第17話「この世界に、人間でない人間はありえない」
私――天音由希は、大学構内の中庭で、ベンチに座って空を眺めていた。
モヤモヤが止まらなくてイライラする。あの日から、私は色々と考えることをやめらなくなっていた。
詩子は私のことをどう思っているのだろうか。そんな不安が常に頭をよぎり、どうにも顔を合わせられない。
『私はアイツの性癖をキモいって思ったよ。けど、それ以上に、私はアイツのことが大好きなんだよ』
食堂で、アイツは私についてそうと叫んでいた。少し離れた位置で、バレないように聞いていたのだ。
正直なところ、嬉しかった。けど、だからと言って、それでおいそれとアイツの前に出られるかと言えば、そうじゃない。
私の頭の中に、かつてのことが浮かんでくる。中学生のころ、卒業間際に何をとち狂ったか、好きだった女子に告白をして、それからクラス中の笑い者にされたことを。
しない後悔よりする後悔、とはよく言うが。必ずしも、しない後悔の方が悪いものであるとは限らない。少なくとも、私がした後悔はそういうものだった。
言わなければ、何もされなかったものを。私は卒業間際にいじめにあってしまって、以降、学校には行かなくなった。
幸い高校は決まっていたので大した問題は無かったが、この出来事は私の人生にとんでもない楔を作った。つまり、誰にもバレてはいけない秘密というものだ。
周りに知られれば立場が悪くなりかねない秘密を抱えるのは、それだけで精神的なストレスが強い。私はとにかく自分の趣向を隠して、隠して、隠し通して生きてきた。
そしてこの間、好きな女にそれがバレてしまった。まるで整えてきた地盤を、ほんのハンマーの一振で叩き壊されたかのような感覚だった。
分かっている。それでもアイツは、ああやって言うんだって。けど、それでも、私は前に進むことができやしない。
「……どうしよっかなあ」
座り込んで私は呟く。どうしようもない静寂が、私の耳元でやたらともやもやを掻き立てた。
と、ふと。
「あれ、天音さん」
突然、私の耳に知った声が聞こえた。
そっちを見ると、河野真白と言う、詩子の男友達が呆然とこちらを見ていた。相変わらずの、何も手を加えていないことが丸わかりなチン毛頭をしている。
「……アンタか、河野」
「ん。昼ごはん、ここで食べようと思ってね。講義ももう無いし。
外は良いよ。空を眺めていると、なんか気持ちが晴れやかになる」
「そうか。……私とは、まるっきり違うな」
私は隣のベンチに座った河野に、そう応対した。
河野真白。私にとっては信用できる男であると共に、一番警戒すべき男でもある。
河野は詩子にとって初めての男友達だ。一般に、男女の友情は成立し難い。
そして何より、河野と詩子は距離感が近過ぎる。それはもう、友達というにはあまりに男女の境が無さすぎる。もしもこのまま、詩子がコイツと付き合いでもしたら――。そんな嫌な妄想が沸き起こるから、私はコイツにどうしても当たりがキツくなってしまっていた(ひとえに私が未熟なだけだが)。
……。とは言え、だ。
「……話したいことがあるんだけど」
私は河野に、気を迷わせてそう言った。河野はしばらくボーッとした後、「ん、僕?」と自分を指さして言った。
「そりゃあ、アンタしかいないだろ」
「……それもそうか。うん、まあ、正直、僕も君と話したいことがあった。だから、付き合ってくれるとありがたい」
「……奇遇だね」
「たしかに」
河野は言うと、ベンチから立ち上がって、数歩前に歩いた。
「君、今日は講義あるのかい? 無ければ、近くの公園で話そう」
「……私もない。行こ」
私は立ち上がって、河野の横に並んで歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ひとつ伝えておくと、僕は緊張すると口が回る傾向にある。よくわからないことを言い出したら、できるだけ見逃して欲しい。あと話があまりに長いようなら止めてくれて構わない」
「本当にアンタってめんどくさい性格してんな」
私は河野と並び、ブランコに乗って話しをしていた。
今いる公園は、現代っ子たちが寄り付かない程度には寂れた小規模のものだ。滑り台とブランコしかなく、鬼ごっこもボール遊びもろくにできたものでは無い。これなら物置でも置いた方がより効率的だろう。
「それで、一体どうしたんだい?」
河野が私に話しかける。私はうつむいてから、河野にゆっくりと語った。
「……詩子のこと。色々、聞きたくて」
「……やっぱりか」
河野は表情を変えることなく、ただ本当に淡々とした調子でそう受け答えた。
「……えっと。何から聞こうかな。
……今アイツ、家でどうしてんの?」
「僕が泊まり込んで、彼女の面倒を見てる」
「えっ……あ、ああ、そうか」
「まあ掃除は結構楽しかったよ。物を置くスペースも用意したし。とりあえず、以前よりかは部屋は綺麗になったよ」
「……なんか、本当に面倒見てるんだな」
「それが適した表現だって思ったから」
「そうか。…………えっと、その、もしかして、アイツといい雰囲気だとか……」
「なってないと思う。……まあ、風呂の時が気まずい位だ。正直、いい加減君に交代して欲しい。やっぱり男女でひとつ屋根の下って言うのは毒だよ」
「ああ……そ、そっか」
私はまどろっこしく会話を連ねる。河野はそれに淡々と受け答えているが、おそらく、こいつも、私が酷く遠回しになっていることを理解しているだろう。なんとなく、そんな感じがした。
「………………。
……詩子、私になんて言ってた?」
私は大きく息を吸ってから、河野にそう問いかけた。河野はすると、空を見上げて、私の言葉を予想していたかのように、ハッキリとした口調で言った。
「別に。早く仲直りがしたいってさ。それだけ」
「……本当に?」
「うん。……アイツは君を、普通に友達だって思っているよ」
「……。友達、か」
私はそう言って、うつむいた状態で大きくため息を吐いた。
「……やっぱりさ、私って変かな?」
「……なにが?」
「いや、その……。……性的趣向というか」
「ああ、性癖か。まあ、変かどうかで言えば変だと思うよ。普通って言うのをアンケートの過半数って意味で捉えるとだけど」
「……やっぱりか」
「けどまあ、別に、変だけどそれだけだよ。それを言えば、君なんかより僕や姫川の方がよほどだよ。2人とも二次元の異性が好きで、僕はドMだしアイツは腐女子だし」
「いや、お前、それはなんか、違うだろ。なんか、そんなんじゃないって言うか……」
「……今から君を傷付けることを言っていいかい?」
「え? ……いや、まあ、わかったよ」
「それは、君の傲慢って奴だよ。同性愛だかLGBTだか知らないけど、僕からすればただの性癖だよ。ドMとか腐女子とかロリコンだとかと大して変わらない」
「いや、けど、なんかそれは……」
「ムッとするでしょ。だから、傲慢。
世間全体がそんな感じだから、君にそんな気持ちがあるかはさておくけど。僕らと同列にされて違うと思うのは、自分の性癖が、そうした奴より綺麗なものなんだって思いたいからだよ。つまり、人と見比べて、見下しているんだ。同じにされたくないって言うのは、そういうことだよ」
「……」
「まあけど、それが君がただの人間である証明なのだけどね。社会性が強いから、ことある事に僕らはマウントをする。生憎と、僕らは皆平等に醜いものだよ」
河野はハッキリとそう言い切った。
「姫川もその辺はわかってるよ。本人は食堂で、『キモイって思った』って言ってるけど、アイツの場合それは強い拒絶を意味してるんじゃない。どちらかと言えば、僕がアニメのかわいい女の子のグッズを高い金で買っているのを見た時のような感じだ」
「……よくわかんないんだけど」
「……。君はカレーに納豆を入れる奴をどう思う?」
「え? いや、普通にキモくない?」
「そのキモイって、『二度と関わってくんな』って意味か、『私には食べられない』って意味か、どっち?」
「……後の方」
「でしょ。別にカレーに納豆を入れてて、それがキモいからって、人間性まで否定しているわけじゃない。アイツもきっとそんな感じだよ。
ただ、まあ、困惑はしてるだろうね。今まで普通に友達してた人間が、実は自分を好きだった……なんて。それも異性じゃなくて同性だし、余計に予想外だっただろう。そういう意味で、受け入れ難いところはあったと思う」
河野はそう言ってブランコから降りて立ち上がり、1歩、2歩と前に出た。
「どうすればいいかなんて、答えはとっくに分かっていると思う。だから後は、君がどうするかってことだけだよ。僕にはそれ以上は言えない」
そう言って河野は、とことこと歩き出してしまった。私は去る背中に「ちょっと、待ってよ!」と声をかけ、すると河野は、「なに?」と言いながら、ゆっくりと私に振り返った。
私は声を詰まらせた。色々なことが頭をめぐって、ごちゃごちゃとして。私はしばらく意味の無い音を吐き出してから、河野から視線を逸らし、苦味を噛み殺すように呟いた。
「…………。…………どうすればいいか、わかんないんだ」
「……」
「いや、違う。その、わかっては、いるんだ。ただ、どうしても…………できない、と言うか。怖い、というか。
だ、だって、だよ。もう、私らって……同じ関係には、戻れないって、思うんだよ。だって、そんな……こんなの知られちゃったら、そりゃあ……」
「……まあ、だろうね」
河野は私を裁断するように、私の言葉を肯定した。
「知ってしまった以上、姫川は君に対してそうしたことを意識するはずだよ。だから、前のようには戻れない。それは仕方がない」
「あっ…………。
…………クソ。なんで、こんな。別に、私は……そんな、こんなことになるなんて。ただ友達でいられたら、それでよかったのに」
「……まあ、うん」
「…………なあ、河野。私は、どうしたらいい? どうしても、怖くて、動けないよ。アイツとまた一緒にいたいのに、でも、それが怖くて、変わっちまうのが嫌で…………。私は、どうしたらいいんだ……」
私は顔を抑えて、涙を流しながらわけも分からず尋ねた。
藁にもすがる、とはこういうことだろう。とにかく積もった感情を発露したくて、その相手はもう誰でも良くて、とにかく目の前の男に乱雑に全てを投げ付けた。
河野は少し間を置き、息を吸ってから。
「……君が怖がっているのは、たぶん、姫川じゃなくて、この世界だよ」
ナイフを刺すように、私にしかし淡々と言った。
「信じられないのは、わかる。何せ、姫川はこの世界の一部だからね。そりゃあ、そうなるのも仕方がない。
……僕は君のことをよく知らない。だけど、食堂での話を聞いた感じ、昔なにかあったんだろう? それはきっと、君にとって良いことではなかったはずだ。
それを経験している人間が、それでもこの世界を信じようだなんて土台無理な話だよ。事実、関係性は変わったと僕は思うからね。
別に、これは君が特別だからとかそんなんじゃない。誰だって自分の経験を照らし合わせて、もしくは世間に流れている常識とか、普通の人の感情だとかを考慮して、みんなそうなる。恋愛とか人間関係だけじゃなくて、色々とそうだよ。クソみたいな感想は送られてくる、とかね。
けど、まあ、僕はそれでも、アイツなら君を受け入れるって思うよ。
こんなことを言うと失礼だけど、僕だって君のこと、変だとか、言葉を選ばないなら気持ち悪いだとか、そういうことを思うかどうかで言えば、思いはしてるよ。けど、それは君だって、僕に対してそう思っているだろう?
それは姫川だって変わらないよ。アイツ、一度僕の目の前からガチ逃げしたんだぞ? キッモッて思ってるような顔しながらね。
けど、それでもアイツは、僕を受け入れたんだよ。アイツも言ってたけど、僕らは生憎と完璧にはなれない。どう足掻いてもキモイ所、嫌な所、ダメな所があってしまう。それの内容は人にもよるけれどね。
でも、だからって仲良くなれないかと言えば違うし、君を拒絶するかと言えば、これもまた違う」
「……でも、やっぱり怖いよ。わかっていても、私は……」
「…………。まあ、そうなるよね」
河野はそう言うと、突然、ポケットからスマートフォンを取り出して、大きくため息を吐きながら、ボソリと言った。
「……ごめん、姫川。約束、破る」
そうして河野は、私に近寄って、スマートフォンの画面を見せつけてきた。
そこには、雑なラフで描かれた漫画が映っていた。
「……これは、詩子の……」
「うん。アイツが描いた漫画。僕が自由に題材を決めて漫画を描いてみてって言ったら、描いてきた漫画。もっと言うなら、その続きみたいな感じなのだけど」
河野は私にスマートフォンを手渡す。私はゆっくりと、そのラフの漫画を読み進めていく。
これは、見覚えがある。いつかチラリと見た、アイツが私に見せてくれなかった漫画だ。
内容も何もかも、あまり知りはしなかったけど。ひとつ分かるのは、これが、現実を元に作られたんだという事だった。
なにせそこにあったのは、私が詩子と過ごした高校時代そのままだったからだ。
「……アイツ、こんなの描いてたのかよ……」
自分がどのキャラクターだったのかはすぐに目測が付いた。そしてそこに描かれた内容を見て、私は涙を流していた。
アイツは私のことを、凄く肯定的に描いていた。仲間内や自分自身でさえ、どこか否定的で、ひねくれていて、歪んだ人間として描いていたのに。
なのに私だけは、正真正銘、そんな僻んだ描写じゃなく、純粋な良い奴として描いていたのだ。
「……バカじゃねぇの……」
私は思わず呟いた。
私がこんなに、良い奴なわけないだろ。
私がこんなに、真っ直ぐなわけないだろ。
私は心の中で何度も呟いたけど。ただ一つ伝わってきたのは、アイツがどれだけ、私を大切に思って、信頼していたのかということだった。
「……姫川が、どれだけ君のことを大事に思っているか、わかるかい?」
「……うん」
「……なら、もう、良いだろう。わかると思うけど、アイツは他人に対して警戒心が強い。性根が陰キャだからね。
けど、そんなアイツが信頼して、今なお大切だって君を表現してるんだ。……そんな絆がね、こんな程度で壊れるなんて、僕は思えない」
河野は私のことを真っ直ぐに見つめた。私は目を合わせ、アイツが言おうとしていることを、一言一句漏らさないようにする。
「世界は無情で、変化は必ず訪れる。生憎とこの現実は、信じるに値しないほどに残酷だよ。
けど、それでもアイツは、それを踏まえて尚進んでいけるだけの知性がある。アイツは信頼できる。となればあとは、君がどうするかだ」
私は河野から向けられた、真っ直ぐな言葉にゆっくりと頷いた。
私はそして、ブランコから降りて、歩き河野を通り過ぎる。
「ありがとう。私、アイツを信じてみるよ」
「うん。それじゃあ、ここでお別れだね」
「……じゃあ、行ってくるわ」
私はそう言って、大学に向かって走り出した。




