2-3 心・技・体
「ごほんっ。えー、では、明日の朝、六時から修行ということでよろしいですか?」
残雪のように寒気が残っているこの場で、俺は明日の日程を提示する。
計画的に午前は格闘術、午後は魔力操作という二段構成にするつもりだ。
午前中に魔力を使い果たして動けなくなるよりも、格闘術で動けなくなってから魔力操作した方が、まだ何とかなりそうという希望的観測の上での考えだった。
「分かりました」
「うむ、妾も……ちゃんと起きる」
ソフィーは了承し、黒猫は彼女を伺いながら渋々了承した。
ビクビクとした黒猫は、ソフィーへの恐怖が第一のようである。
一方のソフィーは、気にもしていない様子だが。
「じゃあ、今日は解散で。黒猫、寝床はどうする? 俺の部屋か、空き部屋か、城の空き部屋か。家があるならそこに帰ってもいいと思うけど……」
俺は、なし崩し的に家に泊まっていた黒猫に、今後をどうするのかを問う。
彼女に家族がいるのか、家があるのか、などの個人的な事は何一つ知らないが、聞いておいた方がいいだろうと思ったのだ。
しかし、黒猫は城の空き部屋と言った時微妙な表情をした。
もしかしたら苦手なソフィーがいるから気まずいなどと考えているのかもしれない。
暫く考えた後、「一緒じゃ、だめか?」と照れくさそうに言った。
「一緒に? まぁ……良いけど……」
流石に少女の姿で寝られても困るのだが、猫の姿なら抱き枕として歓迎する。
モフモフしながら寝るなんてこんな幸せなことは無いだろう。
いや、待てよ。少女の姿でも猫耳と尻尾もあるし、擬似妹添い寝シチュエーションが体験できるかもしれない。
……想像してみたら完全にダメな構図だったわ。
見つかった瞬間、俺は社会的に死ねる。
「あ、ソフィーは城に戻るんだよね?」
「はい。研究設備も整ってますし眷属として役に立つ何かをこれから模索します。私は睡眠が不要なので」
不死族故の特性。
睡眠、食事、排泄等が不要というものだ。
「そうかもしれないけど……精神的には磨り減ったりするだろ? あ! 漫画とか小説とかゲームとか貸してあげるからそれで息抜きしなよ」
「っ!? ほ、ほんとですか!? ありがとうございます!」
跪くソフィー。感謝を伝えたいのがひしひしと伝わってくる。
相変わらず、地球の事になると人が変わってしまう。
知識欲が爆発しそうな様子で、なんだか狂気さえ感じる。
因みにソフィーは、日本語を記憶の共有の時点で理解することが出来ている為、読んだりするのに支障は出ない。
まぁ、例え理解できていなくとも自力で解読しそうだが……。
言い換えれば、ソフィーと記憶の共有をした時点で、俺も異世界の言語を大体理解出来ていたという事だ。
一応、言語理解スキルで学校の授業の英語を完全に理解できるという事が分かっていたので、例え異世界だろうが言語が通じないという問題は無かった。
それでも知っているのと知らないのでは、知っている方が役に立つこともあるだろう。
「あ、うん。落ち着いて。今持ってくるから」
目を輝かせて俺の後ろをついてくるソフィー。
ソワソワして、玩具を買って貰って嬉しい子供みたいな反応だ。
こうも普段とのギャップが激しいと、厳しく固いイメージが壊れる。いい意味で彼女に親しみが持てる気がする。
現に黒猫はソフィーの反応を見て目玉が飛び出そうなほど驚いているからな。恐怖心も和らぐかもしれない。
「……。妾は、とんでもないものを見てしまった気がする……」
しかし、ボソッと聞こえた黒猫の呟きは、ソフィーへの恐怖心が深まったように聞こえた。
いつになったら、二人は対等になれるのだろうか。
■□
朝、目覚めると抱いて寝ていた黒猫が、いなくなっていることに気がついた。
ソフィーに娯楽を与えてから、猫状態の黒猫と一緒に寝た筈だった。
それはもう気持ちいいを通り越して昇天しそうだったわけだが、その抱き枕がなくなっていたのだ。
上半身を起こして辺りを見渡すが、いない。
しかし、肌寒い時に使う少し薄めの毛布が膨らんでいることに気がついた。
明らかに俺の足ではないと確信が持てる。
勢いよく毛布を剥ぐと……そこには、白いワンピースを着ている少女が居た。
気持ちよさそうに、安心しきったような穏やかな寝息を立てている。
間違いない。こいつは寝ている最中、寝惚けて姿を変えたのだろう。
はぁ、とため息をつく、
そして、気持ちよさそうに俺の足にしがみついて寝る彼女を揺さぶった。
「おーい。起きろ、俺が動けねぇ……」
「んん……。なんだ? もう朝か……?」
目を擦りながらキョロキョロと左右を確認する。
やはり、人の姿でも動作や雰囲気が猫っぽい。目の擦り方とか特に猫。それが可愛いとも感じていた。
暫くボーッとして、頭が働いてくるとハッとしたように飛び起きた。
「おい、ユート。妾にナニカしたか?」
「何か、ってなんだよ。何もしてないし、俺は潔白だ」
俺は、両手をあげて無罪を主張する。
それに、一緒に寝ようと言ったのは黒猫なので、何をされても文句は言えないはず……である。
本当に何もする気は無かったし、何かをする度胸もないけどね!
「ふん、意気地無しめ」
酷い言われようだ。
結局、どうして欲しかったのか分からず仕舞いで、彼女は、シャワーを借りると言って部屋から出て行った。
「理不尽……」
部屋にぽつんと残された俺。
女子が何を考えているのか全然分からなくて嘆く。
考えても答えは出そうにないので、準備を始めることにした。
「なぁ、服かして」
「ばっ! お前! なんで裸なんだよ!」
シャワーから出てきた黒猫は、タオルこそ巻き付けていたが、髪は濡れていて床には水が滴り足跡がくっきりと残っている。
「服がないから?」
何を聞いているの? と首を傾げる。挙句には手を出して、早く服を出せと言わんばかりの様子だ。
「いやいや、いつも着てた白いワンピースはどうした!? あれ、魔力とかで作ったやつだろ!?」
「そうだけど、魔力温存したい」
平然として淡々と事情を告げる黒猫。恥じらいというものがないのだろうか。妖怪は、人間と感性が違うのかもしれない。
「はぁ……わかった。取り敢えず髪をと身体をちゃんと拭いて! 洗面所に行け」
「わかった」
再び足跡を残しながら彼女は戻っていく。
それにしても、家には女性服が存在しない。
こんな時間に店が空いてるわけないし……。
仕方がなく、昔に着ていた小さめのジャージを洗面所の前に置く。
だが、ふと解決策が浮かんだ。
あれ? 別に猫の姿になれば全てが解決するんじゃ……。
「黒猫ー。猫の姿に戻れば解決するんじゃないのか」
「断る」
しかし、黒猫は断固拒否する。
そもそも、人の姿をしている時点で魔力の温存とか嘘だろ。
何を隠して人の姿を保っていたいのだろうか。案外、ただの気分という理由なのかもしれない。
「もういいや。着替えはここに置いておくから着替えたら俺の部屋に来てよ」
「わかった」
そんなこんなで、ようやく迷宮の扉をくぐり抜けて修行場所の中庭に着いた。
「ごめん。少し遅れた」
「お気になさらず。今日は、レイリーも手伝ってくれるそうですよ」
『修行をすると聞きました。ご主人様の力になれるように頑張ります』
気合十分のレイリー。感じる強い闘気。どうやら、更に強くなっているようだ。
ステータスは、初めて会った頃と比べ物にならない。
だが、それも当然のことで、外は人跡未踏の魔境。次いでに、俺なんかだと一瞬で潰されてしまうほどに強い魔物がひしめいている。
そんな迷宮入口周辺の警護をしている彼女が、強いのは当たり前のことだった。
「あぁ、頼む」
力強く、頷く二人。
どういう方針で修行をするかを話し合って、ソフィーが俺の前に立った。
纏う覇気は、いつもの温和なソフィーではない。
「では、格闘術を始める。記憶を参照して模倣しろ」
すると、ソフィーは俺に拳を繰り出してきた。
避ける間もなく、顔面に寸止め。
ツーっと冷や汗が背中を伝う。
『死』の一撃。完全に俺は、迫り来る拳に飲まれていた。
「それでは、話になりませんね」
鋭く冷たい視線。
俺だけではなく、黒猫もレイリーも息を飲んだのを感じた。
それに、魔法で苦戦した俺が、簡単に格闘術を会得できると思い上がっていたのがこのザマだ。
油断大敵。格上と戦うことを忘れてはならない。
「次だ」
記憶を参照して模倣する。
それがどれだけ難しいことか、まだ、本当の意味で理解出来ていなかった。
■□
ボッコボコにされて、現在は休憩中。
動きだけは、そこそこモノに出来たと実感を得られる程度には成長したと言える。
しかし、俺には駆け引きというものが足りないらしい。
魔人の身体だから出来る力技を克服しなければ、ソフィーに一撃も当てることは出来ないだろう。
必要なのは、心·技·体を全て揃えることだ。
「痛てて……」
寸止めだと思っていたら普通にボコボコにされたので、全身に痛みが走っている。
ソフィーが、治癒魔法を掛けてくれる。
『ソフィー、やり過ぎではないですか?』
「いえ、これはユート様が望んだことです。私はそれに精一杯お応えしているのです」
俺が、ソフィーに伝えた事をレイリーに説明する。
『了解しました。ですが、これからは私も参加させてください』
意思は固いようにみえる。何を言っても聞かなさそうだ。
「わかった。よろしくな、レイリー」
『はい! ご主人様!』
レイリーに手招きをして毛並みを撫でさせてもらう。
やっぱり気持ちいい。何故だか落ち着く。
「ユート。ソフィーの他にも眷属がいたんだな」
「ん? まぁ、ね。レイリーは、元ケルベロスで今はガルムって言う神獣なんだ。頼りになる家族の一人だよ」
『家族……』
あぁ、レイリーはオルトロスに家族を皆殺しにされたとソフィーから聞いていたんだった。
チラリとソフィーを見れば、額に手を当てて、やれやれと言った様子だ。
「家族……じゃ、駄目かな」
『いえ、嬉しいです。家族はもういないと思っていましたから……』
良かった。ほんとに良かった。
俺を受け入れていてくれた。
その事に幸せを感じずにはいられなかった。
「遅くなったけど、レイリーにも紹介するよ。眷属じゃないけど、契約してる黒猫だよ」
「よろしく頼む。名前は、まだ無いのでな。黒猫とでも呼んでくれ」
『改めて、私はレイリー。よろしく』
獣同士でなにか通じ合うものがあったのか、仲良さげに会話をしている。
一安心、と言うところだ。
「身体も治ったし、いっちょ空飛ぶ練習でもしますかね」
「空ですか?」
「そうだよ! 人は空を飛ぶことに憧れを持つものなんだ。鳥の羽を蝋で固めて飛ぼうとしたイカロスのようにね!」
「は、はぁ……」
ソフィーは困惑した様子で俺を見ていた。
その視線が痛いよ。変なやつを見る目だ。
「俺は、空を飛ぶ!」
翼を広げ大空へと羽ばたく。
そんなイメージを持って翼を動かした。
周囲に風が巻き起こり、黒猫が着る服がヒラヒラと際どいチラリズムを醸し出していた。
そして、
ーー飛翔
俺は、勢い良く地上を離れて偽物の大空へと羽ばたいた。
「飛んでる! 飛んでるぞ!」
興奮してバランスを崩し慌てるが、なんとか体勢を立て直す。
「ふふ、危ないところでしたね」
気が付けば、ソフィーが空まで飛んできていた。
俺のすぐ横で悪戯に微笑む。
『どんな事があろうと、お助けします!』
ソフィーだけでなくレイリーまでもが空に飛んでいた。
いや、飛んでいるというより空気を踏みしめているように見える。
何かしらのスキルで空中にいるのだろう。
「妾は、飛べぬのでな。レイリーの背を貸してもらっておる」
巨体の背には、しがみついている黒猫の姿。
空を飛んでいることに恐怖の色は見えず、むしろ楽しんでいるようだ。
「せっかくだから、競争でもするか? 城の周りを一周でどうかな」
「面白そうですね。勝者に褒美はあるのですか?」
褒美と言われて思いつくのは……なんだろう。魔力とか?
「まさか、ないとは言わぬよなぁ? ユート」
「なんで飛べないお前が偉そうなんだよ」
『魔力、はどうでしょうか』
「俺の? いやいや、俺の褒美はどうなるんだよ」
自分を指さして三人に問うと、同時に頷いた。
さも、当たり前だと言わんばかりだ。
俺が勝った時の褒美が無いことは、視野に入っていないのだろうか。
「修行をつけてもらっている身が図々しいわ!」
「お前に言われたくないわ!」
居候で世話になっている黒猫が、俺を挑発してくるので絶対に泣かせる、と誓って準備をする。
スタートの合図を公平を期して、ラピスにお願いをした。
絶対に負けられない戦いがここに始まる。
『それでは……位置について、よ〜いドン!』
ここに戦いの火蓋が切られた。