四 邂逅(六)
程朱―――朱子の学か。
源佐もまた、朱子の学を学んでいる。一時はほとんど信者のように、四書や『性理大全』―――中華で明代に入ってから編纂された朱子学の注釈集―――などを読み、自己流の注釈や論文を書いたりもした。孔孟の学の理解では、朱子を超えたとさえ思った事がある。
今、自分は迷いの中にいる。だが、朱子学の理解においてなら、学を生業とするというこの男に対してであっても、そうそう後れを取るつもりはない。
源佐は膝の上の拳を握りしめる。深く息を吸い込み、一息に言った。
「其の衣冠を正し、其の瞻視を尊ぶ。心を潜まし、以て居り、上帝に対越す。足容は必ず重く、手容必ず恭し。地を擇び而して踏み、蟻封を折旋す」
朱子が持敬の工夫を記した「敬斎箴」。かつて源佐がぼろぼろになるほど読み込んだ書だ。そこから「敬斎」と号し、それについていささかの文章も草した。もっと深く入り込もうと、何度も何度も書き改めた。
心の修養について何かを掴んだと当時は信じたが、今思えばあの頃から源佐は、己れの心と周囲の思惑と、その中での身の処し方との軋轢に苦しみ始めたのではないだろうか。心を修めようと焦り、直接に心を扱う陸王の学や禅書にまで手を出し、そして更に深い混乱に陥っていった。
男の目が、一瞬底光りしたように思った。短い間があって、厳かともいえる口調で続けた。
「惟れ精、惟れ一、萬変是れ鑑みよ。事に斯く従ふ、是を敬を持すと言ふ。動静違はず、表裏交々正し」
そこで少し言葉を切り、やがて源佐に聞かせるともなく呟いた。
「人心惟れ危ふし、道心惟れ微なり。惟れ精、惟れ一、允に厥の中を執れ」
それは十六字心伝とも呼ばれる、尚書の一節だった。それだけ言ってしばし沈黙し、やがて軽く頷いた。
「好きに読まれよ」
源佐は頭を下げた。
「おおきに」
「立つのが辛ければ床で読まれても構わぬ」
そう付け加えると、男は再び机に向き直り、水差しを手に取る。予想外の気遣いの言葉に、源佐は少しばかり驚いて男の背を眺めてしまった。
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