短編「怪我の功名すくーる」
徹夜明けの朝日を全身に浴びて妙に頭の冴えている帰路。
時刻は7時を少し過ぎたあたり。
「今日中に仕上げて欲しい。」
その一言が金曜日の20時、オフィスに響いた。
「は?」
思わず声に出してしまったらしい。
「突然顧客が明日までと言い出したんだ。だから今日中によろしく。」
「いやいや、コレ一週間は先の予定でしたよね?」
「つべこべ言わずに残っている者は手伝ってくれ。」
「今日中と言ったが、最悪明日の7時で良いそうだ。」
その場に残っていた数名の逃げ遅れがうめき声をあげていた。
そんなことがあった昨日の夜。
当然一週間の前倒し作業を一晩で終わらせることはできず。
残った作業は今後の工程と並行して進められるところまで片付けることで、朝解放された。
秋も深まり早朝は少し冷え込む。
冷たさを感じる空気を胸に吸い込み。
あたたかな布団とまったりとした休日をと考えていると、
目の前には腰まである黒髪を揺らす女子高生がいた。
綺麗な髪をした女の子だなぁと思っていると、
帰宅を急ぐ歩みの速さから徐々に近づいていく。
もうすぐ追い抜かすかと思っていたところで、耳障りな音が響く。
――乱暴に押されたクラクションの音
何事かと思い顔を上げると、目の前にはまっすぐにトラックが向かってきているところだった。
そして、身動きが取れずに固まっている女子高生もいた。
「危ないっ!!」
咄嗟に手の届く距離にいた女の子へ手を伸ばす。
自分でも驚くが、これが火事場の何とかという奴だろう。
女の子を守るように抱えて横に飛んでいた。
しかし飛ぶ距離は足りなかった。
まったくブレーキの踏まれていないトラックに体が持っていかれる。
一瞬の無重力感。
上下の感覚が無くなる。
最後に見たのは必至にこちらに来ようと、這いずる女子高生だった。
気が付くと知らない場所にいた。
周りを見渡すと病院であることが分かる。
利き腕を持ち上げる。
持ちあがるには持ち上がるが感覚が薄い。
ギプスでガチガチに巻き上げられていた。
生きているらしいということだけは分かった。
動く左腕で、看護師を呼んだ。
状況としては、右腕はしばらく使い物にならないらしい。
医者曰く、「若いからしばらくすれば元通りだよ。ちょっと傷は残るかもしれないけれど、嫌なら消せるから相談してね。」
だそうだ。
他は、頭を多少打っている可能性もあるため、もう2~3日は検査のために入院らしい。
しばらくすると、会社の上司や、親、警察が来たが、とりあえず問題ないことが分かると帰って行った。
会社の方はしばらく休んでいいと許可が出たので、貯まりに貯まった有給の消化をしようと思う。
事故ったトラックは酒気帯びと居眠りのダブル役満だったそうだ。
交通安全超大事。
病室にまた誰かがやってきた。
「失礼します。助けて頂いた娘の母です。
この度は娘を助けて頂き本当にありがとうございました。」
娘がと言われなければ姉なのではと思える母親と、人は良さそうだが、スーツの着こなしからただ物で無いとわかる父親がお二人でいらっしゃった。
娘さんはとりあえず無事らしい、直接挨拶したがっていたそうだが、
念のため検査入院中で親御さんだけらしい。
連絡先等を交換し、いずれ改めてお礼に向かいますと約束されてしまった。
入院期間1週間程度で我が家に帰れることになった。
家に帰ると、空き家だった隣に誰かが引っ越してきたようだった。
まぁそれはおいおい顔を合わせたら挨拶すればいいやと、久しぶりの我が家に足を踏み入れる。
家に帰り実感した。
利き手が全く使えないのはやばい。
どれだけ自分が右手一本を頼りにしていたか実感した。
すまん左手、君は不器用だったようだ。
まぁ食事とかはコンビニで済ませれば良いだろう。
と言うか普段からコンビニだったのでその点は問題ない。
しかしまぁ日常生活には不便しそうだと考えていると、チャイムが鳴った。
ピンポーン
「はいはい、今出ますよー。」
ガチャ
扉を開けた所にいたのは一人の女の子だった。
髪が艷やかで長く落ち着いた雰囲気の女の子で、こちらを見上げている。
「えっと、どちら様で?」
「今日から隣に引っ越してきました。久瑠須 鈴乃です。」
「あ、お隣さんですね。よろしくお願いします。」
「あの、私の事わかりませんか?」
「うーん・・・。初対面だと思うのだけれど?」
「そうですね、顔をしっかり合わせるのは初めてかもしれません。」
「久留須・・・。あ、もしかして助けた女の子・・・?」
「はい、そうです。あの時はありがとうございました。助けて頂けなければ、確実に轢かれていたいたでしょう。」
「いやいや、助けられたのは偶然だから。」
「いえ、あなたに助けられた命だと思ってこれからは、あなたに尽くしたいと思います。」
「尽くすって、そんな大袈裟な。」
「大袈裟ではありません。右手が使えずに不便ですよね?
私が右手の代わりに何でもしますから。
そのために引っ越してきました。」
「そのために引っ越してきた?!
高校生だよね?!
親御さんは許してくれたの?!」
「はい、両親は応援してくれていますし、
お兄さんなら任せられると言っておりました。」
実はあのご両親は、3度ほどいらして世間話やいろいろ話をしていた。
恋人はとか、職場はとか、家はと母親に聞かれた気がする。
「いや、でも高校生だしね?
俺社会人で25だしね?」
「私は18ですから、問題ありませんね。」
「問題しかないよ・・・。ちょっとご両親に確認させてもらっていいかな?」
「ハイどうぞ。」
スマホを差し出された。
ご丁寧に、電話を繋いだ状態で。
「もしもし・・・。先日ぶりです。」
「もしもし。娘がそちらに行っているだろう?娘を頼む。」
「久留須さん?!」
「まぁ親ばかに聞こえるかもしれないが、いい娘だ。
あまり下らない理由では泣かさないでやって欲しい。」
「いや、それはしませんけれど・・・。」
「そうだろうな、宜しく頼みます。」
ブツッと通話は切れてしまった。
「どうでしたか?」
「娘を頼むと言われてしまったよ。」
「はい、私をよろしくお願いします。右手の代わりだと思って何でもしますからね。」
「とりあえず、食事にしましょう。」
「実家からお蕎麦を持ってきていますので、台所を貸してもらえますか?
まだ我が家にはそれほど食器類がありませんので貸して頂けると助かります。」
「あ、あぁその棚に・・・。」
「では、座っていてくださいね。すぐにお持ちしますので。」
しばらくすると、体は正直にお腹を鳴らしていた。
しかしこの状況は何だろう。
エプロンを付けた、年下の女の子から箸を向けられている。
「どうしたんですか?あーんしてください。
猫舌でしたか?」
ふーふーまでしてくれている。
これは夢だろうか?
夢じゃないらしい。
「あ、あの。さすがにフォークとかもあるから左手でも食べれるよ?」
「良いんです。私がやりたくてやっているので。
最初の一口だけでも良いので、食べてください。」
まっすぐに見つめられて根負けしてしまった。
「あ、うまい。」
「うちの親戚が作っているそばですから、おいしいですよ。」
最初の一口だけで本当に勘弁してくれた。
普段一人で食べる家での食事に、向かい合わせで食べる相手がいる事に、何というか緊張した。
長めの髪の耳にかけて食べる仕草を生で見せてもらい、思わずじっと見てしまっていた。
「なんですか?あまり見つめられると、照れてしまいます。」
あまり照れているような表情はしていないが、本人は照れているらしい。
食事の片づけまでしてくれた。
さらにお風呂の準備まで。
普段基本的にシャワーで済ませてしまうのだが、たまには良いかと少しテンションが上がった。
「何から何までありがとう。」
「いえ、好きでやっていますから気にしないでください。」
「それじゃあ今日も遅いし今日は部屋に戻りな?」
「そうですね、じゃあ一度戻ります。お風呂入っていてください。」
そう言って久留須さんは帰っていく。
「ふー良いお湯だー。腕をラップでグルグル巻きにしてはいるが、お風呂が気持ち良い事には変わりはない。」
一息ついていると、入口の前に人影があることに気が付く。
そして開いた。
タオル一枚でギリギリ見えないポジションを隠している久留須さんがそこにはいた。
「シャンプーとお風呂セットを取りに行っていました。」
「・・・。」
完全に思考が停止していた。
これはなんてエロゲ―だったろう。
はは、選択肢が一向に出てこないぞ、バグってるんじゃないか。
すみません、バグっているのは自分でした。
「先に体を洗ってしまいますので、少々お待ちくださいね。」
「待って待って、何入ってきているの?!」
「それはもちろん洗うのも大変でしょうから。私が代わりに洗います。
ですので、サッと自分を洗ってしまいますので、お待ちください。」
そういい終えると、本当に洗い始めるので、自分は背を向けることしかでできなかった。
――お風呂はもうめちゃめちゃだった、主に自分の思考が。
自分の左手は優秀ではなかったが、理性は優秀だったようだ。
かわいらしいパジャマ姿でいる久留須さんは、ベッドの支度が終わるとこちらを向いて座る。
「私に魅力はありませんでしたか?」
思わぬ一言だった。
「私に魅力が無いから、何もしてきてくれないのですか?」
「いやいや、そんなことないよ!とってもいい体を・・・じゃなくて女の子だから体を大切にしないと!」
「私はあなたが良いです。
命がけで助けてくれて、運命のようなものを感じてしまったのですから。」
「命を助けたのはあの時たまたま・・・。」
「たまたまでも、助けたのはあなたで、私の目の前でこうして話してくれるのもあなたです。
もう一度言います。
私は、あなたが良い。あなたしかいない。」
こんなに真剣に人とこんな距離で向き合うのは初めてかもしれない。
恥ずかしさを感じながらも、じっとその真剣な瞳を見つめる。
この子は目を逸らしたり、泳がせる事なく真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに見つめる。
年下の女の子に対して何をしているのかと自分でも思うが、
腕を広げて待つ。
「こんなのでも良ければ、よろしく。」
目を輝かせたかの様な表情を一瞬覗かせると、飛び込んでくる。
こんなにも真剣に自分しかいないと言ったこの子は、
あの事故の時と同じく
ギュッと捕まってくるのだった。
この感じる浮遊感はこの間とは違っていた、きっと自分の気持ちが浮き立っているのだろう。
安全運転超大事。