短編「決して離れないくーる」
名前もない、何か始まりそうで始まらないそんな話。
長い石段を登ってようやく辿り着けるうちの神社は、近所でも有名だった。
神社の横一面に広がる藤棚は、新緑の空を紫色に染め上げる。
休日の昼間であれば花見の客でごった返すのだが、生憎の雨模様。
恐らく誰も見に来る人は居ないだろうと思いつつ、自分しか知らない雨の藤棚を満喫しに神社へと向かう。
家の隣の神社だが、108段の階段はそこそこ骨が折れる。
ようやく登り切ると、案の定だが人はいな……いた。
朝から雨は降っていたはずなのに、傘も持たずに神社の屋根の内側で腰掛けて藤棚を眺めている。
緩く髪を結び、肩口から前に垂らした綺麗な髪と、自分と同じ高校の女生徒らしき制服に身を包んでいた。
切れ長の目は冷たい印象だが、それ以上に整った顔は見惚れるほどだった。
こちらがジロジロ見ていることに気がついたのが、彼女はこちらの視線に合わせてくる。
まずい、気持ち悪がられるかも。
なんて思ったのは一瞬で、彼女は少し目尻を下げて柔らかい表情になると片手を上げて控えめに手を振ってきた。
その行動の意味が分からず、困惑していると彼女は振った手でそのまま手招きしてきた。
呼ばれるままに近づくと彼女は口を開く。
「えっと、そうだな。初めまして。が正しいかな」
なぜか歯切れの悪い初めましてに、実はどこかで会ったことがあるのだろうかと疑ぐりつつ「どうも。何か用が?」と返事をする。
少しぶっきらぼうな物言いをしたはずだが、彼女は微笑ましそうに笑う。整った顔が好意的に笑うだけでこれだけ魅力的なのかと、思わずたじろぐ。
「突然で申し訳ないんだけど。この後この場所に、雨に濡れた君より少し年下の女の子がやって来るんだ。その子は少し悩みがあって、心がささくれ立っているから冷たい事を言うかもしれない。いや、言った気がする。その子をほんの少し気にかけて貰えないだろうか。それがその子の人生の最良の日になるから」
「気にかけるってどうすれば良いんだ?」
ふふっと彼女は笑う。
「『なぜ?』とか『君は誰?』と言う質問より、最初に聞く事がソレと言うのはやはり君は君のままだな」
言われてみるとそれはそうだった。気にするべきは他にもいろいろあった。
「だけれど、君は君なりに気にかけてくれたら大丈夫だ」
分からないことはいくつもあるが……。
「まぁ時間もあるし、良いよ。そんな子が本当に来るならね」
「ありがとう。それよりやっぱり雨のこの藤の花は良いな。毎年見に来るようになったけれど良い場所だな。君もそう思うだろ?」
何か質問する前に彼女から遮るように次の質問が来てしまった。
「雨の日のこの良さが分かるなんて随分と年寄り臭いな」
手を口許に持っていき彼女は控えめに笑う。
「君だって今は似たような年齢だろう?」
至極真っ当な返答に思わず返す言葉が浮かばない。
「意地悪してしまったな。償いも兼ねて……」
そう言う彼女はそっと一歩近寄ると、手を握り顔を近づける……
ゆっくり近づく彼女からは、石鹸の香りがする。
これから起こることに目を閉じる。
「チッ……もう来たか私。ごめんね。これからくる子をよろしくね」
何事かと目を開こうとすると、ぼやけた視界の中心にいる彼女の存在がブレていた。
「目が覚める時間だから私はもう帰るよ。今の君に言うべきでは無いのかもしれないが、ありがとう」
彼女がどんどんと曖昧になっていく。
フッと掴まれていた手が解放されると、もう目の前には何事もなかったかのように彼女はいなかった。
辺りを見回すと石段の方から足音がする。
登り切った存在に少しだけ驚く。
先ほどの彼女とよく似ていた。
正確には先ほどの彼女を少し幼くして、ずぶ濡れにしたらこんな感じだろう。
『その子を少し気にかけて貰えないだろうか』
そう言われたものの、さてどうしたものか。
下手に声をかけたらタチの悪いナンパのようだ。
「まぁなるようになるか……」
小さく呟き、彼女の元へ進むとそっと傘を差し出す。
「外でシャワーを浴びるには少しまだ寒いんじゃないかな?」
下を向いていた彼女は、視線だけで人でも殺せそうなほど冷たい表情をこちらに向ける。
「気安く話しかけないでください。大声出しますよ」
「それはちょっと困るけれど、普通に雨の中で俯いてずぶ濡れの子が居たら声かけるかどうか迷うでしょ」
「私は今誰とも話したくありません」
雨でぐじゃぐしゃになったとしても、見るからに泣き腫らした目元をしていても、衰えることの無いその見るものを凍てつかせるような眼光を真っ直ぐに見据えてくる。
「そっか、なら傘だけ差しててやるよ」
「……いらない。私に優しくしないで……」
下を向き、キツく握りしめた拳が震えている。
さて、どうしたものかと考える。
何気なく見上げた空の変化に気がついた。
「これは独り言なんだけれど、せっかく長い階段登ってきたなら、地面ばっかり見てないで上を見上げてご覧よ、ちょうど良いタイミングだからさ」
根は素直なのだろう、こちらを睨みつつも、長い睫毛が上へと持ち上がる。
見上げると同時に、雨雲の切れ間から日が差し込む。
透明のビニール傘についた雨粒は、紫がかった光を乱反射させた。
幻想的ですらある光景に彼女は息を飲む。
「な?見上げて良かったろ」
一瞬のできた雲の隙間がなくなるまで見上げた彼女は、再び暗くなる空に残念そうに眉をひそめる。
「こ、こんなの偶然です……でも、綺麗でした」
あらら。随分と頑固だわこの子。
「偶然とか運とかってさ。結局その為に何かした人が手に入れられるもんだよな」
「だからなんですか」
「何でここに来たのか分からないけどさ、この天気のこの時間にわざわざここに来たら、たまたまこれを見れるチャンスがあって、何となく俺の言葉で上を向いたんだろ?」
そんな当然の事を話す俺に不満そうな彼女。
「たまたま、親切心で傘を差し出した奴に胸の内を話して、たまたま少し気が晴れたらラッキーくらいに思っても良いんじゃない?」
「そんな都合の良い話……」
やっぱり現実的な女の子だなぁと思いつつ空を見る。
「ちょっと傘持ってて」
そう言って無理やり傘を押し付ける。
「10秒数えて手を叩いたら、またさっきみたいに日が差したら少しは柔らかい反応くれよな」
胡散臭そうに冷たい目が刺さる。
「いーち、にーい……」
間延びした数え方をしながら空の様子を見る。
「はーち、くーう、じゅう!」
『パンッ』と乾いた手を叩く音が響く。
ーー紫色の光に彼女の目は少しだけ開かれる。
「ほら、どうだ?すごいだろ?」
「……起きそうな事象に、適当に動作を合わせただけじゃないですか……まったく」
うむ。バレたか。
「でも、そうですね。偶然もその為に行動した人が得るなら納得もできます」
お?これは少し懐柔できたか?
「こんな事で私の気持ちが晴れるなんて思わないでください……しかし、少し聞いてもらえますか?偶然この天気みたいに晴れ始めるかも知れませんし」
絶対零度の視線はやがて、差し込む光に緩められる。
「俺がいくらでも聞いてやんよ」
「ちょっと重い話でも逃げないでくださいね」
「高校生を舐めるなよ。人生の先輩だぞ」
「私だって再来年は高校生です。そんなに変わりません」
「学生のニ歳差には巨大な隔たりがあるんだよ」
ようやく彼女はふわりと口元を緩ませた。
「実は私、夢を見るんです……」
そこから始まる彼女の話にこれから振り回されるなんて思いもしなかったが、それは別のお話。
それでも、泣き腫らした彼女の理由が優しさと自身の不甲斐なさに押し潰されそうな気持ちで、それが少しでも救えたなら今日の1番の収穫だったかもしれない。
気が向いたら、お話の続きを練り直します。




