2-6 魔境
夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻。
微かな陽の光が見事なグラデーションを作り出す綺麗な景色が見られるのもこの時間帯だ。
しかし人々は昔、この時刻を大禍時と言い、恐れたらしい。
何故なら、この時刻は魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を被ると信じられていたからだそうだ。
そんなことを大禍時に移り変わるこの時刻に、悠々と肩に乗って寛ぐ黒猫に話す。
ところが、そんなもの知っていると言わんばかりに鼻で笑われた。
まぁ、妖怪にこんな話をしても恐れられている側なのだから、そのような対応も仕方が無いだろう。
この俺たちの周りに群がる半透明な人間……幽霊たちに囲まれてさえいなければな!
「つーか、こいつら俺が発動した浄化の魔法で作った結界に、わざと触れて浄化されに来てるんですけど! しかも、凄い穏やかそうな表情で感謝までされてるんだけど!?」
「いいことしてる。問題なし」
そんなやり取りをしている間も、奴らの特攻は続く。
家に帰るまでがこんなに辛いとは……。
身体的なダメージは無いが、精神的になにか来るものがある。
修行が始まってから約一週間が経つけど、魔法をある程度使えるようになって本当に良かったと実感する。
しかし、浄化の魔法に反応しているという悪循環が生まれているので、使わなければ寄ってこられることもなかった。
けれど、黒猫から聞いた彷徨う幽霊達の末路を聞いた時浄化を使わずにはいられなかったのだ。
——悪霊
穢れを知らない無垢な魂は段々と瘴気に汚染されて、やがては人に害を与える悪霊に堕ちる。
こうなってしまえば助けるのは困難。
成仏するという選択肢は無くなり、消滅させるという対応しかできない。
知らないことを知れて良かった反面、首を突っ込むところは見極める必要があると改めて考えさせられた。
そうじゃないと今の状況みたいな大変なことになりかねないからだ。
今はもう守るべき存在がいる。
危険をあらかじめ排除出来るならば、そうするべきなのだ。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
いつものようにソフィーが出迎えてくれる。
そして、いつものように家事を終わらせ、食事を摂ると迷宮への扉を開く。
今日は、ある程度の戦闘力を身に付けた事で実践の空気を体験しようという思惑のもと、探索することになっている。
魔境と呼ばれる領域に迷宮があるので、これを攻略しなければ街へも行けないし、ましてや観光なんて夢のまた夢である。
それに……魔境は、一言で言ってやばい。
実は、数日前に好奇心から外に顔を出した。
自分の悪い癖だと分かっていたが、コソコソと迷宮を抜け出した。
そしたら、なんかよくわからない巨大な魔物が怪獣大決戦をしていたので、慌てて逃げたという衝撃的な体験をしていたりする。
それが俺の恐怖心に、拍車をかけているのだ。
あ、足が震えてきた。
『主様、体調が優れないのですか?』
「い、いや、これは武者震いと言うやつで……」
俺の言葉に信用性はなく、レイリーは心配そうな面差しを向ける。
『今日の探索は、私に一任されているので、何かあれば申し付けてください』
「あぁ、頼んだよ」
気を使って伏せてくれたレイリーの背に乗る。
目線は一気に高くなり、いつも見る景色とはまた違ったように見える。
そして、迷宮から抜け出すと辺りは灰色に満ちていた。
木々は勿論、地面も全てが灰色。
生命の気配が微塵も感じられなかった。
「これが、死の灰って奴か」
雪のように降り積もった灰は、全ての生命を死に至らしめるとソフィーに教えて貰った。
死の森と呼ばれる所以がそこにはあった。
『灰に触れるとその部分が死滅しますので、結界を展開しておきます』
「過酷過ぎるな……」
『私やこの森に住まう魔物は灰に適応してますので大丈夫ですが、主様は耐性がありませんからね』
その耐性とやらが欲しい。灰を触ったりしたら、耐性スキルとか取得できないのだろうか。
危険な賭けだからしないけど。
「こうも過酷だと外界から人間が森に立ち寄ることなんて滅多になさそうだな」
『えぇ、人間を見たのは主様が初めてでした』
「マジか……。これ本当に外に行けるのかな」
『行こうと思えば行けますよ。ただ、この死の森の領域の他にも三箇所の過酷な環境があり、その全てを統括する竜王を倒すか、説得しないと無理です』
聞き捨てならないワードが出てきたんですが……。
竜王って何? 文字通りの竜の王様ってことか? 絶対無理だろ……うん。
「外は諦めよう」
『それでは元も子もないのでは……』
ゆっくりと移り変わる景色を眺めながら、魔境の探索をしていると何かが向かってくる気配がした。
多い。数十以上の反応だ。
しかし、マップには敵対反応を示す赤点では表示されておらず、見方を示す青点が表示されていた。
そして、足音も無く現れたのは灰色の毛並みの狼達。
体躯はライオンよりも大きいが、レイリーと比べれば小さなものだった。
解析をしてみると、灰色狼という種族であることやレベル75という脅威的な数値を目の当たりにする。
やはり、ここの魔物達は化け物揃いだ。
「灰色狼はレイリーの眷属なのか?」
まるでレイリーを王として崇めるように付き従う灰色狼を見てそんなことを思う。
強き者が群れのリーダーとなるのは異世界であっても変わらないことらしい。
『私のというより主様のと言う方が正しいです。彼らは私が外の監視役をする時に、屈服させた主様の従僕です』
「そうなのか……。眷属契約を結びたいから少し降りるよ」
レイリーが伏せてくれる。俺は、死の灰を踏みしめて灰色狼に近付いた。
「言葉は分かるのか?」
問い掛けるものの返事は無く、唸るだけで意思の疎通はできそうに無かった。
それでも、契約さえ結べば意思の疎通は言語でなくても可能になる。
灰色狼の中でも一際大きな個体の頭を優しく撫でる。
心で通じるものがあったのか、身体を許してくれる。毛が硬いということもなく、それでも過酷な環境に耐えてきた強靭さを感じた。
「じゃあ、魔力を流すから」
そして——灰色狼は失神した。
「なんで!?」
『……。主様の魔力は刺激が強いですからね……』
やれやれと言った様子のレイリーは、失神した灰色狼を咥えて、
『迷宮に戻りましょうか』
と、提案した。勿論、灰色狼をこの過酷な環境下で野晒しにしておくわけにもいかないので賛成し、移動をする。
しかし、俺のマップには敵を示す赤点が突如現れた。
「なんだこの気配……」
初めてソフィーと会った時に感じた死の気配がした。
『主様、厄介なことに行く手を阻まれました』
灰が積もった地面から隆起する謎の物体。否、それは灰色よりドス黒い骨だった。
「骨が動いてるってことはアンデッドか……。尻尾があるし人じゃないな。なんだろ……」
気になって解析をした結果、奴らは蜥蜴人と言う種族の不死者らしい。
レベル60と灰色狼よりは低いものの、数は三十体を優に超えるだろう。
所謂、数の暴力というやつだ。
レイリーは、灰色狼を咥えているので手出しがしにくいだろう。なので、俺が浄化の魔法でこの数を一掃できれば突破出来るはずだ。
そう考えて俺は、魔力を集中させて魔法を上空に放った。
『聖なる雨!(ホーリーレイン)』
降り注ぐ光の雨。それは、死の灰すら浄化する癒しの雨。
レベル差をものともしない俺の攻撃は、敵を一掃する。
脳内で響き渡るレベルアップを知らせるファンファーレ。
しかし、そんな重要なことさえ気にする暇もなく、
「よしっ! 今だっ!」
俺たちは一点突破して、迷宮へと駆け出した。