四 邂逅(四)
「食べられるか」
「ほんまにおおきに。あの、雨除けさえ貸してもらえれば出て行きますよって」
「雨がやんだら送ると言うている」
男の口調は相変わらず強い。先程の苛立ちはもう感じられなかったが、言う通りにしないとまた機嫌を損ねそうだ。
「かんにん。ほな甘えさせてもらいます」
「では、しばし休まれよ」
そう言って立ち上がり、源佐から離れて文机の前に腰を下ろした。そして文庫から筆を取り出し、何かを書き始める。傍らには大量の反故紙らしきものがあり、どうやら清書をしているのではないかと思われた。源佐に向けた背は、相変わらず規矩でも当てたようにぴんと伸びている。
音を立てないように気をつけながら、源佐は碗を取り、木匙で湯漬けをすくった。暖かい飯が胃に沁みる。朝から何も食べていなかったので、人心地ついた源佐はほっと息を吐き出す。
湯漬けには稗が混ぜてあって、そう裕福な邸ではないようだ。そのことは、古稀も越えたかと思う老人が鍼で生計を立て、息子は学で身を立てるという言葉からも伺えた。源佐をこの部屋に運んだのも、他に空いている部屋がないからかもしれない。主君を持たない浪人だろうか。天下分け目と言われた関ヶ原での戦から、およそ五十年。今七十、八十歳の武士であれば、男盛りをその動乱の中で過ごし、仕えるべき主君を失ったとしてもおかしくない。
空になった碗をそっと床に置くと、手持ち無沙汰になった。源佐は半身を起こしたまま、男の背をしばらく眺めた。男は源佐の存在など忘れたかのように、ただ淡々と筆を動かしている。
それにしても、と源佐は思う。
鍼医をして口を糊する貧しい浪人の子が、学を講じて生きていくというのは、余程の覚悟だ。どこかに仕官でも考えているのだろうか。
息子は学問を生業にしている、と言った父は、そんな息子をどんな風に見ているのだろう。声も眼差しも、穏やかに暖かかった。
武家と商家の違いだろうか。
源佐が学問に没頭しようとした時、両親は嘆き、親族は激怒した。弟もいることだし、家業に励めとは言わない。ただ生計の道はどうする。学問道楽に生きる放蕩者を許す訳にはいかない。学問をしたければ、医者にでもなれ。
彼らが嘆き、懇々と諭し、叱責するのは、どれも源佐を思ってのことだと判っていた。源佐もまた彼らを愛していたし、両親を安んじられないことは辛くもあった。だがひたすらに学問をしたいと願う心を、自分ではどうすることも出来なかった。
元々乱読気味だった源佐だが、この頃から儒学の主流である朱子学を離れ、明学や仏書にまで手を出すようになった。「我を愛すること深き者は、則ち我が讐なり」―――愛別離苦、五倫五常からの解脱を説く仏の教えが、自分を救ってくれるような気もした。いつしか世界は色も温もりも失い、気づけば誰とも定かでない白骨が行き交う静寂の中、源佐はただ一人、虚空を見つめて立ち尽くしていた。暑さも寒さも、悲しみも苦しみも喜びもない。
これが「空」というものか―――とぼんやり思った。
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