1話 まかない募集いたします
万象がその家に気づいたのは、ボランティア募集の張り紙を目にしたからだった。
東西南北荘
と言うのがそれ。
いつもバイトに行くために通るその道に、そんなアパートめいた物があるのも知らなかったし、それが名前からは思いつかないような古い洋館だと言うことも知らなかった。
張り紙の内容はこうだ。
《まかないボランティア 募集いたします。
東西南北荘にて、朝食と夕食を作って下さるボランティアを募集いたします。朝食は朝6時半スタート。夕食は夜6時半スタートです。スタートの時間が厳守できる方、当方、年寄りを抱えているため、献立に工夫を凝らせる方を希望します。ボランティアのため、謝礼、交通費はいっさいお出しできません。ただ、作られた食事は一緒に召し上がって頂けます》
なんだ、謝礼なしでこんなボランティア、するヤツいるのかよ。
万象の最初の感想はそれだった。
思った通り、そんなボランティアを買って出るヤツはいないらしく、あれからずっと張り紙は貼られたままだ。
実は万象はこのボランティア、ほんの少しだけ心を動かされていた。
というのも、朝はどうせいつも自分用に簡単な食事を作っているのだから、それをちょっと多めにするって事で朝飯代がタダになるから。
けれど問題は夜。今のバイトが居酒屋のキッチンなので、夜は絶対に無理なのだ。
「けど。朝飯代が浮くのは魅力だよなー」
学校を卒業してから特にやりたいこともなく、バイトで生計を立てている万象にとっては、無料の朝食はかなりおいしい条件だ。
「ダメ元で、ちょっと頼んでみるか」
そうつぶやくと、万象は朝だけのボランティアが出来ないかどうか、頼んでみることにしたのだった。
なんか、思ってたのと違う……。
笹垣というより、ほとんど笹藪のような背の高い笹に囲まれたところをぐるりと回って、通りから少し奥まった表玄関らしき所へと向かう。
てっきり日本家屋だと思っていたその建物は、
「あれ?」
古めかしい洋館だった。少し調子が狂いつつも門柱にインターホンを見つけて、それでも何度か躊躇したあと、思い切って押してみた。
しばらく待ったが返事がない。
「留守かな」
あきらめて帰ろうとした時、「ガチャ」と音がして、玄関のドアが開いた。
てっきり人が出てくると思っていた扉の下の方から音がして、ウィーン、と現れたのは、なんと、まあるいお掃除ロボ、と、その上に乗っているネコだった。
「?」
訳がわからない万象がまじまじとそれを見ていると、カシッと変な音がして。
「何じゃ? うちになにか用か?」
なんと、乗っかっているネコが喋ったのだった。
「ホントにビックリしましたよ~。逃げて帰ろうかと思いました」
「ハハハ、そうか、けど、これで応募してくるもんがいない理由がわかった」
ここは東西南北荘の室内。
万象と向かい合って車いすに座っているのは、可笑しそうに笑うばあさん。……いや、失礼、どうやらこの家の主と思われる、白菱 虎と言う老齢のご婦人だった。
このトラばあさんの説明によると、自分は3度の飯より発明が好きで、暇にかまけてはいつも何やら作っているとのこと。さっき客人のお出迎えに出てきたのも、トラばあさんが制作した、ネコそっくりの「動くインターホン」だそうだ。
ただ、こいつを稼働しだしてから客人が少なくなったと不思議に思っていたらしい。
「そりゃあそうですよ。なんたってネコが喋るんですから。不気味ですよ」
「ふーむ。なら、ドロボウ除けには良いかもしれんな。だが、お前さんは勇気があるの」
「い、いえ」
ハハ、とあらぬ方へ目を泳がせる万象。腰が抜けそうになって動けなかったとは、口が裂けても言えない。
「で、お前さん、えーと、名前は、みやこ?」
「京都と書いてみやこと読みます。京都 万象です」
「そうか、万象の方が名前か。じゃあバンちゃんだな。バンちゃんは、朝餉だけのボランティアをしたい、と」
「バンちゃんって……、まあいいですが。はい、夜は居酒屋のバイトをしていますんで、どうしても来られなくて」
「ふうーん」
トラばあさんは少し考えつつ、あれこれ質問をしてくる。
どこに住んでいる? だの、朝早いのは大丈夫か? だの。
万象は、住まいはここから15分ほど先のアパートだとか、朝は少し苦手だけど仕事なら頑張ります、だの、律儀に答えていたが、次にトラばあさんが出してきた条件に、またビックリすることになる。
「どうじゃ、バンちゃん。どうせならここに越してこんか? だったら朝も少しはゆっくり寝られるし」
「え?」
「家賃、少し負けるよう交渉してやっても良いぞ」
万象はさすがにこの提案には、すぐ首を縦に振るわけには行かなかった。今のアパートだって、契約上すぐに出るわけにはいかないし、引っ越しするとなれば、こんなに近くてもそれなりの代金はかかるし。
そう言って辞退したのだが、まさかこのあと、ほとんどすぐにここへ住むことになろうとは、夢にも思わなかったのだった。
午前5時。まだあたりはほの暗い。
あれから万象は、毎日5時前に起きてここへやって来る。
「おはようございまーす」
つぶやくように言うと、玄関をそおっと開けて、土間とひとつながりになったキッチンへ入って行く。
ボランティアに来るようになってわかったこの家は、とても面白い作りになっていて、玄関からは靴を脱がずに土間と一続きになったキッチンが広がっている。
広がっているという形容が正しいと思うほど、それは広くて奥行きも長い。
IHコンロとガスコンロ、2つの仕様のコンロ装備。どでかいオーブンと大型冷蔵庫、奥には食品庫、もちろん電子レンジもあるし、食洗機まである。通路はトラばあさんの車いすがゆうゆうと通れるほど広いものだ。
そして、キッチンシンクをくるりと振り返ると、背後に一段上がって、なんと十畳以上の和室が3つほど、奥に向かって続いている。和室にはご丁寧に庭を見渡せる縁側まである。まるで江戸時代の日本家屋のようだ。
と、ここまでが1階。で、2階はと言うと。
和室の、ふすまを開けた向こうには洋風手すりのついた大きな階段があり、2階には洋室がいくつか並んでいる。この洋室が住人たちの個室だ。ここは1階が純和風、2階が純洋風という面白い間取りなのだ。風呂とトイレは1階と2階にある。もちろん1階は檜だかなんだかの広い風呂。2階のは猫足のついたバスタブだ。
車いすに乗るトラばあさんにとっては、なんとも使い勝手の悪い家、のように思えるが、違っていた。
「こっちの方が移動スピードが速いからなー」
と、トラばあさんは、ただ歩くと遅いという理由だけで、キッチンでは自分で開発したおそろしくスピードの出る電動車いすに乗っているだけなのだった。
万象は最初、足が不自由な(と思わされた)トラばあさんに同情してしまった自分に、少しやるせなさを感じたが、ま、いいか、と切り替えてボランティアに励んでいる。
幸い、料理は好きだ。居酒屋で出しているメニューを出汁のうまみで薄味にして、野菜を工夫して増やして。ここの冷蔵庫にはふんだんに肉も魚も野菜もあるし、食品庫には貯蔵品やスパイスがたんまりある。これにタダでありつけるのは、まさに役得の気分だ。
ただ、問題があった。
居酒屋のバイトは夜中まで。
その上朝早く起きなければならなくなったので、寝る時間がかなり短くなった。
東西南北荘で朝ご飯をたんまり食べて、後片付けまでは気が張っているのだが、そのあと気がつくと奥の和室で気を失ったように寝ていたりする。
今日もそうだった。
「う、あ……。あれ~また眠っちまったんだ。うあ~」
うーんと伸びをして、頭と身体を目覚めさせる。いつの間にかタオルケットが掛けられているのもいつものことだ。
それにしてもこの家は、昼間、人がいるにもかかわらず静かな家だ。
まあ、トラばあさんはだいたい発明だーとか言って庭の離れにこもることが多いし。
あとの人はと言うと。
「あら、お目覚め? おはようバンちゃん」
「おはようございます。じゃなくて、すんません」
ここの住人の1人、十朱 雀と言うおばさんだ。
本人曰く
「居候よ、居候。え? 仕事? もうこんな歳だから悠々自適よ」
と言うがごとく、何をしているのかよくわからない人だ。
そして。
「おはようございます」
「おはようー、じゃなくて、もう昼だから、おそよう? あ、こんにちは、だ!」
あと2人。
青葉梟 龍古と、玄武の姉弟。
こちらは仲の良い姉と弟なのだが、最初、そのいでたちに万象は少し引いた。
姉の龍古は、表情がつかめないほぼビン底仕様のゴーグルを24時間かけている。弟の玄武は、ヘッドホンをこれまた24時間、肌身離さずつけているのだ。
これはあとで聞いてわかった事だが、この2人は目と耳が不自由で、トラばあさんが開発した、視覚と聴覚を獲得する装置が、このビン底ゴーグルとヘッドホンだった。2人はトラばあさんの本当の孫ではないのだが、何か事情があってここで暮らしているらしい。
――でも、視覚と聴覚を獲得する装置って。
――トラばあさんはさも簡単そうに豪快に笑って言うけど、これって凄いことなんじゃないのか?
万象はそのあたりの詳しい事情を、もうとんでもなく聞いてみたいのだが、まだ聞けずにいる。
「ああ、ごめん、2人とも。おはよ、じゃなくてこんにちは」
「うんうん、良いお返事。ところでバンちゃん。どうやら明日は朝ご飯ボランティア、お休みできるみたいだよ」
「え? どうして?」
玄武が言う事に、雀が解説をつけてくれた。
「この間から、日曜だけ来てくれる晩ご飯ボランティアが見つかったっていってたじゃない」
それがどうしたのだろう。
「ま、まさかそいつが朝飯も作るって言ったんですか?」
万象は自分の食い扶持が危うくなるかもしれないと、慌てて聞く。
「違うわよ。で、昨日来てくれたときに、パンを焼いて置いてったのよ」
「そうなんです。このパンが本当に美味しくて。で、鞍馬さんが言うには、冷蔵庫で保存しても美味しく食べられるからって」
鞍馬さん、それがそいつの名前なんだろうかと万象はいぶかしげだ。
「で、いつも大変そうだから、明日はバンちゃんにお休みしてもらって、私たちはパンの朝ご飯にしようかーって話してたんだよ」
「でも、それだとオレの朝飯が……」
万象は朝ご飯よりも、なぜだかここへ来られなくなる事の方が少し寂しかった。それでそんな風に言ってしまう。
すると、玄武が良いことを思いついたというように元気に言う。
「じゃあこうしようよ! バンちゃんも来て一緒に朝ご飯、じゃなくて、朝パンを食べよう!」
「玄武、良いこと言うね。そうしな」
「それが良いわ」
誘ってくれたからには、と、万象は嬉しそうにこくこくと頷いて、めでたくパンの朝食にありつけることになった。
「なんだよこれ! なんでこんなに美味いんだよ!」
翌日、冷蔵庫から出して、30分ほど置いただけのパンを食べた万象は、そのあまりのおいしさに叫びだしていた。
「コイツ! なんで日曜日以外は来られないんだ?」
やけになってまわりに聞く万象に、顔を見合わせて言う住人たち。
「鞍馬くん? なんだか普段は喫茶店だかレストランだかを経営してるんだって」
「そう、それでね、日曜日がお休みだからその日しか来られないって」
「はあ? レストランの経営者? どこで!」
またやけになって聞く万象に、皆が笑顔で答える。
「「「★市」」」
「はあ~?」
★市と言えば、この町から車でも2時間半はかかる。
そんなところに住んでいて、何でこんな所まで通うんだよ! なんでここのボランティアなんか知り得たんだ!
なぜかわからないが、鞍馬という人物の才能に多大なジェラシーを感じた万象は、脳内でそいつに八つ当たり気味に文句を言っていた。
「くっそー、会ってみたい。けど、日曜って言ったらバイトがくそ忙しくて休めないし」
「だったらここに住めば良いじゃん! バンちゃん」
ふとつぶやいた万象に、玄武が明るく言う。
「鞍馬さんてね、だいたいバンちゃんが来る少し前に帰っちゃうんだよね。だからいつも入れ違いなの。ここに住んでたら、会えるよきっと。それに、僕もバンちゃんと一緒に住めたら嬉しいし」
あっけらかんと言う玄武に、万象はあっけにとられる。
けれど、まわりでニヤニヤしたりニコニコしたりしながらこちらを見ている他の住人に気づくと、ゴホンと咳払いした。
「う、うん、そうだな。トラばあさんにも誘われてたし。オレもそろそろとか思ってたし……」
「ホント? 嬉しいー」
飛びついてくる玄武に、少し照れたように皆を見回す万象だった。
こうしてめでたく東西南北荘の住人になった万象は、次の日曜日、その男と対峙することになったのだ。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
また新しい物語の始まりです。
東西南北荘というアパート? 下宿? とにかくそこに住む人たちと、新入りの万象との、やはりほのぼのしたお話しです。
で、ここに登場する鞍馬くんは、『はるぶすと』シリーズの鞍馬くんその人です。時系列的には、『はるぶすと』開店から約20年が経過し、そろそろ店をたたむ算段をしている頃です。
どうぞお楽しみ下さい。