四の巻
葉を揺らす風が頬を撫で、土の香りが鼻を通って口より吐かれる。
白狐は精神を研ぎ澄ませ、聞いていた。歯の揺れる音に枝が擦れる音、鳥のさえずり。
その中でたった一つだけ不自然で荒い息づかいを聞き取った白虎は、腰の長剣に手を掛けた。
――来た!!
「グワゥッ!!」
咆哮を聞いた瞬間に抜き放ち、一閃。
長剣が首を斬り落とし、血生臭い獣の死体が生まれる。
「火も底をつきそうだな」
首を斬られようとも動き続けようとする狼に対して、筒より火を垂れ流し完全焼き尽くした。
未だに藍憑きの能力が発生しない以上、アバリに渡されたこの火に頼ることしか出来ない。
「今日でもう四日も経つか」
食料は既に無いが、野生の動物を狩れるので問題ない。しかし、アバリの火が無くなるのは話が別だ。穢れ憑きを完全に倒す事が出来なくなれば、消耗は一気に加速する。
「そうなる前にヤツを見つけなければ」
筒を落とさぬ様に大事にしまい込んだ白狐は探し出すべき対象の事を思い出す為に、少し前に記憶を遡った。
「さて、本題に入るのが依頼するのは穢れに憑かれた狼達の一掃だ」
「全滅させるのか、穢れに憑かれた奴だけ処理すれば良いのか?」
「憑かれた奴だけだ。それ以上は自然に良くないからな」
だとすれば少し楽かもしれない。
獣の一匹程度を相手にするのは難しくないが、統率の取れた獣の群れを一人で相手取るのはかなり厳しいと言っていい。
「知ってるだろうが群れにはトップが居る。それを叩けば簡単だろうが、今回の件はそうはいかないだろうな」
「何かあるのか?」
「ある!既に体験しただろうがここの獣は普通ではない。中でも肉食で獰猛な狼、それを束ねているボスが穢れに憑かれているとすれば」
「俺の想像なんか、超えてくるだろうな」
だが、そうでもしないと憑き物の能力を引き出せないとするのなら、この壁を乗り越えるしかない。
アバリは二つの物を差し出す。
一つは長剣、もう一つは何が入ってるのか分からない赤い筒だ。
「受け取れ、俺からの選別だ!」
「この赤い筒は?」
「俺の炎が入っている。何体かの穢れ憑きなら処理出来るだろうが、頼り過ぎるな。
他にいる物はあるか?」
「そうだな……油を頼む」
これが五日前の話だ。
未だに群れのボスは見つかって居ないが、確実に近付けている感覚はある。
見つけた足跡や糞は新しく、残されてから時間もそれほど経っていなかった。何より今日は先日よりも穢れに憑かれた狼も、そうでない狼もよく見かける。
「群れが近いか」
白狐は近くの木によじ登ると太い枝の上に腰を掛け、気配を殺した。海に泳ぐ鮫は血の匂いに集まると聞く。
狼は鼻が利く。仲間の血の匂いと白狐の匂いを嗅ぎ、外敵を排除しに来るかも知れない。
「さて、目当てのものが釣れるか」
数分経った頃だろうか、腰丈程ある草々が音を立て揺れる。先に始末した狼、その血を染み込ませた布切れに向かい迫る。
――来たか。
五つの影が眼下に出てきた。
中でも一匹、片耳しかない目を引く程に大きな狼が居る。しかも穢れ憑きときた。これは一つの餌で最大の、目当ての獲物が釣れたと言って良いだろう。
幸いにも、取り巻きの四匹は穢れに憑かれては内容だ。
「グォォオオオ!!」
匂いで気付いたのか、穢れ憑きが此方を向き目が合うと身も竦むような咆哮を上げた。白狐が長剣を抜き、枝木から飛び降りたのは同時。
狼は大きく飛び退き剣の範囲から出ると、地に着いた瞬間に噛み殺そうと身構える。
対する白狐は慌てない。
「ふん!」
振るうのでは無く、投げた。
直線を描いた長剣は狼の額に吸い込まれるように突き刺さり、頭骨を突き抜け、脳髄を抉り貫く。仕上げに顎下より外に出た剣先が頭部を地面に縫い付けた。
「最後は意外と、呆気ないものだな」
終わってみればなんて事もない。
額より長剣を引き抜けば、血と脳漿の混じったものが傷口よりドロリと流れ、毛並みをつたう。
幾らこの地の穢れ憑きが強力と言えど、脳髄を破壊尽くされれば絶命するだろう。
強いものが死んだからか、穢れに憑かれていなかったからか取り巻き達の姿は既に消えている。
これは動物の本能によるものだろう、野生の獣は危険を侵すことはほとんどない。
「だが、油断は禁物だな」
血を振り払い長剣を鞘に収め筒を取り出す。
これで燃やし尽くせば全て終わる。藍憑きの能力を引き出す事は出来なかったが、日の国に渡れるだけでも満足だ。
筒から垂れ流した火は瞬く間に狼の身体を覆い、大火となり焼き尽くす。
「ヴォォォオオアアォオオ!!」
「なんと……脳を破壊してもまだ生きていたか」
死んだと思っていた狼が、火に焼かれ叫び声を上げる。穢れ狩りをして来る中でも何度か聞くことがあるが、断末魔という物は気持ちのいいものでは無い。
しかし、ふと気になった。
こんなに空に響く声は断末魔と言うよりも遠吠えに近い様に思える。
「……何を呼んでいる?」
返事は無い。
少しした後に狼は横に倒れ、聞こえるのは肉と油が焼ける音。鼻に届くのは肉や毛が焦げる嫌な匂いのみ。
いや、それだけではないようだ。
先程よりハッキリと鼻が獣臭を嗅ぎとっていた。そしてそれは間違いなく、此方に近づいている。
「釣られたのは俺の方と言う訳か」
枝が折れる音に荒い鼻息。獣臭は一際強くなり鼻をつく。
覚悟を決めて振り返る。
先に倒した狼が子供に見えるほどに大きな巨狼が、穢れに澱んだ目で此方を静かに睨みつけていた。




