なろうは変なランキング
すごい事に気が付いてしまった。ええ年したおっさんがアニメ女子無駄に影響されたような冒頭で始めるのはちょっと冷静になると恥ずかしい。どのエッセイか?具体的には言わないけど、あるエッセイ読んでてなるほどと思ったりそれどうかな?と思ってたりしていたらふと思いついた。
私当たり前のようになろう作品を33とか評価してたけど、かなりの数の人が55の人が多い。私評価サイトたっぷり見てるからわかるんだけど、熱心なファンは感情的なので何かと比較してとかそういう評価しないとにかく最高それ以外ないとしてシンプルに最高点をつける。そういうもんだとなろうも見てた。
前から感情が主であんまり思考しないで楽しめるものが多いから、当然評価もそうなるとして、いや批判じゃない。そういう読み物なんだからその評価が正しいと思ってる。エッセイはたびたび頭悪くてうんざりと高いPTエッセイに腹を立ててる。ただそれはエッセイに腹を立ててるんじゃなくて作品論に足を突っ込んでるから、そういう理屈は作品と違って感情論じゃなくて頭使って評価してほしいから。
でもそもそも頭使わないで楽しむのでそのままの感情で評価すべきだと思う、なろう主流作品はそれでいい。と思ってた、うーんこれそもそも評価じゃないんじゃない?って思ってきた。どーせ感情評価なんだからもう面倒なので01で良いだろ?って思うんだけど、それだと10PTもらってたのが1PTになってしまうんだ。それブクマと変わらないからダメだと思ったんだ。
じゃ何故ダメなの?評価って滅多にされないからたっぷり入れてあげたいからだ。あげたい?あ、これ評価じゃない。なろうのPTって作者のモチベーションのため入れてない?って思えてきた。何そんな事知らなかったの?いやそれいかにも私だけが馬鹿だと思うでしょ?実際は55ばかりじゃないんだよ。平均点は4、1・・・とかそうなってるのが多い。11評価のせいじゃない?
いやほかの人も見てる。やっぱりそうじゃない55入れてるだけじゃない人いるんだよ。同じ作者は55入れやすいね。作者って基本マニア読者に近い。なのに55って不自然だと思う。根底の心理が応援の共感だと思ってる。
これそもそも評価ランキングじゃねーぞって分かるとなんだかむずむずしてきた。もちろん、なろう外の大衆ランキングと全く同じ傾向を示す。ただもっと過激な部分があると思う。そもそもこれ評価じゃない。作者を応援するってこんな形のランキング他にない。あれに似てる。直接お金をもらうための点数が入るのがある。ユーチューブはちょっと違う。
直接投げ銭するようなものになる。なろうのシステムは単純な慈善じゃないクリエイター相手の寄付とよく似ている。
とても大衆ランキングと似てるからその傾向だけでも良いけど、それでも根本的に何か?違うんだ。その何か?ってわかりにくいけどものすごく大きな事のように思える。なろうのランキング気に入らない人って私みたいに作品を評価する視点で見てないか?と思う。その割に私あまりずれてない。その理由は大衆ランキングの傾向とほぼ重なるから。
私そういう平々凡々な楽しみ方が超得意なので。そんなの当たり前じゃない?となると違うんだ。私マニアほど見ててもマニア視点にならない。私の書いてること見ていればマニアックなのわかると思う。でも好きな作品は恐ろしいほどニワカと言われるようなものばかり。この辺りはあんまり突っ込んでないけど、私良い意味でマニアックにならないんだ。
だから偶然なろうのランキングにあまり不満がなかったけど、根本的な姿勢の違いからすれば私マニア的な視点の人の方が多分視点が近い。私って評価してしまっている。なるほど応援としてみれば今のPTの雑な入れ方間違ってないな。ただ評価の視点からランキングを見てるとこれ多分むかつくかも。
価値観が全く違うだもん。しかもだ本来はこれ評価システムなんだ。はっきり言えば機能してないな…。かといって応援を否定する気もなれない。どーせ大衆ランキングの傾向は出てて結果的には機能してるのでなんとも言えないんだけど、読者と作者の関係性って意味でこれちょっと違和感があるな。評価ってのものを軸に見てるとこの関係不正不健全なんだ。
結果的に同じ傾向を示すので、本当にすごいことなのこれ?って思ってもいるんだけどね。
もっと突っ込むとそもそも全員参加=多数派ランキングってそもそも評価じゃないのかもしれない。そもそもそういったランキングは評価じゃなくて応援的な意味があるのじゃないか?と思う。なろうと違って作者のモチベみたいのないじゃない?ならAKBの選挙っぽいんだよな。実質的な意味がなくても自分が好きな作品を人気作にしてあげたいような気持ち。
常日頃から全員参加のランキングには限界があるとずっと書いてる。またそれを支持するような真実を見つけてしまった気持ちになってる。我田引水それを言うためじゃなかったのか?なら違う。だってほかの人のエッセイ見てて気が付いたんだから。全くの偶然。この結論に持っていくために浮かび上がってきたわけじゃない。
やっぱり分けないといけないってのは強く思う。
ただ何度も書いてるが私の支持するランキングは、逆に言えば大衆向けのものを選び出さない。ランキングに今求められてるのは、飽きてきた層が求める結局大衆的な支持を集めるタイプの作品になる。飽きてきたからってマニア向けのもの読みたいわけじゃない。その点に関してはない物ねだりの強欲は実現されないと書きたい。
根本的に多数派にとってつまらない作品が生まれないと新しい流れって出てこない。それは創ることが分かってない。永遠に楽しい時間が供給されることに慣れている。どんなものも新しい時代への移行の前は停滞が始まる。時間と確率が解決するからだ。根本的になろうで一番多い批判と要望はない物ねだりの無意味な強欲に過ぎないと私は見ている。
私が大衆向けの合理的な新しい作品を生みシステムを考えれるとしよう。それすでに漫画の出版社が思いつかない?私は自分を天才だと思ってない。同じ土俵に立ってないだけだ。同じ土俵にたったら、プロを素直に尊重するし、しかも編集の方が圧倒的に数が多い。私は確率と時間の信望者なのだ。それには個人の才能じゃ勝てない。
作品を評価するって視点に立ってる読者にとってなろうのランキングは絶対に不満になると思う。大半の人は評価なんてしてないからだ。私が似た結果になるのは全くの偶然だ。私も評価しようとしてPTを入れてる一人の読者にすぎない。その視点からたまたま私は同じ結果になるから大きな不満はないが、評価って視点で見てるならいらっとするものがなろうのランキングにはあるかもしれない。