短編「揺蕩う素直な彼女」
しんと冷えた夜の空は、唯一分かるオリオン座が瞬いていた。
駅から5分程の場所にある自販機の横には、今時珍しく灰皿が設置されている。
残業を3時間ほど済ませた帰り道に、いつもの様に一本吸って帰ろうと立ち寄ると、今日は先客がいることに気がつく。
こちらからは顔が見えないが、灰皿に近付くと女性である事はわかった。
長い黒髪の上にマフラーを温かそうに巻きつけ、タバコに火をつける素振りをしている。
なぜ素振りなのか。
タバコを咥えてはいるが、ライターがどうやら使えないらしい。
何故か使えないライターとの格闘に夢中でこちらには気が付かない。
夜更けに声を掛けるのもどうかと考えたが、火くらい良いだろう。
「ライターどうぞ」
突然差し出された手に彼女は僅かに距離を取るように後ずさる。
それもライターである事を認識すると「すみません」と鈴の鳴るような声でお礼を述べて顔を近付ける。
切れ長の目はどこか不機嫌そうな美人に見えた。
ライターに火を灯し、タバコを近づける。
しかしタバコには火がつかない、焦げはすれども。
これはもしかして……。
「お嬢さん、こうやってやるんだよ」
自身のタバコを一本取り出すと、ゆっくり数回に分けて吸い込みながら火を付ける。
さらにひと口吸い込み、空へと煙を吐き出す。
「ゆっくり吸いながらタバコを火に近づけな」
彼女は頷くと、再度挑戦する。
ようやくタバコに火が付いたかと思ったら、案の定咳き込んだ。
「もしかしてと思ったけれど、お嬢さんタバコは初めて?」
彼女は目に涙を溜めながら、いまだに軽く咳き込みながら頷く。
「慣れても良いことはないけれど、ゆっくり吸って口の中で煙を転がして、それほど肺に入れなくても美味いやつは美味いぞ」
ひと口吸ってもう止めるのかと思ったが、彼女はめげないらしい。
明らかに持ち慣れない手つきで、口元に持っていくとゆっくり口の中に溜めていく。
また少しむせると「何だか、香ばしい感じがしました」と感想を漏らした。
「そうかい、ちょっとでも美味いと思えたら良かった」
自分もタバコを咥えるとスマホを片手に、自販機であたたかい缶コーヒーを買う。
「これを飲みながらだと、さらに美味いぞ」
「いえ、そんな……受け取れません」
「冷めるともったいないから、気にせず受けとんな」
押し付けるように持たせると、観念したように受け取る。
「ありがとうございます。意外と押しが強いんですね」
「面倒見が良いんだよ」
「親戚のおじさんみたいでした」
「まだ、27歳だからおじさんでは……」
もう世間の若者には27はおじさんなのかと少しショックを受ける。
「すみません、悪く言ったつもりはなく、20歳を過ぎたばかりの小娘が生意気言いました」
整った顔立ちが口を結んで、眉を下げると少し申し訳ないが可愛らしいと感じた。
2人揃って缶コーヒーをひと口飲む。
暖かな微糖が寒さを和らげる。
「良かった。20歳は越えてたんだな」
「あまり甘くないコーヒーでも飲めます。それとも、不良少女にでも見えましたか?」
「別に不良少女でも良いさ。自分の人生だ、好きにやんちゃしたら良い。まぁ未成年だったら一応止めはするかな」
「そうですね。好きに……生きて良いんですよね」
ずいぶんと含みのある言い方だった。
そりゃ20歳の女の子が、こんな時間に初めてのタバコを吸ってみようだなんていろいろあるわな。
「まぁ。喫煙所って言うのは、割とどうでも良いその場限りの話がしやすいもんでさ、タバコどうして吸おうと思ったの?」
彼女は短くなったタバコからさらにひと口吸い込み、軽く吐き出す。
「好きな人が居たんです。幼馴染だったんですけど、私が地元から離れたら、いつの間にかもう1人の幼馴染と付き合い始めてました」
話しにくそうな重い口に、彼女はコーヒーを流し込む。
「いえ、彼があの子の事を好きなのはずっと知ってましたから。おめでとうと言うべきなんですよね」
灰皿に吸い殻を押し付けると、彼女もマネをするように押し付ける。
「青い春って感じだなぁ」
「その言い方おじさんっぽいです」
イタズラっぽく言う彼女に空気が少し軽くなる。
「それで、とりあえず悪い事してみようって?」
「子供っぽいですが、そんな感じです」
「そっか、一本吸ってみた感想は?」
「美味しくはないですが、ここでの会話のお陰で、気持ちは煙みたいに軽くなりました」
「そりゃ何より」
「お兄さん良くここで夜にタバコ吸ってますよね?」
「おや、おじさんからお兄さんに若返った。と言うか、よく知ってるね」
「私の住んでるアパートがすぐそこで、窓から見えるんです」
「なるほどね」
「また見かけたら、来ても良いですか」
「アラサー独身男性と話して楽しいならいくらでも」
「上京して友達も少ないので、こう言うの久しぶりで楽しいんです」
「こんな社会の歯車でも良ければ、お嬢さんのためにも回って見せましょう」
「やっぱりおじさんって呼びましょうか……」
「まだお兄さんでいたいなぁ」
2人してククッと笑い合う。
久しぶりに心地良い時間が流れた。
その晩以降、彼女との一服が密かな楽しみになるのだが、それは別のお話で。
おわり
久しぶりの投稿です。
書きかけのお話をとりあえず形にしてみました。




