044 告白の返事
不安と期待の入り混じったような表情のちろるに、俺はできる限り平静さを装いつつ、静かに彼女の名前を呼んだ。
「なぁ、ちろる。」
「……はい。」
「俺はさ……、ちろるの事が好きだよ。」
「……っえ? ……うそっ。」
ちろるは、単純明快なその言葉に思わず目を丸くしたが、構わず俺は思っている事をそのまま全てぶつける。
「いや、……本当だよ。俺はちろるが一途に思ってくれることも、頑張り屋さんなところも、色んな人に気を遣えるところも、普段の何気ない会話をするのも……好きだ。」
きっと、この気持ちには何も偽りはない。
「……私も、先輩のこと……全部好きです」
彼女のその短い言葉は、俺の長い言葉なんかよりも、いっそう大きな慈愛に満ちていた。その言葉に、思わず俺は涙腺が緩みそうになった。それでも、俺は伝えるべきことを、全て言葉として紡ぐことに意識を集中させる。
「うん。……だけど、ちろるが言う通り、さっき会った神崎さんって子が、俺は今までずっと好きだったんだよ」
「……。やっぱり……そうです……よね」
ちろるはその表情に影を落とした。そうなる事は分かっていたが、俺は今までの自分の気持ちを、はっきりと言うべきだから……。だって……、俺は……、ちろるの事を……。
「それでも……、俺は……ちろるとの未来を選びたいと思うんだ……。ちろるに悲しい顔をしないで、ずっと傍で笑っていてほしい。だから……俺と付き合ってください。」
俺は言葉を振り絞るように、最後まではっきりと伝えた。この時、ちろるは俺の告白を、一体どんな表情で受けとっていたのだろうか。そして自分は、一体どんな表情でその言葉を紡いだのか……全く見当がつかなかった。
「……ほんと……ですか?」
「ああ。」
俺はようやく、ちろるの顔をしっかりと見据えた。彼女の目は、大粒の涙で潤んでいた。
「本当に、いいん……ですか?」
「本当だよ」
彼女は震える声で、何度も確認の言葉を繰り返した。それに、俺はできるだけ力強い声で答えようと思った。
「私……、付き合ったら……面倒かもしれませんよ……? めっちゃ……嫉妬するかもしれませんよ?」
「いいよ。」
「どうしよう……。夢?」
「じゃない。」
「あれ、……涙出てきちゃった。」
「……俺の胸の中で泣けよ。」
「ちょっと……きざっぽいですよ。」
「今のは……恥ずかしいな。多分あとで……後悔するわ。」
「そうですね……。ちょっと恥ずかしいですけど、でも……カッコよかったですから、少しの間だけ甘えさせてもらいます。」
そう言うと、ちろるは俺の身体にきゅっとしがみ付いて、胸に頭を寄せてきた。それを受け入れるように、俺は彼女の背中に腕をまわして、頭をそっと撫でてやる。
「やばい……です……。」
「どうした?」
「幸せ過ぎて……死んじゃうかも。」
「お前が死んだら俺が困る。」
「ふふ……そうですね。せっかく付き合えたのに、絶対死にたくなんかありません。」
「そうだな。」
しばらくの間、俺とちろるは無言で抱き合っていた。道のど真ん中で抱き合うという、かなり恥ずかしい事をしていたが、この時の俺はそんな考えが全く頭に過らなかった。
これでよかったんだ……という安堵に似た気持ちが湧いてきた。この結末は、誰が見たって何も間違っていない。誰もが報われて、そして……笑顔でいられるハッピーエンドなのだから。
しかし、そんな俺の頭を過った苦悩から解放されたような安堵感は、次のちろるの言動で、驚くべき勢いで吹っ飛んでいった。
「ふぅ……。満足です。もう……私は大丈夫なので、っじゃあ……、別れましょうか。」
「……えっ?」
ちろるは突然、俺の胸をとんと押して少し距離をとった。思わぬちろるの行動に俺は驚いたが、それよりも、ちろるの言葉の意味が全くもってわからない。
いや、ちょっと待って……理解が追いつかない……。いや、全く理解ができない。
呆然とした表情の俺に、ちろるは先ほど自身が放った言葉の真意を教えてくれた。
「うん……。やっぱり先輩は……、あの神崎さんって子がすっごく好きなんですね。それは多分……、私が先輩を好きなのと、同じくらいなのかもしれません。」
「……何言ってんだよ。それは確かに……今まではそうだったんだけど……。でも、俺はちろるを選ぶって……。だって……、それが……」
心臓が不規則に脈打つ度に、俺の胸には裂けそうな痛みが走った。力なく震えている強張った自分の声が、頭の中に情けなく響いた。
……俺は今、何を口走ろうとした?
口にはしなかったものの、「それが……」の後に続く俺の頭に過った言葉は……
”正しい”という言葉だった。
「駄目ですよ……。女の子と付き合う時は……、男の子はもっと心から幸せそうな笑顔じゃないと。先輩、私に告白してる時……どんな顔してたか覚えていますか?」
「……。」
ちろるの言葉に胸がちくりと痛んだ。俺はどんな顔でちろるに告白していたのだろうか。全く思い出せなかったが、その原因は明白だろう。
「だけど……俺がちろるの事を好きだって気持ちに嘘はないし、本当にちろるを選びたいと思うから告白したんだ。」
「はい……、ありがとうございます。もちろん、先輩の言葉に嘘はないと思いますし、さっきの告白も、私は死んじゃいそうなほど嬉しかったんですよ。」
「……っ! だったら……!」
「でも……、先輩が私の悲しそうな顔を見たくないのと同じで、私だって先輩には辛そうな顔をしてほしくないんです。笑顔で……、幸せそうにしていてほしいんです。」
「……俺は、辛い顔なんて……してない。」
俺はちろるが好きだ。好きだ。好きだ。誰よりも、この世で一番……好き……なんだ。
「そうだ……。俺はちろるが一番好きなんだ……。ちろると付き合って、毎日一緒に手を繋いで帰って、土日は部活で忙しいかもしれないけど、それでも休みの日は、二人で色んな所をデートして……。」
辛そうな顔って、何でだよ……。俺がちろるを好きだって気持ちに嘘はない。これで両想いで結ばれてハッピーエンドのはずだろう。何でこうなるんだ。
「雪先輩……。」
ちろるはどこか憐れむような声音で、俺の名前を呼んだ。しかし、俺はちろるの顔を見ることができないまま、ただ言葉だけを続けた。
「学年が違うから……、学校内では一緒に過ごせる時間は少ないかもしれないけど、昼休みは一年の教室まで迎えに行くから、食堂や中庭で一緒に弁当を食べよう。絶対浮気なんかしないし、何を犠牲にしてもお前を一番に優先させる。」
「うん……ありがとうございます……。」
ちろるは、今にも壊れそうな笑顔で微笑んだ。駄目だ……。何でそんな悲しそうな笑顔をするんだよ。やめてくれ。俺の言葉には、嘘なんか一つも……。
「……でも、そんな自分に言い聞かせるような事……言わなくていいんです。」
「……っ!」
彼女のその言葉に、俺は心の中にある誰にも触れられたくない部分を、鋭く尖ったもので刺されたような感覚が走った。その痛みに顔をしかめながらも、俺は必死で言葉を紡いだ。
「……ちがうっ! 俺の本心だ。本当にそうしたいって思ってる!」
ただひたすら懇願するような俺の声に、ちろるは両目からぽろぽろと大粒の涙を流して泣き始めてしまった。それは間違いなく、嬉しさではなく、悲しさや切なさといった感情から溢れ出る涙であった。
「……ごめんなさいっ。私が……悪いんです……。私が取り乱しちゃったからっ……先輩を焦らせて……。本当に……すみません。」
泣き出してしまった彼女が泣き止むまで、俺は何も声をかけることはできず、ただ黙って見つめるしかなかった。
ちろるは頬を伝う涙を袖で拭い、そしてしばらく心臓のあたりをぎゅっと手でおさえてから、意を決したように俺の顔をしっかりと見据えた。
「……でも、雪ちゃん先輩が私の事を、ちゃんと見てくれてるとわかって安心しました。だから……もう大丈夫なんです。」
「さっきから……、何言ってんだよ。」
俺の気持ちは伝わらなかったのか……。いや、そもそも……伝わるだけの想いを、まだ俺が持ち合わせてなかったのか……。
「さっきは……私が……先輩の眼中にも入ってないんじゃないかって……。焦ってしまって……本当にすみませんでしたっ……!」
そう言って、ちろるは深々と頭を下げた。
やめてくれ……お前が謝る事なんて何一つないんだから。
「私と……付き合うかどうかは……、まだ決めなくていいです。もっと……ゆっくり考えてください。」
ちろるはもう目に涙を浮かべてはいなかった。そしてその声にも、力強さが徐々に戻っていた。
「先輩の事だから、色々難しく悩んでると思うんですけど……、何が正しいかとかじゃなくて……、先輩の後悔がないように……もう少し頑張って、納得のできる答えを探してください。」
「それで……お前は……いいのかよ」
「……はい。」
優しく微笑むちろるに対して、俺はどんな顔を向ければいいかわからず下を向いた。
「俺はっ……、ちろるの事を……ちゃんと好きだ。」
「私も……ちゃんと嬉しいですよ。でも……神崎さんの事も、それと同じか……それ以上に好きなんですよね?」
「……。」
何で黙るんだよ。ちろるを選ぶって心に決めたはずなのに、それが正しい選択のはずなのに……。
「それでいいんですよ。本当に好きになった人のことは、そんな簡単に心の中からどこかへ行っちゃったりしないですから……。」
「そんなの……、わからないだろ。」
「いえいえ、わかりますよ。私だって……他に好きな人がいるってわかっても、やっぱり先輩のことは、どうしても諦めきれないですもん。」
そこまで俺のことを思ってくれているのに、どうしてちろるは俺と付き合うことを拒否するのだろうか。
いや……、違う。俺のことを思うから拒否したのだ。やはり全ては俺の責任だった。
「……ごめんな、俺がこんなんだから。」
「何言ってるんですか。そもそも先輩を困らせたのは……、私が告白したからじゃないですか。さっきだって……、私が取り乱したせいで、先輩を追い込ませちゃったんです。それに先輩は、私のことをちゃんと見てくれてたんです。何も謝ることはありません。」
やはり桜木ちろるは、どこまでも優しく、そしてどこまでも俺の事を恋い慕っている。その異常ともとれる献身的な姿は、そのまま彼女の俺を思う愛情の深さを示していた。
「……いつまでに、最終的な答えを出したらいい?」
「そーですねー。私が……おばさんになるまでですかね?」
ちろるは、わざとお道化るような風に言った。きっと、こんな情けなくしょぼくれている俺を、元気付けようとしているのだ。
「……さすがに、そこまでは待たせないよ。」
「そうですか? っじゃあ、私もそれまでには、先輩があの女の子を忘れてしまうくらい、私しか目に入らないほどに惚れさせます。」
「……そっか。やっぱりちろるはすごいな。」
「乙女の純愛は最強なんですよ。あ~でも、愛と憎しみは表裏一体ですからね。もし最強の憎悪に変わったら、……ごめんなさい。大人しく後ろから刺されてくださいね。」
刺されるのは……できれば御免こうむりたいところだ……。
「なにそれ……? ちるるちゃん……おどしてるの?」
「さぁ? どうですかね~。」
ちろるは意地悪そうに笑った。なんだか最初と真逆になってしまっているなと思った。あの時は、ちろるが俺に告白し、気まずい空気になったところを、俺が少しお道化たことを言ったのだった。
しかし、今は俺がちろるに告白し、そして気まずい空気になったのを、ちろるがお道化て元気をくれようとしている。全く、世の中は本当に何がどう繋がっているのかわからない。




