二 旧知 ー山崎闇斎という人ー(一)
下御霊社は、王朝時代、怨霊鎮めの為に行われた御霊会が起源と言われる古社である。創建当初は御所の北東、出雲路と呼ばれる地域にあった。太閤秀吉の命で、現在の東南の地に遷座した。丹塗りの鳥居も社殿もまだ新しい。
「よろしゅうお願い致します」
社務所を出て、源佐は神主の板垣民部に頭を下げた。板垣家は数代前には甲斐の国、武田家に仕えていたという。その後下御霊社の別当兼神主を世襲するようになり、今は父がその職にあるが、体調が優れないことも多いらしい。数年のうちには代替わりをするのではという話だ。
三十過ぎと思われる板垣は、眉の太い、武張った印象の男で、厳しい表情を少しも緩めずに折り目正しく一礼を返した。源佐の家は曾祖父の代に京に移り住んで以来、代々氏子としてこの神社とは関わりを持っており、源佐も幼い頃から父に連れられ通っているが、肌合いの違いに最初は戸惑ったものだ。京は公家と役人、そして商人の町だ。武士の割合は比較的少ない。
見送ってくれるつもりらしく、民部は先に立って外へ出た。その必要はないと呼び止めようとして、相手が急に立ち止まったので源佐も足を止める。
民部が見ている方向に目を向けると、見覚えのある大柄な背が、境内にある真新しい、小さな祠堂の前に立っていた。
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「ほな、うちは帰りますよって。有難うさんでした」
そう声をかけ、源佐は立ったままの板垣の横をすり抜けた。
黒羽織を着て、遠目にも判る長大な刀を腰に帯びたその男は、名を浅見安正という。武士であり、儒者でもある。板垣とは多少含むところのある間柄であった。もっとも、源佐とも多少因縁のある相手と言えなくもない。
源蔵は少し怯えた様子で、父の背に隠れるように後ろについた。
歩きながらちらりを目をやると、板垣は元々厳しい顔を更に強ばらせ、拳を握りしめて仁王のようにそこに立っている。源佐は小さくため息をつき、そのまま歩みを進めた。
小山のような浅見の背は、大きな呼吸に揺れている。そのまま通り過ぎようかとも思ったが、源佐はつい少し離れたところで足を止め、その背を見つめてしまった。
もっともそうしていたのは、ごく短い間だったと思う。不意に、門前の鳥居の方から名を呼ばれた。
「伊藤どの?」
源佐は声の主を見た。そこにいたのは、どこかで神事でもあったのか、正装をした板垣の父だった。浅見がぎょっとした様子でこちらを振り返り、板垣も同時に浅見に気づき、眉をひそめた。
浅見は袖で、ぐいと顔を拭う。しばらく、誰も口を開かなかった。源佐は板垣に向き直り、殊更にのんびりした口調で言った。
「お世話さんです。やや子の初参りのことで、息子さんに話させてもらいました」
板垣は少しホッとした様子で、眉を開いた。
「伊藤どのに似て、さぞ賢い男児に生い立たれる事でしょうな。私事ですが息子も昨年長男を授かり、安堵したところでして」
「早くもお孫さんとは羨ましいことです」
孫の顔を見るどころか、我が子の成長さえ見届けられるか判らない源佐は、素直にそう感想を言った。十四歳の源蔵を常に伴うのは、そう遠くない将来、若くして独り立ちしなければならないであろう息子に、少しでも社会経験を積ませてやりたいという思いからだった。五十七歳で授かった次男の行く末も、ましてや孫の顔など、源佐にとっては「目に出来れば幸い」というものだ。
「なに、すぐですよ」
さすがに父の方は世慣れているというか、息子よりはやや人当たりが柔らかい。さらりとそう流してから、浅見に目を向ける。
「久しぶりですな」
浅見は答えない。睨むように板垣を見据えている。板垣は、唇の端をわずかに笑いの形に上げた。それきりふいと顔を逸らせ、源佐にもう一度軽く会釈をしてから、邸の方へ歩み去って行った。




