第11話「男と女の友情は成立しない。それが何よりも、男と女の違いを強く証明している」①
「すっごい! ここ、誰もいないよ! まさか、こんなことがあるなんてなぁ!」
由希は手を大きく広げながら、さながらデ〇ズニーのプリンセスかと言うように、バルコニーの中心でくるくると回った。
肩から下げているショルダーバッグが勢いに振り回される。見える町の景色は、徐々に夜へと沈んでいき、しかし、それに反するかのように、残業の証足る人工的な光をギラギラと輝かせた。
「……由希。ねえ、もう帰ろうよ」
私はなお、悪あがきのようにそうと話しかける。しかし由希は、やけに明るい笑顔で、私の方を向いて、後ろ手を組んで返した。
「なんでよ。だって、今日は貸し切りだよ? こんなの、すぐに帰るなんて、もったいないじゃんか」
「でも、その――だって、も、もう、することないしさ」
「することがなくても、いいじゃんか。だって、こんなにもおあつらえ向きなんだよ?」
由希は、まだそれほど電灯の点いていない、バルコニーのイルミネーションに向かうようにそうと言う。
確かに、この空間に二人きりと言うのは、些か都合が良いと言うか。しかし、だからこそ、私は、由希を引っ張ってでも帰らなくちゃいけなかった。
「お願い、由希。私、もう、帰りたいの。だから、」
「いや。……まだ、帰すわけにはいかない。だって、私はまだ、やらなきゃいけないこと、やってないし」
由希はそう言ってにわかに微笑むと、目の下の辺りを震わせて、小さく、揺れるようなか細い声を出して、私に手を差し出した。
「――詩子。アンタさ、私の気持ち、知ってんでしょ?」
「あ――」
「……私、もう、気持ち抑えんの、しんどいよ。
……どう? 私さ、確かに、女だけどさ。けど、それでも、もし、アンタがいいなら――私と、つ……付き合って、くれないかな? 親友、じゃなくて――こ、恋人、として……」
私は、由希のその言葉を聞いて、一歩、足を後ろへと下げてしまった。
色々な感情が錯綜していた。その中には、確かに、気持ち悪いだとか、生理的に無理だとか、そんな言葉もありはした。
だけど、それよりも。私は彼女のその一言で、私たちの関係が、もう、どうしようもなく変わってしまうのだと、そんな絶望感を味わってしまった。
「――わかってる」
と。由希が、今度は、震えてはいないけれど、どこか、ため息が混じっているような――それでいて、なぜかやけに爽やかなような、けれど、鼓膜に貼り付くような、そんな声を出した。
「無理、なんでしょ? ……わかってるよ」
「あ、ち、ちが――! そ、そういうんじゃなくて!」
「わかってる。キモイとか、そう言うのが一番じゃないって。だって、今更、慣れっこだろ?」
「だから! ……そ、そう言うの、じゃあ、なくて……」
「――けど、それもまた、違うよね。
……やっぱさ、詩子。それでもアンタは、女の子の私とは、なんとなく、付き合えないんだよね」
私はハッと顔を上げ、体にまとわりついたクモの糸を振り払うように、大きく身じろぎしながら、思わず強い声で言い返した。
「お、女だからとか、そういうんじゃなくてさ! だ、だって……だって、由希は――友達、だから。だから、そんな、こと、言われても――」
「ほら。私は友達。私は親友。そこまでなんだよ。……なんでって、女の子って、なんとなく、恋愛対象にならないからでしょ。……大丈夫。私だって、なんとなく、男にはそうならないから。それと、同じ」
由希はどこか悟ったような、そんな満足げのある声色だった。
だけど、明らかに心は無理をしている。それが、細かく動く体や指先から伝わってきて。私はこれ以上彼女を傷付けたくなくて、「だから、そうじゃないって、」と声をあげた。
「……詩子。私さ、高校の頃からだけど、ずっとアンタと一緒だったよね」
「そ――それが、なんなの?」
「高1の頃から、おおよそ、6、7年くらいか。すっごい、すっごい長い時間。……私がアンタのこと、好きになったの、確か、出会ってから……半年は経ってたな。たぶん。うん。
アンタからもさ、感じてたよ。私は特別なんだって。明らかに他の奴らとは態度が違ったって言うか。私さ、すっげー嬉しかったんだよ? いつも近くにいたし、ずっと、見ていた。アンタはさ、確かに、ちょっと気弱な所もあったけど、芯が通ってて、腹黒い所もあったけど、それでも、誰かをおもむろに傷付けるような、そんな下品な奴じゃなかった。……私さ、アンタのそういう所に惹かれたんだよ」
「な、なんなの! それが、どうして、だから、一体――」
「……けど、悔しいよね。こんだけ長くいたのに、アンタはさ……私とは、違う誰かを好きになった」
私の思考が停止する。反射的に、「は?」と言う、上ずったような声が出る。
私はとぼけるように、「な、なんのことよ」と首を傾げて見せた。だけど、無理矢理見せた笑みは、自分でもわかるくらいに歪で、誰が見ても、動揺を隠しきれていないであろうことが予感できた。
由希は私の言葉に笑ってみせて、だけど、どこか冷めた目で私を見つめた。それは私の心の奥を、見透かしているような――
いや。わかり切った先生の質問に、機械的に答えるような雰囲気で、私に言った。
「――アンタさ。河野のこと、好きでしょ?」
「ッ、」
私の心臓がドクンと跳ねる。息苦しさが増して、私はまた一歩、反射的に後ろへと下がってしまった。
「そ、そんなわけ、無いじゃん。だって、私、言ってたじゃん。アイツは、と、友達、なんだって――」
「いいや。アンタはアイツのこと、絶対に好きだ。わかるよ。だって、私がどんだけ、アンタを見ていたと思ってるの?」
由希の言葉に瞳が揺れた。私は無理矢理足を一歩前に踏み出して、「違う!」と大声で由希の言葉を否定した。
「そんな、そんなわけないじゃん! だって、アイツだよ? あんなさ、髪ボッサボサで、身長も私より若干高いかな、くらいしかなくて! それに、ガッリガリで、もう陰キャを絵に描いたような男じゃん! そんな奴をさ、好きになる女がいる?」
「詩子。――誰が誰を好きになるかなんて、わかんないよ?」
「ッ、そ、それでも! それでも、違うよ! 私、だって、そんなの、あり得ないじゃん!」
私はとにかく体を振り乱して、負けないように、負けないようにと由希へと反論する。
だけど由希は、まるで子供の攻撃をいなすように、全く動揺した素振りも無く、私に言い返した。
「――アンタさ、最近、河野との付き合い、悪くなったよね?」
「あ――」
「うん。それが、理由。アンタは、ただ単に、アイツへの好意を、自覚したくなかったんだ。だから、意識しないようにって、好きなアイツとは離れようとした。だから、友達の私とは、付き合いが増えた」
「た、た、たまたまだって! あ、アイツだって、暇じゃないし――ず、ずっと振り回してた自覚は、あったし。申し訳ないから、た、ただそんだけで――」
「けど、詩子。アンタがアイツと絡まなくなったのって、清水と――心春とケンカしてからだよね?」
私は由希から思わぬ名前が飛び出したことに意識を大きく揺らした。
「――な、なんでアンタがソイツを? て、てか、え? 知って――」
「河野に会わせてもらった。アイツさ、アンタが最近会ってくれなくて、寂しがってたよ。よかったじゃん、両想いだよ」
「は――? いや、そんなわけなくて。つ、つーか、それがどうして清水さんと――」
「私ん中で、確かめたいって思ったから。――たぶん、前々から感じてたんだよ。ああ、コイツ、もう私の物になんないなって。けど、それ認めたくなくて、そんで、その答え合わせがしたくて……。……それで、アイツに会って。したら、全部、聞いたよ。アンタが、なん、で、アイツと、ケンカしたかって――」
由希が声を震わせた。遠目でもわかるくらいに目に涙が滲んでいて、彼女の強がりが初めて崩れたその様子に、私はまた一歩、足を退けて。
「――ねえ、詩子」
と。由希は、動揺する私に、ふわりと、そう、優しく語りかけた。
――そして。
「私たちさ。……別れない?」
由希は、先とは真逆の言葉を、私に向かって言った。
「は――? ど、どう、いう……」
「友達、やめんの。いや、やめるって言うか……一時的に、距離を置くの。それで、お互いにさ、気持ちを整理し合って――」
「ば、バカ! なに言ってんの、そんなの、ダメに決まってるじゃん! ゆ、由希は、私の――私の親友なんだよ? アンタと別れるなんて、そんなの、あるわけがない! 絶対嫌! ねえ由希、考え直して! 混乱して、変な事言っちゃってるだけだよ! だから、」
「私だって嫌だよ!」
由希は、私の叫びを無理矢理押し返すように、私がビックリするような声で、大きく叫んだ。
「本当は――本当は私だって、アンタと一緒にいたいよ! けどさ、私とアンタじゃ、その意味が違うんだよ!
私はさ、これからも、何年も、ずっとずっとアンタと一緒に楽しくいたいよ! 色々な所に行って、たくさん思い出を作りたい! 手だって繋ぎたいし、その、えっと、ちゅ、チューだって、したいって、そう思ってんの!」
「由希――」
「けど、全部、全部そうするわけにはいかないんだよ。だって、アンタは私を好きじゃないから! ……それだけ。本当に、それだけ。誰にでもわかるような、当たり前のこと。
……わかってるよ。好きじゃない奴から寄せられる好意なんて、戸惑うだけで、鬱陶しいって。そんなこと、わかってるけど――」
由希はそう言って、私から目を逸らした。私は、そこまで彼女が感情を見せて、ようやく、全てを理解した。
――そうだ。私たちの関係性は、もうとっくに、崩壊していたんだ。
きっと、由希が私を「好きだ」と思った時から。それから何年もの間、私は、アイツに我慢を強いてきたんだ。
自分の中にある気持ちを吐き出せないと言うのは、とにかく、辛いものだ。そんなこと、私はよくよく理解していたはずなのに。
あまつさえ、由希の気持ちを知ってからも、私はその我慢に甘え続けた。
どうして、男女の友情は成立しないのか。それは、極めて高い確率で、どちらかが感情を、「恋愛」にシフトしてしまうからだ。
だとしたら。例え女同士でも、どちらかが感情を、「恋」に変えてしまえば――その瞬間に、友情なんてものは、崩壊してしまうのだ。
そして、その状態で「恋心」に蓋をさせることが、どれだけ残酷なのか。私は途端に、自分が、どこまでも酷い人間であるかのように思えてしまった。
なによりも、そんなことに気が付かなかった今までに嫌気が差してしまった。全くの無意識の内に、由希に茨の鎖でがんじがらめを強要していたことを。
「……詩子。何もさ、絶交がしたいわけじゃないよ。たださ、もう、辛いんだ。アンタがさ、また、誰かと付き合いだすかもしれないって言う、この状況が」
私は由希の言葉に、パクパクと、酸欠の魚のように口を動かす。だけれど、空気の無い海の中でもがくように、私の言葉は、感情は、ただ虚空に消えていくばかりで。
「……私もさ、そろそろ、変わらなきゃいけないんだよ。もう、引きずっていちゃいけない。だから、少しだけ、気持ちを切り替えるための時間が欲しいんだ。そしたら、また、きっと、たぶん、親友、やっていけると思うから」
「……ゆ、き……」
「――それに。アンタも、もう、自分と向き合うべきだよ。ここまで来ちゃったんだから、変わらないなんて、もう、無理なんだよ。だから、アンタには、私って言う逃げ道は、あっちゃいけないんだ」
私は突き付けられていく言葉に、気力を失くしていく。さながら判決を言い渡されて、愕然としたままに、最後の主文を聞き流していくように。
「だから、ごめんね。アンタの気持ち、嬉しいけど。でも、私もアンタも、進まなくっちゃいけないから。だから、踏みつけるしかないんだ。
……大丈夫。きっと、全部が収まったら、どうにかなるから。その頃まで、ほんのちょっとだけだから」
由希はそう言うと、涙をぽろぽろと流しながら、私の方を見て笑った。
私は、それでも嫌だと、そう言いたくなった。だけど、由希の気持ちも、その辛さも――私には、想像できないけれど、それでも、その片鱗くらいは、きっと、見て取れて。
私は由希の顔を見つめて、口を開けたまま立ち尽くした。何を言いたいのか、何を言えばいいのか、そもそも、何かを言っていいのか――全部、全部、わからなくて。
私は結局、その後、何も言うことはできなかった。
※なぜ詩子が由希を選ばなかったのか、については、この章が終わった後のあとがきで書こうと思っております。




