第2話「男女交われば即セッ○スは間違っているけど、オタク交われば即性癖語りは合っている気がする」
――やっば。アイツの小説、めっちゃ面白い。
私は部屋のベッドに寝転がって、スマホで河野の書いた小説を読んでいた。
いくつか作品があったのだが、私が読んでいるのは『スプラッター×ゴースト』と言う名前の現代ダークファンタジーだ(このサイトは異世界モノばかりな印象だったためこのジャンルは少し意外に思った)。
スプラッター×ゴーストは、いわく付きのアパートの一室に引っ越してきた大学生の男と、その部屋に居座っている女の幽霊が主人公の悪霊祓いバトル作品だ。小説投稿サイトのライトノベルと言うよりかは、某週刊少年漫画雑誌のバトル漫画と捉えた方が適切な物語だった。
男の主人公は作中で『退魔師』と呼ばれる、つまるところ霊能力者の力を持っており、手斧を出現させ、それで悪霊を祓うことができる。
彼の性格は一言で言えば狂気じみており、『人も幽霊も同じようなもの』という思想のもと、無闇に幽霊を祓おうとする霊能力者を自分の霊能力で簡単に殺してしまう、なんともまあドギツイ設定だった(私の好みだが)。
常に表情が変わらないこともあり、言動の全てが本気で言っているのかどうかわからない、そんな印象を受けるキャラクターだった。かと言って本人自身に信念や美学、倫理観がないわけではなく、単に『なにかのネジが狂ってしまった』というテイストに仕上げられていた。
これに対して女性の幽霊の方は、極めて表情豊かで人間らしい性格をしている。
人の死を慈しみ、他人には優しく、かと言って理不尽は容認しない。女の子らしくかわいらしい言動の中にしっかりと芯の通った、この作品での常識人枠だ。
元来悪霊と言える存在が持つ力をなぜか扱うことができ、それを使い男主人公と共闘していくのだが。この2人の精神性の対比が、物語では上手く使われている。
男主人公はどこか機械のような印象が受けるほどに冷静かつ冷徹なのだが、それは幼い頃退魔師として虐待レベルの過激な鍛錬を受けさせられたからだった。
第1章では、そんな男主人公とその親友とも言えるキャラの関わりがシナリオのメインになるのだが。結末までの過程で、自身のことを『おおよそ人間らしくない非人間』と称していた男主人公に、女主人公がこう言うのだ。
『大切な友達のことを心から想えるのは、あなたが人間である何よりの証拠です』
男主人公は自身が人間らしくないと思い、それに悩み、葛藤していたのだが、この女主人公の言葉で、これまでの彼の認識が180度転換する――なんともまあ、ありがちながらも、感動的なテイストに仕上がっていた。
何が凄まじいかと言えば、それまでの彼はまさに『ねじの外れた人間』だったのだが、この一言により、読者でさえも「ああ、確かに」と納得させられてしまうほど、彼の人間性というのが浮き彫りになるのだ。
うまくは表現できない。ただ、決して追加の描写をするわけでもなく、彼女の一言で、男主人公のこれまでの言動を振り替えさせられ、そしてそれら全てが彼が人間であることの証明になるというような、まるでミステリ小説の叙述トリックが明かされた時のような衝撃を受けるのだ。
そのシーンに到達したとき、私は全身の肌がぞわぞわと泡立つような感覚を覚えた。脳天を突き抜けるような感動に絶句して、しばらく何も言えず、放心してしまっていた。
「――はあああ……すご……なにこれ、いやもう……本当……」
エピローグまで読み終えた私はスマホを降ろして、天井を見上げぼそりと呟いた。
「――やばすぎんだろ。ええ……本当、何だこれ。どうやったらこんなの作れんのよ本当。
……あああああああ! うらやましい! どうやったらこんなセンス持って生まれてこれんのよ! くそ! 転生したい!」
私はベッドの上で打ち上げられたマグロのようにビチビチと悶えながらうなり声をあげた。
得てして才覚ある人間とは変人であるとは言うが、その代表例みたいな奴がまさかこんな身近にいるとは。私はその圧倒的な力量差に飲み込まれ、内側からあふれた深淵の中に意識を投げ飛ばした
◇ ぴえん ◇
午後の講義が終わり、これからお家へ帰りましょうという頃合。私は講義室の椅子に座り、スマホを眺めて呆然としていた。
今しがた、河野の小説の第2章を読み終えたところだ。第1章から変わらないクオリティーで物語が展開されて、私はもうこの作品に釘付けだった。
家に帰ったら早く第3章を読もう。私はそう思いながら自然と『次の話へ』というリンクをぽちりと押していた。
「詩子」
と、私の隣に座っていた由希が話しかけてきた。私は驚き「ファイッ!」とストリートなファイターのような声を出してしまう。
「あんたさ、スマホ弄ってばかりじゃなくて講義聞いたら? 期末考査どーすんの?」
「い、いやあ……ついうっかり。け、けど凄いんだよ、今見てた小説! めちゃくちゃ内容濃くてさ、映画みたいで……」
「話逸らさない。あのね詩子、分別のついていないオタクはハロウィンで騒ぐクソ野郎と同じだよ? ちょっとはしっかりしたら?」
由希の辛辣な言葉に私は喉を詰まらせた。
まさか頭空っぽなシブヤチンパンジーと比べられるとは。残念だが私は軽トラをひっくり返せるような力は持っていないし、それほど野蛮ではない。
けどまあ、言っていることは一切間違いじゃない。私は大きくため息をついて「ごめん由希」と言った。
「ま、別にそこまで咎めないけどさ。とりあえず次サークルだし、行こうよ」
「……うん、行こう」
私は荷物をリュックに詰め込んで立ち上がる。
ぞろぞろと多数の人が、講義室から出て行く。私たちは隣並んで、その他大勢と同じく扉から出て行った。
私はそうして移動している間も、河野のあの作品が頭から離れなかった。
それほど面白かったから――というのも、そうなのだが。それ以上に私が思っていたのは、「どうすれば、あんな素晴らしい作品を書けるのか」ということだった。
笑いもあり、熱くもなり、そして感動さえした。なんでプロになっていないのか疑問さえ残るほどの圧倒的なストーリーだった。そんな物語を書いたのが、プロのお偉い方々ではなく、この学校のどこかで歩いているであろう、たった1人の、変な性格をした陰毛頭なのだ。
悔しくもあり、しかしそこに大きな尊敬が混じり。私は混濁した想いにため息さえつけず、由希にぽつりと話しかけた。
「ねえ、由希。……ストーリーってさ、センスだよね」
「ん? ……ああ、そういえばあんた、一応目指してるもんね。
……そうだなあ。私はあんまり、創作ってしたことないから、わかんないけど……けどやっぱり、センス、なんじゃないかなあ」
「やっぱりかあ。そうだよねえ。……はー、才能ないのかな」
「んー……その辺はわかんないよ。けど、なんだろうな。もしもストーリー力を上げたいのなら……まあ、もう書いた本人に聞くしかない気がするなあ。そいつが何を思って、なんでそんなストーリーを書いたのか……そうやってしていけば、もしかしたら身につくかも」
――作った本人に作り方を聞く。私は由希の言葉を反芻して、息を深く吐いた。
そうだ。そう言えば私は、それができる状況にいるんだ。
尊敬できる作家が、身近にいる男だっていうこと。それは大きなアドバンテージで、とどのつまり、アイツから話を聞けば、それでいいだけの話なんだ。
そうだ。私には、もう十分すぎるほどの恵まれた環境があるじゃないか。私はそう考えて顔を上げた。
直後、私たちの横を――2人の男子が、ゆっくりと過ぎて行った。
1人はわからないけれど、もう1人の顔には見覚えがあった。
河野だ。河野が今しがた、私の横を通り過ぎたのだ。
私は思わず視線を逸らす。河野も一瞬気づいたようだが、彼もまた私と同じく視線を逸らした。
いや、無理だ。無理無理。いざチャンスがぶら下がっていたとして、だからってこういう状況でそれをするなんて、とてもじゃないけどできない。私の背中を、冷や汗がすーっとなぞった。
だいたい、アイツにもし下手に話しかけようものなら、ただでさえ女子人気が地の底レベルな私なのだ、もしかしたら『付き合っている』なんて不名誉な噂を流されるかもしれない。
河野真白は変な奴だ。だから誰も近寄らないし、みんながアイツをバカにしている。
そんな奴にぶりっ子の姫が近付いたら、真実はどうあれ確実に噂を流される。人間というのは、こういう時、自分にとって都合の良い解釈をして、それを信じ込むのだ。それを前にして、完璧な証明なんてものはちり紙1枚の力さえない。
――けど。私はしばらく歩き、考え、考えてから。
踵を返して、河野の背を追って走り出した。
「ちょっ、詩子!?」
「ごめんサボる!」
由希に叫び、私は振り向かず駆ける。
いい、それでいいんだ。変な噂が立ったところでなんなんだ。
今アイツに話しかければ、諦めている夢の道が、ほんのわずかでも拓けるかもしれないんだ。
漫画家になる。そのために絵を練習して、漫画を練習して、同士と感想を言い合うため漫研に入った。
しかし現実は、上手くいかない。漫画は上手くなっても、ストーリーという壁が立ち塞がる。漫研なら建設的なアドバイスが貰えると思ったけど、返ってくるのは、駄サイクルを作りかねない甘い褒め言葉ばかり。
賞に送ってその感想も貰った。でもやっぱりぱっとしなかった。普通に就職して、普通に働いて、ともすれば漫画家なんて諦めよう。これはそう思っていた私に、クソったれた神とやらが寄越した大きなチャンスなんだ。
私は走り、走り、そしてそのモジャモジャ頭を視界に捉える。腕を伸ばし、息を切らし、そして私は、彼の肩に手を置いた。
「待って!」
私は河野の肩を掴んだ。河野が「ぬおっ!?」と驚き声をあげる、周りの人々が私の勢いに注目して、一瞬ざわざわとした雰囲気が空間に満ちる。
「……な、なに?」
「――」
声が出なかった。少しとは言え走ったのだ、息が上がって喋るどころではない。運動不足が祟ったか。
――いや、違う。たぶん、この状況がそうさせているんだ。
息の切れは単なる言い訳。私は1度大きく深呼吸をすると、緊張しながら、彼の目を見て言った。
「……今から、時間ある?」