2-7 普段は知らない裏の顔(1)
蜥蜴人の不死者から逃げ切った俺たちは、林間を駆け抜けて迷宮が隠れる崖までやって来た。
誰一人として欠けることなくこの魔境を帰還できたのは、運が良かった。
いや、運だけではなく修行の成果が出てきたというのも大きかったのだろうと実感する。浄化の魔法も効果は絶大だったのは、まだ目に焼き付いていた。
「ふぅ……なんとかセーフ」
マップを入念に確認して追っ手がいないことが分かると、安堵の息を漏らす。
それは灰色狼達も同じで、生死のやり取りをするような緊張感は無くなっていた。
しかし、見知らぬ地に連れてこられて、俺に対する警戒心は大きくなってるようだ。牙剥き出しで威嚇している。
「レイリー」
『なんでしょうか?』
「眷属空間にこいつらを連れていくから説明してよ」
『分かりました』
レイリーは狼の言葉でやり取りをする。暫く、ウォンウォン、キャンキャンと謎の会話の後に、納得したのか全員が従順に付いてくるようになった。
「なんて言ったの?」
そう聞いてみるとレイリーは、恥ずかしがって『秘密です』と、はぐらかした。
彼女もやはり、女の子ということらしい。故にそれ以上詮索するのは、やめておいた。
従順な灰色狼達に案内をする様に迷宮内を見て回ってから、最後に眷属空間へとたどり着いた。
いきなり洞窟から草原へと景色が変わり、驚きを隠せない様子の灰色狼がとても可愛らしくて、屈強な狼とはとても思えなかった。
「お早いお戻りですね」
「なにやら騒がしいと思って見に来たが、何を連れているのだ」
ソフィーと黒猫が出迎えてくれる。
急な来客に眉を顰める黒猫だったが、事の顛末を話すとなるほどと言って納得したようだ。
ソフィーに至っては、修行の成果を聞けて心做しか嬉しそうにも見える。
「そういう訳で、この灰色狼達はうちの眷属になるからよろしくな」
「ふむ。戦力が増えるのは良いことだ」
「そうですね。……それと、ユート様」
「何?」
微笑ましげに黒猫に賛同していたソフィーは、切り替えて俺の方を向く。
「暫く……とは言ってもほんの数日ですが、その期間だけお暇をいただきたいのです」
「お暇ねぇ……。確かに休みは必要だよなぁ。うん、良いよ」
とは言いつつも、普段は真面目に俺に尽くしてくれるソフィーが休みをもらって何をするのか聞いてみると、
「研究室に戻ろうと思いまして……。あ、召喚される前に住処にしていたところのですが」
どうやらそういうことらしく、次いでに師匠にも会いに行くと言っていた。
ソフィーの師匠が生きているということにも驚きだが、次いでに会いに行くという雑な扱いの師匠とは、どんな人なのだろうかと気になる。
一瞬、彼女の目が鋭くなった気もするし、なにやら訳ありの人なのだろうという事だけは察した。
「では、失礼します」
「あ、こら、失礼しますじゃなくて行ってきますでしょ」
思わず口を出してしまったが、もう遅い。俺の指摘に対してソフィーはキョトンとして、次には微笑みながら、
「行ってきます」
そう言って彼女は霧のように消えてしまった。
全く気配が無くなりマップにも反応が無いことから転移系の魔法を使ったのだろう。
また今度教えてもらおうと思いつつ、消えたその場所を見ていた。
「おーい。聞いてるか? 連れてきたあの大っきい狼が目を覚ましたぞ」
黒猫がそう言うので、レイリー達の方を見ると確かに目を覚ましているようだ。リーダーの灰色狼の周りには、その配下の狼達が心配そうに身体を寄せ合っていた。
「んじゃ、俺達は夕食の準備をしようかな。買出しに行くけど、黒猫はどうする?」
「んー……。付いてく」
俺とレイリー達を見て、少し思考を巡らせた後に付いてくることにしたらしい。
恐らくレイリー達と残るという選択肢を取らなかったのは、買出し中にお菓子を俺に買わせるつもりなのだろう。
あまり甘やかすのもいけないと思うし、何より財布が寂しくなってきたので来月の仕送りまで我慢してもらうしかあるまい。
その代わりにと言ってはなんだが、今日はご馳走の予定だ。眷属が増えたお祝いに。
「レイリー! 留守は頼むよ。ラピスもね」
そうして、俺達は自転車で行きつけのスーパーに向かうのだった。
■□
時刻は約七時。スーパーの営業時間に間に合った俺達は、運良く残っていた安売りのお肉を買い、次々と食材を購入する。
暇を持て余している黒猫は、お菓子売り場を見に行ったようで側にいない。
入り用になるであろうものをカゴに入れたので、黒猫を呼び戻そうとお菓子売り場へ向かう。
すると、見知った顔を見つけてしまった。
「「あっ」」
声が重なり、視線が交差する。
今日は髪を下ろして雰囲気が普段と違うが、間違いなく東条明日香だった。
「あーちゃん、これ買ってー!」
「ユート、このわたパチとやらが欲しいのだが……」
東条に妹が居たのに驚いた。
確かに面影がある。何処が似ているとかはパッと見た感じでは言えないが、とにかく雰囲気というか姉妹なのだということは分かる。
大体小学一年生くらいだろうか。同じく幼い姿の黒猫は、小学生高学年から中学生くらいに見えるのだが、実際の年齢は三桁を超える……。
おっと、これ以上は言えねぇ……。
そんなくだらないことに思考を巡らせていると、黒猫は案の定、お菓子をカゴの中に入れてきた。
「黒猫……口の中がパチパチして痛くなるけどいいのか?」
「う、うむ。あの娘が美味しいと教えてくれたのでな」
黒猫の視線の先には東条の妹の姿。黒猫に気が付くと笑顔で手を振ってくるので、彼女もまた手を振り返す。
それにしてもこの短時間でよく仲良くなれたものだ。
いや、小さな子供は純粋で仲良くなるのも容易いのかもしれない。
「あんた……同じクラスの上坂だっけ?」
東条とその妹は俺達に近付いてきて、話しかけてきた。
声音には若干、刺がある。
しかし、学校での様子と比べれば、シリコン製の棘並みの柔らかさだ。
「あぁ、そうだよ。東条さんだよね?」
「っち……。妹がその娘と仲良くなりたいんだって言ってるから少し付き合ってくれない?」
うわっ。舌打ちされたし……目付き鋭過ぎて、怖ぇ。
でも、妹に向ける視線は別人のように優しげで俺は確信した。
こいつ……シスコンだ、と。
「おぉう。いいか? 設定を生かす時が来たぞ」
「う、うむ」
「なに話してるの?」
黒猫が人の姿でいる時、使う身分やその他諸々の設定を考えていた。
今、計画を実行するべく作戦会議をしていたが、それは純粋無垢で天使な幼女に遮られた。
「な、なんでもないぞ」
「わたしは、とうじょうまゆりっていうの! おねーちゃんは?」
「うーん……黒猫だ」
「猫? 猫さんなんだぁ~。じゃあ、くーちゃんって呼んでもいい?」
「く、くーちゃん? う、うむ。いいぞ」
黒猫がぎこちなくコミュ障振りを発揮している最中、東条はその様子を見て言った。
「あんたの妹、ちょっとアレなの?」
アレってなんだよと言いたくもなるが、確かに分からなくもない。
名前が黒猫の時点で、ちょっとそれは無いわー、と普通の人なら思う。取り敢えず、普通じゃない。
例えるなら、キラキラネーム並の痛さが丁度いい表現かもしれない。
「さぁ……。まぁ、仲良くしてるし大丈夫だと思うけど」
「そういう事じゃないんだけど。ていうか、もうこんな時間!? 早くご飯作らないと……まゆちゃん早くおうち帰ろっか」
スマホの時刻を確認して慌ただしく去っていく彼女たち。
と言うより、案外家庭的で妹思いな東条の印象が変わった出来事だったように思う。
「ばいばーい」
妹のまゆりちゃんが東条と握っている逆の手を振ってくる。
そして、俺達は手を振り返す。見えなくなるまで。
「俺達も帰ろっか」
「そうだな」
結局、お菓子を買ってしまったが、黒猫に借りを作ったと考えれば気持ち的には得した気分になれる……はずだ。