22 ごめんなさい……
「お嬢様、ドイモル先生がいらっしゃいました。」
とジーナに声かけをしてもらって、私は必死に思い出す。
ドイモル先生は確か…
「あー、国語の先生。」
なんとか思い出せた私は、すでに疲弊しきっていた。勉強がこんなに眠くて疲れるものだと、忘れていたのだ。義務教育しか受けていなかった私は、肉体労働ばかりをしてきた。改めて、樹が凄いなぁと感心していた。
ベンキョーツライ………
どうして私が勉強しているのかと言うと、それがパパから告げられた『仕事』であるからだ。私の働きたいと言う『わがまま』は、貴族の体裁のために無理であったらしい。
そこで彼が連れてきた執事のミュウリさんと、2週間ほど前に3人で話し合ったのだ。ミュウリさんの提案が採用され、私は勉強をするほどお給料として、お金がもらえる仕組みになった。最後まで「お小遣いあげたいのに。」と口を尖らせていたパパを納得させるのは至難の技であった。ミュウリさんが。
そんなパパと同様に私も、「お金をかけて私に勉強させてくれるのに、更にお給料貰えるなんて理解出来ない!」と口にしてしまった。それに対して、ミュウリさんが丁寧に説明してくれた。
もし私が『立派な令嬢』になれば、ダイアール家の製品の宣伝になるし、より良いお家と政略結婚が出来るようになるらしい。私でも役に立つのだと、教えられれば頑張らない訳にはいかなく、故にこうして苦手な勉強に精を出してるのだ。
そんな私は、未だ王宮の一室に居候している状態である。パパに聞いたところ、あと1週間はこのままであるらしい。特に不満はないので構いはしないが、何か特別な理由があるのだろうか、と不安に思わなくはない。
「はじめまして。ドイモルと申します。ソフィアお嬢様。」
彼女は、怯えた表情で私を見る。それはいつもの事であるので、私は笑顔で彼女を招き入れる。流石に本日3度目であるので、慣れざるを得ないだろう。それでなくても日常茶飯事であるので気にはしないけれど、改めてルーカス君やパパ、ジーナや兵士の皆んなに出会えて良かったなぁと思う。
背後でジーナが静かに怒りを燃やしているのを感じ、私は密かにドイモル先生の身を案じた。
「はじめましてドイモル先生。私の名前はソフィア・ダイアールと申します。本日は、足を運んでくださって、ありがとうございます。」
私は一歩部屋の外へ出れば、驚くほど嫌われ者であった。私の容姿を一目見たものは、悍ましいものを見るような目を向け、気持ち悪い物を見るような目を向けるものや、災害があったかのように大慌てで逃げ惑う人もあった。
私は何もしていないのだから、この原因は十中八九外見のせいであるなぁと、すぐに理解した。と同時に、別に私を怯えるに関しては構わなかったが、こんな事をまだ8歳のソフィアが体験していたのだと思えば、少なからず怒りを感じてしまうのも当然であった。
故に、目の前のドイモル先生のこの態度も、予想していた通りであるので、何か問題がある訳ではないけれど、それでも悲しみを覚えてしまうあたりが、まだまだだなぁと思った。
「本日は何を教えてくれるのですか?」
いつまでも動こうとしない彼女を、私は机へと誘導して、出来るだけ物腰柔らかに質問を投げかける。
「あ、ええ。ソフィアお嬢様は文字を書けるのだとお聞きしているので、どの程度であるのかをはじめにテストをして、それに合わせて予定を立てていきたいと思います。」
彼女は仕事モードに入ったようで、メガネをクイッと直した後に、テストらしき紙とペンを取り出した。まずこの羽ペンにならなければならないなぁと私は思った。インクをペン先に付けて書くのは理解できるのだが、消せないのは色々と不便であった。文句はないが、鉛筆くらいあっても良さそうなのに、とは思う。
その渡されたテストは、恐ろしく簡単であった。小学生が習うような漢字に、少し長めの文章の要約、義務教育しか受けて居ない私であるけれど、流石に20歳にはなっているので、難なく解くことが出来た。
「では採点致します。」
赤色インクの羽ペンで、シャッシャッと軽快な音を立てながら、丸がつけられていく。なんとも嬉しい音である。
「ぜ、全問正解です。病気で療養していて、全く教養がないと聞いていたものですから。これは素晴らしいですね。小さい時から教育を受けていた令嬢でも、ここまで素晴らしい方はなかなか居ません。」
「ありがとうございます。」
褒められたことよりも、私はそんな設定であったなぁと思い出すのに忙しかった。いつか墓穴を掘りそうで怖い、そしてそれが無いとは言い切れないのが私という人物なのだ。
私はソフィアについてほぼ知らないのだが、平民であったことは聞いていた。そして令嬢が平民上がりである事や、パパが子供を誘拐されていたと知られれば、私には理解出来ないような困った事態になるのだそう。説明してはくれたのだが、頭の弱い私には何が何だか分からなかったのだ。
「これでは力量が測れないので、今度はこちらをお解き下さい。」
そう言って差し出されたテストを見ると、漢字が少々中学生レベルにランクアップしていた。更に要約だけではなく、作者の心情を考えよなど新しい問題も見受けられた。だが、それも中学生レベルになったに過ぎないので、割と解けていると感じた。
「56点。やはり進んでいますね。字も綺麗ですし、言葉遣いも聞いている限り問題はないように思いますが、語彙力は少し足りないようですね。更に手紙の書き方などの、貴族の一般教養も抜けているようです。そこを強化、改善していきます。何か質問はございますか?」
(56点…あれま。うん、そんなもんだよねぇ。)
「いいえ。ありません。」
「それでは本日の授業を終わりにしたいと思います。ではさようなら。」
「さようなら。」
ドイモル先生を見送った後、私はジーナに入れてもらった高級な紅茶を飲みながら、次の授業を楽しみに待つ。本日最後の授業……それはかつてパパにお願いしたわがままであった。そう、ダイアール家の執事兼、護衛の方が来て護身術を教えてくれる手筈になっているのだ。
何よりもソフィアを守りたい私にとって、その授業は何よりも重要な意味を持っていた。
そして先程の様な教養も、これから彼女の力になると思えば、泣き言ばかりも言っていられないなと、気を引き締めた。
「初めまして。ディギーと申します。早速護身術をお教えしますが、まずは受け身を取れる様に訓練していきます。バシバシ鍛える様にと仰せつかっているので、そのつもりでお願い致します。」
そうなのだ。意外な事にパパは手を抜かない。優しい人ではあるものの、中途半端を好まない性格であったのだ。だから私が習いたいのだと自主的に言いだしたものは、途中で逃げ出そうものなら説教を食らいそうである。まぁ、余程のことがない限り、逃げ出すはずがないのだけど。
物事には例外がつきものだ。
「分かりました。」
そしていきなり投げ技を使ってきた彼に、私は動揺を隠せない。もちろん手加減をしてくれていることは間違いないのだが、それにしてもいきなり実践をぶち込んで来たのだから驚くのも無理はないだろうと、1つ言い訳をしておく。
「ちょっ、待って。待ってってば!受け身の方法くらい教えてよ!」
と私は叫んだ。体で覚えろ、にしても見本くらい見せてくれてもいいはずである。
そして30分ほど経った後、ようやく休憩を貰ったはずの私は、更なる彼の追撃に、急いでそれをかわす。もはや受け身を取ると言うよりも、どうやって逃げきるかと言うことを考えてしまっていた。
「そうです。」
いきなりそんな事を言った彼に、私は思わず「は?」と口に出してしまった。
「敵に狙われた際に、令嬢が取る行動は、護身術なんかではありません。護衛が来るまでの間、逃げ切ることです。俺が今やった手段は、あくまで逃げるための手段の1つであって、敵を撃退する必要はありません。女性は力で男に劣ります。仮に勝てたとしても、貴方様のお手を汚す必要はありません。貴方様が護身術を学びたいと、それでもおっしゃるならば、それに従います。しかしそれよりもまずは、捕まらない方法。さらに捕まった際の対処法を学ぶ事をお勧め致します。」
彼は真剣にこの様な事を言った。先程から、楽しそうに私を追っかけ回していたので、サイコパスかと思ったが、少しはまともな人間であるらしい。言っていることも、もっともであった。
「分かりました。それを教えたかったのですね。」
「いや、逃げ惑う貴方様が面白くて。普通の令嬢なら泣き出すか、助けを求めるか、それか素直に技を受けて気絶しますので。」
「うわぁ。よくクビになりませんね。」
私はドン引きした。ドSとか結構です遠慮します。
「両親にあらかじめご了承を頂いておりますので。実際に怪我させたことありませんし。それに昔の話です。」
彼は見た限り、40歳程の温厚そうなおじ様である。
だが騙されてはいけない。
「さて、再開しましょうか。」
などと笑顔で告げる。思わず私の頬も引きつる。
「あの、せめて何を再開するかだけでも!」
「いっきますよー。」
「いや、行かないでってば!ぎゃあ!」
抵抗も虚しく、あっさりと高まる私に、どこが悪かったのかを、体験を交えて教えてくれる。そんな間も攻撃の手を休めてはくれないのだが。
「人間の急所はどこだと思います?」
「ま、真ん中!」
「正解です。頭、心臓、みぞおち、たまー、どこでも構いません。そこが急所です。急所ゆえ、相手も馬鹿ではありませんのでガードが固いです。どうすればいいと思います?」
(たまーって言い方が気になるんだけど!)
「そこを、殴るふり、して逃げる。」
私は息も絶え絶えに答える。そんな余裕は無いのだが、答えるまで彼は急かし続けるのだ。
「まぁ、それも悪く無いですね。他には?」
「近くに、ある道具を、使う。」
私は彼に腕を背中で締め上げられながら答える。そして拘束を緩めた隙に、私は彼のアソコを蹴り上げる。しかしそれはひらりと躱される。それを狙って、彼が先程やった様に手を背中でしめあげようとするも、力技で回避されてしまう。
「道具を使っても構いませんよ。俺はプロですから。本気でやられても怪我しません。」
「ここ、王宮、高級、無理ぃい!」
「韻踏んでますね。」
(そんな冗談に笑える状況じゃない!)
怪我はしなくとも痛いのだ。痛いのは嫌だ、でも避けられない。あまりに手の長さ足の長さが違いすぎる。しかし私の体は驚く程軽やかに動いた。これを使わない手はない。
「そんなんでは、あっさり捕まってしまいますよ?せめて5分程は逃げ切ってください。」
床に押さえつけられた私は、肩で息をしながら彼に質問をした。
「廊下に逃げるのは得策ですか?」
「ええ、他の人に襲われている事をアピールすれば、その分助かる可能性も上がります。しかしそれは状況によります。窓から入ってきた事が確実であれば、それもいいでしょうが、待ち伏せされてる場合もあり得ます。よく気付きましたね。逃げるのと同じくらい、襲われている事をアピールする事も大切です。」
「大声を出すとか?」
「それもありです。他には激しく窓を割ったり、魔法が使えるのであれば、それも良いですね。他には何かSOSの合図を予め決めておく、なども有効かと。…そうですね。そろそろ、そう言った事も説明しましょうか。」
押さえつけている手が緩んだその隙に、私は身をよじって逃げ出し、馬乗りになって、先程されていたことと全く同じ事をして返す。私なりの意趣返しだ。
「お、中々やりますね。これはしてやられましたね。」
「嘘です。わざとでしょう。」
ディギーの背中に跨り手首を背中で捻じ上げたまま、私はその発言に返す。
すると彼は、バレてましたかとおどけてみせた。彼はわざと隙を作り、わざとやられた様に思う。
「こんな隙を見せても、中々しないものですから、やり返してきたのはアーサー様以来ですよ。それに素晴らしい手腕です。」
と嬉しそうに語る。そしてやり返さないでくださいねと、念を押した後、私は退けてあげた。そしてグッタリと椅子にもたれかかった後も、本当にもうこれ以上は勘弁してくださいねと念を押した。
「家の中で襲われる場合は、大体メイドや執事に扮した暗殺者です。どうしてか分かりますか?」
「警備がしっかりしているから、それ以外に侵入方法がない、とかですか?」
「正解です。ではどうすれば対処できると思いますか?」
「うーーん、えっと、信頼出来るまで見張っておく、とか?…分からないです!」
「ここは常に疑ってかかる以外にありません。もちろん私達も善処しますが、そこは貴方様にも注意願いたい。ですが逆に言えば、先ほども言った通りそれ程までに警備が厳重であるという事です。家で襲われる確率はかなり低いでしょう。」
「はぁ〜、そうなんですね。」
こんな徹底ぶりを聞いて、私は安心するよりも、貴族の中でも飛び抜けて立派な家柄では無いのか、という可能性にむしろ震えが止まらなかった。その様子を怯えたのだと解釈したのだろうか。ディギーは、少し申し訳無さそうだ。
「最も多いのは、馬車での移動時です。情報が漏れた場合に、最も相手側が待ち伏せしやすく、確実に殺せるからです。そんな場合、馬車から出るのは得策ではありません。」
「だけど!そうしたら貴方たちがっ!…あぁ。」
「気付きましたか。その通りです。俺達は貴方様を逃がすために命を散らしますが、貴方様が殺された場合も俺達は殺される、あるいは責任を取らされます。それ程の立場である事をお忘れなきよう。」
「…もちろんです。しかし、悔しいですね。」
「お気持ちはよく分かりますが、貴方様ができない事を補うために俺達が居るのですから、そう割り切ってもらわねば。では話を戻します。馬車を襲われ、仮に全滅していた場合、殺されるのではなく誘拐されそうな場合には、大人しく捕まって下さい。その際に手掛かりになりそうなものを残してくれるとありがたいですが、何よりもご自分の身の安全を確保する事に専念して下さい。」
「ではやはり、情報をもらさないように、いつどこへ行くのかは親しい人にも黙っていた方が良いという事ですか?」
「ええ、告げる必要性がない限りはそのようにした方が確実でしょう。他にも例はありますが、殆どの場合はこの2つです。では次回は、捕まった際の対処法について行いますので、これで失礼致します。」
「ありがとうございました。」
そう言ってディギーが帰った後に、パパが顔を出した。
「ソフィア〜!どうだった?」
「疲れたけど、勉強になったよ!」
「え?」
「え?」
パパが不思議そうな顔をするものだから、私も同じように首を横に倒した。2人して全く同じポーズである。そしてようやく、私は彼の背後にいた女性に気がつく。
(えーっと、だれ?)
「パパ、なんの話かな?」
「えっと、タイラー殿下と会わなかったかい?」
「うん?…会ってないよ。タイラー殿下がどうかした?」
私はキョトンと首を傾ける。タイラー殿下なる人は、ルーカス君から聞いていたけれど、一度もあったことはなかった。私の記憶喪失については、ルーカス君がお話ししたと言っていたから、やはり面倒だと思ってしまったのだろうか、と少し落ち込んだ。
「いや、会ってないなら何でもないよ。えっと、また来るからママにも挨拶して。」
「さ、さようなら。」
(ママとか、嘘でしょ若すぎでしょ!…まぁパパがパパだし、ありえるのか、ア◯エールでしょ…ごめんなさい)
ママはフンッ!とそっぽを向いてパパと出て行った。あら、ソフィアめっちゃ嫌われオンパレードやわ、と疲れた頭はおかしな事を考えていた。
そしてソファーでグデェーとなっていると、トントンと扉をノックする音が聞こえた。それが少し煩わしくて、私はうぅと唸っていた。
「ソフィア様、しゃんとして下さい。」
とジーナに注意され、私はピシンと背筋を伸ばして笑顔を貼り付けた。そしてノックした人が部屋まで入って来ませんように、と祈りを込めた。
「ルーカス様がお見えです。」
どうやら訪れたのはルーカス君であったらしい。それを聞いた私は、タンスの引き出しからあるものを取り出して、ルンルン気分でルーカス君の声が聞こえるのを待つ。
「ソフィア様。」
と後ろからルーカス君の声が聞こえたので、私は満面の笑みで振り返る。
「ルーカス君!久し振りだよね!」
そしてルーカス君の隣に立っている、小学生ほどの少年を目にした。赤茶色の髪の毛を携えた彼は、とても美しかった。キラキラと輝いて、彫刻のように整った顔立ちであった。
「このお方は、タイラー殿下であらせられます。」
そのようなルーカス君の紹介を聞いて、私は急いでかしこまった。
「そ、ソフィアでございます。お話は伺っております。ソフィアをお助け頂き感謝いたします。」
(記憶の話は聞いてるってルーカス君言ってたし、不敬罪とかならないよね?)
「あぁ、私が助けたかっただけだ。気にする必要はない。」
「え……」
「ど、どうした!?……な、泣くな。」
利津様の慌てたような声が聞こえた。
そして私はようやく、頬を流れ落ちる液体に気づく。ただただ苦しくなった。自分でも制御できない感情が渦巻いて、私はうまく息ができなきなった。苦しかった。こんなに激しくて寂しくてどうしようもない感情など、初めてだった。でも苦しくなるほど安心したのも事実で、先ほど一番感じた感情が幸せだあったのも本当で、私は何度も謝り続けた。自分でも何に謝っているのか分からないまま。
「ご、ごめんなさ、ごめんなさい。ごめっなさい。」
「何に謝ってるんだ!」
利津様に責められてるのだと思った。どうしておまえだけ幸せになっているのだと。何も守れなかったおまえが、何にも持ってないおまえが、謝れば許されるとでも思っているのか、と。
「もう謝るな。」
そう言われた瞬間、私は息ができなくなった。
謝る行為がひどく卑怯に思えた。逃げるのは許さないと、頭の中で様々な人が私を責め立てた。
そしてそれは私を深いところまで連れていく。過呼吸が、ひくひくっとなる。息を吸っているのに吸えなかった。
私は床に突っ伏しおぇっと言うまでむせた。
「あぁ、どうすれば泣き止む。」
利津様の困ったような声が聞こえる。
その間も、私の目から塩辛い謎の液体が流れ続けたのだった。
閲覧、ブクマ、応援、コメント、その他ありがとうございます。
大切な者の居ない世界で彼女はどう生きるのだろうか。何を思い、どう乗り越えていくのだろうか。そこに成長はあるのだろうか。私自身、とても考えさせてもらいました。




