が胸を押し潰して、私の心から余裕が無くなってしまった。私は真白を壁に押し付けるように一歩を踏み出して、そして、真白の身に縋りながら、必死の剣幕でわんわんと叫ぶ。



「あ、あの子の何がそんなに気に入ったの!? だって、わ、私の方がかわいいし、私の方がお洒落だし! あ、そ、そりゃあ、おっぱいは、私の方が小さいけど……でも、私の方が痩せてるし! 話し方聞けばわかるくらいガサツそうだし、何より、変なことでいきなりキレて来たじゃん! あんな痛い女の、一体なにが気に入ったのよ! あんな奴より、私の方が――」


「清水」



 と、真白はピシャリと、私の方を睨みつけながら、凛と声を出した。



「それ以上、言わないで。いくらなんでも、アイツの悪口を言われると、君でも腹が立つ」


「あ――。で、でも! だって、事実でしょ!?」


「――うん。確かに、アイツはまあ、ズボラだよ。女の子の割にはぽっちゃりはしてると思うし、実際、君と姫川を比べたら、女の子としては、君の方が遥かに魅力的だって、客観的には判断できる」


「じゃあ、なんで!」


「――ごめん。正直、わからない。わからないけど、僕は、アイツが好きなんだ」



 真白は少し照れるように、私から目線を逸らしながら言った。



「……いつがきっかけだったとかは、正直、わからない。強いて言うなら、きっと、君と再会する前から、どこかアイツに惹かれていたのだと思う。

 だけど、ずっとその気持ちに、蓋をし続けていた。……なんでかは、わからないけど。でも、この間――姫川が、本屋で君とケンカをしたあの日に、なんでなのかはわからないけど、ようやく、自分の気持ちに気が付いたんだ。

 だから、ごめん。君とは一緒になれない。こんな気持ちで君と一緒になるなんて、そんなのは、誰よりも君に失礼だ」


「や、やだ! いやだよ!」



 私は真白に抱き着いて、彼を繋ぎとめようと、強く、強く腕に力を込めた。



「真白、私、アンタが好きなの。私のこと嫌っていてもおかしくないのに、それでも私のことを気にしてくれたアンタが! 私の事情を知って、それでもざまあみろじゃなくて、私に寄り添おうとしてくれたアンタのことが!

 ねえ、真白――覚えてる? 久しぶりに本屋で再会した時。あの時、私、運命だって思ったの。だって、あんな所でさ、もう関わりなんて無かった私たちがさ、あんな偶然再会するなんてありえる? だから、きっと、アレは、神様が、私に寄越してくれた運命なんだって。だから、真白――」


「……清水。――ごめん。僕は、運命の恋なんて、信じていない」



 真白はそう言って、ゆっくりと私を引きはがした。



「安い恋愛映画のように、2人の男女が出会って、惹かれあって、恋に落ちる。そんなことはね、どこにでもある偶然なんだよ。君と僕が再会したのだって、宝くじの一等よりかは、遥かに確率の高い話だ。

 仮に、これが本当に運命だったとしても――それはきっと、ドラマのように、都合の良い物じゃあない。僕たちは、結ばれるためじゃなくて、決別をするために出会ったんだ。あの時からずっと続いている、僕と、君との因縁に」



 真白が私を見据え、ハッキリと言い切る。私はそれで、「あっ、」と声を漏らして。


 ――ああ、そっか。きっと、それが真白の、解釈なんだ。


 そうと理解した途端、ストンと、自分の心が、諦めにへと落ちるのを実感した。


 私は立つ力が無くなって、床へと腰を落とした。項垂れて、力なくカーペットを見つめて、呆然と、もう縋ることもできずに――。



「……そんなのって、無いよ。アンタと過ごして、やっと、良いところ、たくさん見つけてきたのに。本当に、本当に、アンタのこと、大好きだって、一緒にいたいって思えたのに」


「――ごめん。僕が情けないばかりに。……本当は、最初に、君に告白されたあの時に、ハッキリと伝えるべきだったんだ。それを、僕は――迷ってばかりいて、それで君を、余計に傷付けた。謝っても、謝っても、許されることじゃない。だから、許さなくてもいい。だけど、とにかく、ごめん。本当に、ごめん」



 真白はただただ申し訳なさそうに、床にへたれこむ私に目線を合わせ、涙を落とす私に共感するように、苦味を噛み潰すように顔をしかめていた。


 ――こういう所だ。コイツは、いつだって、まず真っ先に、自分の非を見つめようとする。そしていとも容易く、真剣な謝罪を、心の底から言うことができる。


 そうやって、誰かに対して誠実であろうとする態度を、私は好きになった。


 だけど、この人の心は、もう、私の手には届かない。私はその絶望を味わいながら、真白の言葉に返事もせず、泣き喚きながら、鼻水と涙を流し続けた。

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[良い点] 打算や妥協の滲んだ恋愛に踏み切れない真白君のロマンチストなところ、心春さんがむしろ美点とした童貞くささが敗着となるの良いですよね。 真白君視点だと心春さんを振ったからといって詩子さんと恋愛…
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