四 邂逅(九)
「これを差し上げる。八年前、三十の時に書いた」
三十歳―――ちょうど、今の源佐と同じ頃だ。
「「異端を攻むるは、害なるのみ」と書にある。どうやら陸王の学や禅書の類いも読んでこられたと見える。わたしも読んではきたゆえ強くは言えぬが、異端を学ぶのは害の方が多い。何より既に「敬斎箴」を諳んずるあなたが、異端の学に費やす時が惜しまれる」
『大学問』『学蔀通弁』『異端弁正』―――床に積まれた書に陸王学や仏教に関係するものがあるのを見てそう判じたのだろう。「異端を攻むるは、害なるのみ」は論語の言葉で、朱熹の解釈では「攻むる」は「学ぶ」である。
「わたしは幼年で寺へ入り、禅寺で初学を修め、二十五までを寺で過ごした。異端の妄説に眩惑され、三教一致を説いたことさえある。あなたは初めから正しい学に志していると言う。その幸いをわたしは羨む。「人心惟れ危ふし、道心惟れ微なり。惟れ精、惟れ一、允に厥の中を執れ」―――あれかこれかと迷うよりも、ひたすらに正しい学を信じて進まれよ。心が確りと立てば、その身も自ずと健やかになろう」
源佐は男がくれた柿色の書を胸に抱いた。その色は朱子の赤でもあり、火のような、この男の心のようでもあった。
歩き出そうとした背に、源佐はつい声をかけた。
「山崎先生」
男は足を止める。
「還俗して学問するいうとき、周りはどないな反応やったん」
学問をするだけというなら、寺にある方がはるかに生きやすいはずだった。身分も生活も保障される。源佐は学問をしたければ医者にでもなれ、と散々言われてきた。二十五歳の若者が、僧の身分を捨て、学を窮め、学を講じて一人で生きていくと決意するのは、決して軽々に出来る事ではない。
男はわずかに眉を寄せる。源佐は慌てて付け加えた。
「不躾なこと訊いて堪忍。うち、今、学問して生きたい言うて、もう何年も親から親戚からきつう反対されてるよって」
短い沈黙があった。
「学問をするのは何の為や」
厳しい声が問うた。
「あなたはひとの意を忖度しすぎる。波風の立たぬ穏やかで安楽な暮らし、他人の賞賛、出世や蓄財、望むところがそのようなものならば、学問などやめておけ。孟子や朱子の生涯は、世を害する異端との闘いだった。朱子は弾圧を受け、周囲の無理解に苦しめられた。顔子は極貧のうちに陋巷で亡くなり、孔子は用いられず諸国を放浪された。それでも先聖たちはひたすらに道を求め、究められた」
言葉が、まるで火のようだ。この身を灼き、行く手を照らす。
「迷うてる暇があるなら、一行でも多く書を読め。そこに全てが書いてある。あなたが考えるような事は、古人がとうに考えている」
源佐を睨みつけ、男は突き放す口調で言った。
「道を問い、己れに問う。道の前にはみな一人や」