第12話「20歳なのに童貞の男はヤバい」①
『その、清水……さん。も、もしもよかったら、ぼ、ぼ、僕と、つき、あって、ください……』
そう言って、目の前のもじゃもじゃ頭は頭を下げた。どこか不清潔ささえ感じるその髪型の男に、私は、心底怖気を感じていた。
高校生の頃、私は河野真白に告白をされたことがある。そしておそらく、この時期が、コイツへの嫌悪感が最も強かった時期であろうと、私は思っている。
この告白だって、気に食わなかった。わざわざ私の時間を取って、目立たない場所に呼び出して、話の種になるかな、と思って行ってみたら案の定これだ。もしもこの国に法律と言う物が無ければ、私はおそらく、全力でコイツの顔を殴っていただろう。それぐらいに、私はアイツを嫌っていた。
そも、河野真白との因縁は、幼稚園の頃にまで遡る。
意外かもしれないが、当時の真白はそれなりに可愛らしい顔立ちをしていた。ジャ〇ーズだとかイケメン俳優だとか、それほどまでの顔の良さでは確かに無かったが、まあ2、3人程度の女の子がアイツを気に入っている位には良い感じの見た目をしていたのだ。
そしてその2、3人の中には、私も含まれていた。そして私と真白は家が近い位置にあったこともあり、おそらく一際仲の良い男女だったと思う。
私は女ながらに、真白と共に男子に交じって遊んでいた。明確に意識したことは無かったけど、間違いなく、真白を目当てにしていたと思う。
遊具を掻い潜って鬼ごっこをしたり、折り紙でどうでもいい何かを作ったり。子供特有のアグレッシブさで、私と真白はよくよく体中を汚していた。
そんなある日、私は、どうやら、彼にこんな約束を持ちかけたらしい。
『大人になったら、結婚しよう』
真白は確か、小さく「うん」と答えていた気がする。もう、ほとんど覚えていないけれど。
幼馴染で、結婚の約束までした――となれば、漫画なんかでは王道のカップルだ。しかし、現実と言うのはそう良い感じなわけがなく。私は真白との約束を、小学校、中学校と成長していくうちに、完全に忘れてしまっていた。というか、覚えていたとしても、むしろ忘れようとしていただろう。
私が真白との過去を、『因縁』と思うようになったのは、小学校の三年生辺りからだ。
人間は成長するにつれて、いわば社会性と言うのを身に着けていく。幼い頃は男児と混じっていた私も、ある程度の年齢になれば性差を意識し、男子のグループから離れて女の子たちとつるむようになっていた。
となれば必然、男子である真白との関わりも薄くなる。加えてアイツは、小学生の頃からあまり他人と会話をしなくなっていて、男子グループにも属していない、浮いた人間になっていた。
教室という箱庭の中では、積極的に異性と交わる人間は後ろ指を指される。ましてやぼっちの人間と遊ぼうものなら、「お前アイツのこと好きなんだろー!」と男子も女子も騒ぎ出すし、下手すりゃいじめられる。そんなの、当然、関わるわけがなかった。
家が近くて小学校が同じなら、当然中学も同じになる。この頃の真白はもう完全に陰キャを極めた性格をしていて、とにかくどことない腐臭がするような、そんな雰囲気を纏っていた。
休み時間では寝ているか本を読んでいるかだったし、何より、なんというか、こう、捻くれ者という感じが物凄く強かった。意見はしないながらも小声で反論を呟くとか、どことなく周りを見下している感じがするとか。それでいながら確かにマジメな人間ではあったから、周りの男子が「悪い男」感を演出し始めるのに対し、校則違反は元より、学生服さえ着崩さない、漫画の生徒会長みたいな出で立ちをしていた。
だからだろうか、真白はどこか、「自分が正しい」と思い込んでいる節があった気がする。
人は案外人を見ていないが、人は案外、他人の性格を把握する物だ。どうやらみんな真白のこの性根を理解していたようで、中学一年の半ばくらいには、アイツは順当に他人から嫌われるようになった。
この頃にはもう、幼い頃の遊んだ記憶は完全に黒歴史であり、思い出させられようものなら精神が蝕まれるレベルになっていた。
なのに、その癖、真白は私のことを好きでいやがった。私自身、アイツからの好意を把握はしていたし、そして当時の彼氏や友達からはそれをいじられていたしで、本当に心底、迷惑で、腹が立った。
なんで小さい頃、こんな奴を好きになったんだ。高校も同じところに上がって、私はますますその気持ちを強くした。
――それで、真白はとうとう、高校二年の頃合いに、私に告白をしてきやがったのだ。
そりゃあ、感情も爆発する。幼い頃から、何年も、何年も抱えてきた気持ちの悪さなのだ。ここまで我慢に我慢を重ねてきたのだから、こんな出来事があれば、私だってキレる。
大体、真白が告白をして来た時には、私には別に好きな人がいた。同じ仲間内の、運動部に所属していて、それなりに良い感じな見た目の、ノリが良くて話していて楽しい男子だ。クラスでもそれなりに立場にいたのだし、真白と比べるだけ失礼という物だ。
私は当然真白を振った。真白を振ったし、次の日にはこれを話の種にして、仲間内でゲラゲラと笑っていた。しばらくすれば、クラスでもイケイケな立場にいた私に、あのクソ陰キャが告白したと言う話が学年中に広がっていて、陰口やからかいの良い材料になっていた。
ちょっと申し訳なさはあったけど、別に良いかと思った。だって、真白なんだし。大体、私はコイツに何年も苦しめられてきたんだ。だったら、これくらい、そんな大したことじゃないだろう。
大体、ああいう気持ちの悪い男が、女の子に告白をするなんて、セクハラもいい所だ。立場の違いだとか、自分のおぞましさだとか、そういうのをわかっていないアイツが悪い。
友達はみんな私の味方だった。女子は「そんなの痴漢じゃん!」と同意してくれたし、男子は「あんな奴に告られるとか、どんまい」と私を慰めてくれた。私は、私の憎しみをみんなから肯定されて、凄くいい気になっていた。
ようやっと因縁が終わった気がした。何より、私がアイツを嘲笑うと、みんなもそれで笑ってくれて、それが心底嬉しかった。
それに、これがきっかけで、良い会話の種が出来て、好きな人とも話が弾んだ。そのおかげで、私は無事好きな人と付き合うことが出来た。
あの頃は本当に幸せだった。それまでの人生で、ぶっちぎりで楽しかった時期だったと思う。
私はそうやって、青春と言う絶頂に、酔いしれていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「――クソ」
ベッドで頭を抑え、私は目を覚ます。スマートフォンからの鬱陶しいアラームが癪に触り、大きくため息を吐きながら音を切った。
嫌な事を思い出してしまった。高校時代の――真白を寄ってたかってバカにしていた頃の記憶を。
心臓がバクバクと音を鳴らす。罪悪感と不安感で心がひしゃげて、息が切れる。
夢と言うのは、多くの場合、荒唐無稽な物だ。それでも私たちは、そのあり得ない内容に精神を蝕まれる。それが過去に起きた出来事であるなら、尚更だろう。
私はもう一度、大きくため息を吐いてから、ベッドから立ち上がる。そして洗面所と兼用になっているキッチンのシンクに行って、そこでホルダーに入れられた歯ブラシを手に取る。
無心で歯を磨く、というわけにもいかなかった。頭の中で、かつての記憶が何度も反復して、だからこそ、やけに嫌な感情が募っていく。
なにがセクハラだ。他人が他人に好意を抱いて、告白をするまでは至って普通な恋愛行為だ。そりゃあ、嫌いな奴から告白されたら嫌だろうけど、だからって、その感情を露わに、ソイツを殴るのは、お門違いだ。
なにがアイツが悪い、だ。別に、お前が罰を与える必要は無かっただろう。自分が楽しむための言動に、そうやって理由を付けて、正当化するな。そんなのは、男とか女とか関係なく許されない。
わかっている。これは、私が犯した罪なのだ。ともすれば、一人の男の人生を壊しかねない、それほどに大きな、決して許されない罪。真白がああして、今、大学生を送っているのは、何よりも、アイツという人間の心が強いからだ。とどのつまり、私から見たら、運が良かっただけだ。
――クソ。もしもタイムマシンがあったのなら、私はきっと、あの頃の自分を殺しに行くだろう。
あまりに未熟だった。子供だから仕方がないなんて、そんな言葉ですまされないほどには。私はある程度歯を磨いてから、蛇口から水を出して、手でそれをすくい口で吸いこんだ。
しばらくぐちゅぐちゅと水で口内を洗い、そして「べぇ」とシンクに吐き出す。何度かそれを繰り返して、歯磨き粉が無くなるのを確認すると、洗顔料を使って、今度は顔を洗う。
顔を洗ってからは、「よし」と言って化粧台に向かう。そして化粧台の上に置かれたコスメグッズを一瞥してから、気合いを入れて、自分のすっぴん顔をメイクし始める。
――今日は日曜日。昨日真白と約束した、デートの日だ。
やや強引な取り付け方だったが、アイツはこうなると絶対に来る。途方もなく良い奴なのだから、つまりアイツは、押せば押すほど断れなくなる。
恋とは心理戦だ。相手の性格をいち早く把握して、最も効果的な手を打つ。打算的で腹黒い感じもするが、そも、恋愛をそんな清純で綺麗な物だと思っているのが間違いという物なのだ。
特に真白は、責任感が強い。もしも一度でも「夜」を許せば、それはつまり、「ゴールイン」を意味しているだろう。そこまでいけば、すなわち私の「勝ち」なのだ。
と。そこまで考えてから、私はふと、かつての自分を頭に思い浮かべた。
『無理だよ、産んで育てるなんて!』
『だってそんなことしたら、絶対この子を幸せにできない!』
……そう言えば、少し前は、親とそんな感じで、よくケンカをしたな。
妊娠が発覚した後、私は決断を迫られた。新しく芽吹いた命を殺すか、親として産み、育てるか。
どちらが正しいとは、言い切れないだろう。しかし、私の家族は、堕ろすことに反対だった。そりゃあ、倫理的にどうかとは私だって思うし、今でも後悔はしている。
だけど、結局私は、子供を殺す選択をした。私はそうして、酷く頭痛がするような感情が走り、一度メイクの手を止めて、大きく息を吐いた。
「……ダメに決まってんでしょ。いくら真白だからって、そんなホイホイと体を許すなんて、できるわけない」
その選択が思い浮かんだこと自体に、強い嫌悪感が沸き上がった。あの頃から、必死に変わろうと足掻いてきたけど、結局自分が、なにも変わっていないのだと、証明されている気がして。
なにより、過ちにより産まれた命は、取り返しがつかない。生かすにしても、殺すにしても。だとしたら、そんな、無責任な選択は、取れるわけがない。
体にかかる負担も、そのための費用も、私からすれば雀の涙だ。そんなことより、一度でも人を殺めたというこの事実が、私の心を強く締め付けている。
――そう。だから私は、アイツを好きになったんだ。私はため息を吐いて、また鏡に向かい合う。
女にとって、男とは何が一番重要なのか。それは、収入でも、身長でも、学歴でもない。
責任感だ。絶対に裏切らないと言う、私や、私が産み落とすであろう命――他にも色々あるだろうが、その全てに対して、しっかりとした責任と、誠実さを持てること。それが、何よりも大事なのだ。
真白はその点、最高と言うに近いと思う。だってアイツは、何度かあったチャンスを全て、自分から断っているのだから。
だから絶対に、私が手に入れる。――どこぞの女に、アイツは渡さない。私はそうと誓うと、酷く真剣な表情で、メイクを続けた。
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