3話 雀おばさんの秘密
それは万象が東西南北荘の生活にようやくなじんできた頃。
「とうとう完成したんだ」
万象が1階の和室にいるときは、ほぼつけっぱなしになっているゲームチャンネルから、そのCMが流れてきた。
古今東西の大人気ゲームの映画化がささやかれてからほぼ2年。数々の難関を乗り越えて、それはようやく映像化にこぎつけたのだ。初めは絶対ムリ! などと反対していた者も、制作スタッフが発表されるやいなや、手のひらを返したように絶賛を唱え出す。それはなぜかというと、伝説や神様と言われるようなメンバーが、こぞって制作に参加していたからだ。
特殊な装置を持つ映画館でのみ上映されるその映画は、その時の入場者の手腕や判断で幾種類もあるエンディングに繋がっていくというものだ。いわば観客参加型の映画。
「うー、いくつエンディングがあるんだあ、何回観に行かせるつもりだよおー」
頭を抱えながらも嬉しそうに悩む万象の前に、ぬうっと顔が現れる。
「何してるの? バンちゃん」
玄武だった。
「うわ、あ? 玄武か。お前も知ってるだろ、このゲーム」
「うん、しってるしってる。面白いよねー」
「その映画が完成したんだ」
「へえ」
そのあと玄武の提案でゲームを始めだした2人。どちらかというと万象の方がすぐ熱くなる。
実は万象は、かなりのゲーマーなのだ。
映画が封切りされると、万象は勇んで試写会に行くはず、だったのだが。
「ううーバイト休めねえー」
運悪く、夜は居酒屋のバイト、昼は調理師になるための勉強に加え、実践として鞍馬が紹介してくれたレストランで修行をしているのだ。今まで定職にもつかずフラフラしていた万象は、鞍馬という永遠のライバル? に出会って心動かされて、いつか自分も美味い料理を出す店を持ちたいと思ったのだ。手始めに、調理師免許をとることが今の目標。
居酒屋のバイトは、急にはやめられないので少しずつ時間を短くしている最中だ。
そんな忙しい中、ようやく待ちに待った映画を見に行ける運びとなった。
「うう、やっとこの日が来た! 」
感涙にむせびながら、映画館の、前後も左右もど真ん中のど真ん中、日にちを決めてから即ゲットしていた、一番見やすい座席に腰掛ける。ポップコーンとコーラをお供に、あ~、番宣うぜえ! とか思いながらワクワクを隠しきれない様子。
始まった!
とうとう!
オープニングを食い入るように見ていたのだが、
「そう言えば原作があるって事は、誰かが脚本書いたんだよな。誰だったっけ」
ふとそんなことが頭をよぎる。
そしてそれはいきなりやってきた。
脚本――朱いモワノー
へえ、朱いモワノーってのか、うん? どっかで見たような……、朱いモワノー?
「おわっ! 嘘だろお! 」
万象はここが映画館だと言うことも忘れて、ポップコーンの入れ物をグワッと握りしめ(当然ポップコーンはまわりにはじけ飛んだ)、叫びながら座席から立ち上がっていた。
「朱いモワノーって、朱いモワノーって、あのオバサンじゃん!」
そう、つい先日のことだ。
雀が作業の途中でトイレにでも行ったのだろうか、つけっぱなしのパソコン画面が見るともなしに目に飛び込んできた。
ポロンと音がして、ちょうどメールが入ってくる。悪気もなにもなかったのだが、つい癖でメールの内容を確かめてしまう。
朱いモワノー様
メールに書かれた件名がそれだった。
「なんだこれ? 宛名か、変な名前」
思わず吹き出しそうになったとき、肩にポンっと誰かの手が乗る。
「うわっ」
「バンちゃん、なーにしてるのー? のぞき見ー? わー悪趣味」
そこにいたのは、トイレから帰ってきたのか、当の雀だった。
「ちげーよ!」
何か変な名前だから、と言おうとして、やっぱりやめた、という出来事だった。
「……ちょっと、座って頂けません?」
あまりのことにぼんやりしていた意識が戻ってくる。
ハッとしてまわりを見回すと、後ろの席では迷惑そうな女の子。隣の席の兄ちゃん姉ちゃんは引き気味だったり、怖そうだったり。
「あ、いや、え、す、すんません」
しどろもどろに答えながら、ドサンと座り込む。
うわー! はずかしー!
もうそのあとは映画どころじゃなかった。
出て行くにしたって、この席はど真ん中のど真ん中。あんな騒ぎを起こしたあとに、スミマセンスミマセンなんて言いながら人の足をまたいで通路まで出る勇気は、万象にはなかった。
早く終われー、と、ただそれだけを願って、あんなに楽しみにしていた映画は内容が全然頭に入らないうちに、あっけなく幕を閉じた。
明かりがつくと、前の列にいた2人組が通りすがりに話す声が聞こえる。
「さすが、朱いモワノー。伝説の脚本家って呼ばれるだけのことあるわー」
「うんうん! 特にゲームにはなかったあの設定のセリフ」
「あ!あれだよね、あの……」
そのあと「「……!」」と、同じセリフを言って、キャッキャ笑う女子たち。
あーオレもそのセリフ、感銘を受けました、ハイ。先に観に行った友だちが、ネタバレだけどこのセリフだけは、もう、どーしても伝えておきたい! とか言って聞かされたんです、ハイ。何も知らなければ、あの2人に割って入って語り出して嫌がられるだろうほど。
けど、今はうちひしがれてうなだれているしかない万象だった。
ただ、そんな中、万象は最後に席を立ち、出口にいるスタッフに「ポップコーンこぼしてしまいました、すんません」と、謝ることだけは忘れなかった。
そのあと家に帰り、事の真相を追求した万象に、雀は、
「へえー? 同じ名前の人がいるんだー。こんな変な名前つけるの、私くらいかと思ってたのにねえ。違うわよ。私がそんな脚本書くわけないじゃん。同姓同名よ。そいつが真似したんじゃない?」
と大笑いする。
「なあんだ。そうか、そうだよなー」
万象は妙に納得したあと、ハタと我に返る。
「ああー、けど! けど! 雀オバサンがややこしい名前つけるから、映画の内容全然覚えてねーじゃないかー。ううー、くやしいー」
そんな万象に謝る雀。
「そうだったのー、ごめんねぇ」
「いや、いいですよ。オレが勝手に勘違いしたんだから」
と、半ばフラフラしながら部屋へと戻っていく万象だった。
だが、そのあとやって来たトラばあさんが、
「いいのかい? 伝説の脚本家さん?」
と、楽しそうに言う。
「いいのいいの。若者には夢を持たせて上げなくちゃね。だって、あんなカッコイイ脚本をこんなオバサンが書いてるなんて知ったら、夢も希望もないじゃない」
「はあ、そういうもんかね」
「そうよー。凄い脚本なんてね~、こーんな人(超イケメンを思い浮かべてね)や、こーんな人(超カワイコちゃんを思い浮かべてね)が書いてるって思わせてあげたいじゃない」
などと言って、ケラケラ笑っていたことなど、万象はこれっぽっちも知らなかった。
それから何日かして、万象は雀に呼び止められる。
「バンちゃん」
「はい」
「これ、人からもらったんだけど、私は興味ないからあげる」
そう言って差し出された物を見て、万象は飛び上がるほど驚いた。
例の映画、大ヒットと言うことで上映期間がぐんと伸びている。そのため、映画にしては異例の、期間途中でのステージイベントが行われることになったのだ。声優さんや監督や、メインテーマを歌うアーティストなどが参加する。
チケットはもちろんほぼ手に入らないと言われているプラチナチケットだ。
「おわ! なんすかこれ! いいんすか? ホントに?!」
うわっとか、おわっとか訳のわからない喜び方をする万象を、楽しそうに微笑みながら顔を見合わせる雀とトラだった。
十朱 雀。職業、伝説の脚本家。ペンネームを、「朱いモワノー」と言う。(モワノーとはフランス語で雀のこと)