六ノ巻
ミシミシと音を立てる腕に力を込めて長剣を振り下ろす。腕が痛むが長引けばそれだけ不利になるので、そんな事を気にしてはいられない。
だが、この状況を打開出来るだけの策を思いつくことも出来ない。巨狼にアバリの火は効かず、逆に巨狼が炎を纏うことになり長く近寄ることも出来ない。
打つ手はない。しかし、このまま逃げ帰るという選択肢は不思議と浮かんでこなかった。
「ぐっ、熱い!」
首を狙った斬撃の手応えはほんの僅かでしかなく、更には巨狼を包む炎が容赦なく腕を焼くのだ。堪らず直ぐに距離を取るしかなかった。
「……なんと厄介なやつだ」
悪態をついても何も変わらないが、意図せずに口から漏れる。
燃やされた事に警戒しているのか、積極的に攻撃して来ない事だけが救いだ。しかし、それも何時までの話か分からない。
「首を落とすしかないか」
不死身とさえ思える巨狼を止めるには、その方法しか思い付かない。しかし、言う事は出来る容易いがあれ程の太い首を断ち切るのは至難の業だ。
「やるしかない……」
逃げる選択肢はない。
ゆっくりとした動作で長剣を突き出せるように構える。
今までこれ程の極限状態に追い込まれることなど無かった。既に限界など超えている。
ならばもう一度超えてやろう。
アバリは能力に目覚めるには極限状態に陥った時に発言する可能性が最も高いと話していた。それならこの戦いで力を得る。
「お前はそのための踏み台だ」
全身の力を足に込めて駆け抜ける。
動き出した白狐に反応した巨狼が燃える前足を奮ってくるが横に飛んで回避。着地と同時に首元に飛び入ろうと地面を蹴れば、迎え撃つように牙が迫ってくる。
白狐は巨狼の鼻先を蹴り避け、無防備に晒された首筋に長剣を突き刺した。
「グガァガアアアア!!」
「ぬぅん!!」
痛みによる叫びを上げるが躊躇うことなく長剣を押し上げて切り裂く。夥しい量の血が流れ出て血溜まりを作るが、僅かに断頭には至っていない。
再度長剣を振り下ろす。
だが、巨狼はそれを許さなかった。
首をきり落とす為に飛び上がった白狐の身体に、鞭のようにしなる尻尾が直撃したのだ。腹部を中心に鋭い衝撃が体をかけめぐり、地面に叩きつけられる。
「グオォオオオオオ!!」
巨狼が大口を開けて此方を向いた。痛む身体を起こして視線をやれば、喉奥から膨れ上がる炎が見える。
嫌な予感に従い咄嗟に身体を投げ出せば、先程の場所を熱風が直撃した。
「デタラメなヤツめ!」
巨狼に向けて常人なら即死する攻撃を何発か受けている白狐は言う。
熱風の余波で転げた白狐には次なる脅威が迫っていた。
大木が幾つも頭上から降ってくる。巨狼が木々を引っこ抜き、此方に向けて投げているのだ。
回避は間に合わない、体勢の崩れた今は受けも流しも出来ないだろう。何とか地面を蹴って大きく横に飛び退くが、枝木が脇腹と脚を刺し貫いた。
「ぐぅっ!……なんと、無様な」
身体から力が抜けていく。それ以前に、地面に縫い付けられて動くことも出来ない。
自身の勝利を確信した巨狼は喉を鳴らしながら、ゆっくりと此方に近付いてくる。身体を燃やす巨狼は宛ら地獄の番犬の様だ。
白狐の耳には巨狼の足音と共に、ハッキリと死が近づいている事を確信する。
だがそんな白狐の状態とは真逆に、彼の右手は長剣を手放していない。力を緩ますことなく、しっかりとそれを握りしめている。
痛みは感じず、剣を握る感触だけがハッキリと伝わってくる。妙な感覚が白狐の右手を包んでいた。
「まだ、終われん……」
気付けば巨狼は目の前まで来ていた。口を開けて白狐を喰らおうと並ぶ牙を近付けてくる。
妙な感覚が右手から右腕全体に広がり、スッ、と右腕が動いた。動かそうとした訳では無い、勝手に、無意識に動いたのだ。
顔を上げれば右手に握る長剣が、巨狼の上顎に突き刺さってるのが分かった。再び、無意識に右手が動き、差し込んだ剣を巨狼から抜く。
剣を抜いて直ぐに巨狼は吠えた。
今まで聞いた事のないような声。とても生き物が発する様な声では無い、まるで穢れ自身が痛みに耐えかね絶叫している様な声だ。
「まだだ、まだ終わらん!」
いま、この瞬間が勝機だと確信した。
腕を動かし枝を切り払い、立ち上がる。右腕を包んでいた感触は、いまや全身に広がり気を満たしている。
一際大きく吠えた巨狼が再び口から熱風を吐き出すが、巨狼の頭上に飛ぶ。何度も吐き出し続けられる熱風も枝や幹を足場に避けた。
空を駆け回る白狐。それを巨狼が追いきれなくなった瞬間を白狐は見逃さない。
上段に大きく構えた長剣を首に向けて力強く振り下ろす。
「終わりだ!」
振り下ろされた刃は強靭な筋繊維や硬い首の骨をものともせずに通り過ぎ、巨狼の首を完全に断ち切る。
僅かに間が空き、ズルリと巨狼の首が地面に滑り落ちた。血を吹き出し力を失った胴も地面に倒れる。
「もう、苦しむな……」
切り落とされ血に沈もうとも、未だに動こうとする巨狼の頭部に長剣をあて、力一杯に突き刺す。
するとどういう事なのか。今まで巨狼から発せられていた穢れ憑き特有の気が長剣を伝い流れ込んで来たと思えば、完全にその気配が霧散した。
巨狼からもどこからも、穢れの邪気は感じられない。
その後、火がゆっくりと巨狼の身体を燃やし崩していき、最後には巨狼だった物の灰だけが残った。
これでもし生き返れば、もうやれる事はないだろう。
正真正銘、全ての事が終わったのを確認してから白狐は長剣を鞘に収める。
「流石に、疲れたな」
急に襲ってくる痛みや疲労に脚から力が抜け身体が前に傾く。しかし、身体が地面を打つことは無かった。誰かの背中が自身の身体を支えている。
「随分、手こずったようじゃな」
「……見ていたのか?」
「暫くな、見さしてもらっていた」
声と薬草の匂いで、それが誰だかすぐに分かった。肩に手を回して鵺はゆっくりと歩く。小柄な割には力があるのだなと、どうでもいい思いが白狐の頭に浮かぶ。
「あんな化け物相手に、ようやった。戻ったらご馳走だそうじゃ。それまでゆっくり休めばええ」
「なら……言葉に甘えさせて貰おう」
鵺の言葉に応えた白狐は、意識を手放し襲いくる睡魔に身を任せる事にした。
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