短編「大学デビューはおねえさんに教わる素直クール」
彼は……いや、彼女という表現が正しい。
彼女はこれまで出会った誰よりも美意識が高く、芯の通った性格で私の恩人だった。
私に上手なお化粧を教えてくれたのも、似合う服の選び方も、立居振る舞いや美味しいお酒を教えてくれたのも彼女だった。
そんな彼女と出会ったのは、大学に入学した最初の春のことだった。
当時の私は、所謂大学デビューをしようとしていた。
堅苦しい実家を出て、一人暮らしを始め、慣れない下手な化粧とマネキン買いで揃えた量産型をキメていた。
高校では野暮ったい眼鏡と重い髪を結んでおり、勉強ばかりしていた。
そうしてできあがったのは、ひとりぼっちの卒業式と寄せ書きの無い卒業アルバム。
そこで気がついた。
どんなに良い大学に合格しても、どんなに頑張って内申点を上げても、この3年間はこんなにも寂しい最後なのかと。
だから大学では友達を作ろうと、勉強はもちろんするが、高校ではしてこなかったことをしようと思った。
見た目だけは大学生で、中身は空っぽ。
そんな空回りが、元気の良さそうなサークルの新歓コンパに何の事前情報も無く飛び込むのは、無謀以外の何者でもなかったのだ。
案の定ジュースだよ言われた飲み物は、何か良からぬものが混ざられており、足元がおぼつかなくなっていた。
2時間程度で私は側からみれば、酔い潰れた女の子だったのだろう。
その後は恐らく先輩だろう男性2人に脇を固められ、連れて行かれたのはカラオケ店だった。
どうやって移動したのかは覚えていない。
覚えているのは、1人の男がドアの前に立ち、1人が私に覆い被さろうとしている光景だった。
焦点の定まらない私は、考えの纏まらない思考の中でも、払い除けようと手を伸ばすが意味をなさなかった。
こんな事なら大学でも勉強だけしていれば良かった……
そんな後悔と悲しみに飲み込まれそうになった時にドアは勢い良く開いた。
「あらぁ〜。可愛い男の子達じゃないのぉ。アタシならその子の代わりにいくらでも相手してあげるわぁ。だからぁ、おいたはダメよ?」
その声は酷く甘えた野太い声で、随分となよなよとしていた。
ボヤけた視界が捉えたのは、可愛らしいワンピースと溢れんばかりの筋肉だった。
その後、また気がつくと今度は別の場所で目が覚めた。
「ここは……?」
薄暗い照明でソファーに寝かされていた。
「あら?起きたのね、お嬢ちゃん」
現状が把握できない……私は確か男に馬乗りにされていて……急に恐怖心がガタガタと体を震わせる。
「コレでも飲んで、落ち着きないな」
そう言って出されたのは、お味噌汁だった。
「私コレでも料理には自信があるの、飲んでみなさい落ち着くわよ?」
怯えた心は、目の前のほのかに湯気の出る味噌の香りに落ち着きと喉の渇きを訴えてきた。
恐る恐る手にとり、温かいお味噌汁を口に含んだ。
優しい味わいで、わかめと豆腐が小さく刻まれており、安心する。
熱すぎず、ぬるすぎないお味噌汁はコクコクと喉を流れ落ちた。
ひとしきり飲み干し「美味しい」と心の底から声が漏れ出た。
そうして、差し出してきた人をよく見ると、筋骨隆々のワンピースを着た男性は完璧なウィンクを飛ばす。
「このお味噌汁評判良いのよ。顔に似合わず、具が小さくて締めにピッタリだなんて。顔に似合わずが余計なのよねぇ」
状況は飲み込めないが、危険は無いのかもしれないと緊張した体から力が抜けていく。
「あの、私はいったい……?」
「あら、そうよねぇ。全然状況分からないわよねぇ?でも安心して、私がパパッと救い出しちゃったから。あなた危なかったのよ?まぁ私からしたらご褒美なんだけれど、あなたみたいなお嬢ちゃんにはちょっと刺激が強すぎたかしら?」
このお兄さんは、ひとつ何かを聞くといくつも話が返ってくるようだった。
「お兄さんが助けてくれたのなら、ありがとうございます」
「違うわ。私はおねぇさんよ」と野太い声で即答される。
「……おねえさん……ありがとうございます」
「あら、鉄板のネタなのだけれどダメねぇ。まぁ良いわ。たまたまカラオケに連れて行かれたあなたを見かけたから追いかけたけれど、次はあんなのに捕まっちゃダメよ?女の子なんだから、自分の体は大切になさいな」
軽率だったと項垂れ、反省する。
「もう、新歓コンパなんていきません」
空になったお椀にもう一杯お味噌汁がよそわれ、差し出される。
「それはもったいないわね。見知らぬ男の子から渡されたお酒と、席を立った後のグラスに気をつけて、自分の許容量を知っていれば楽しいものよ。でもね、おねぇさんのお味噌汁はいくらでも飲んでね。後はね、周りの人にどんなサークルかよく聞くのね」
そんなこと全然知らなかった。新刊だって、雰囲気が和気あいあいとしていて、楽しそうと言うだけで行ってみようと思った。
「私、これまで友達ってほとんど居なくて、大学で頑張ろうと思ったんですけど、全然ダメでした」
「そうねぇ、見るからに慣れていないお化粧と、とりあえずみんなが着ていそうな似合ってない服を着ているあなたは良い鴨ね。鴨と言うより貝だけれど。あら私上手いわね」
何が上手いのか分からず、ケラケラと笑うお姉さんに不思議そうな視線を送ってしまった。
「あなた、初心なのねぇ。良ければまたうちにいらっしゃい、いろいろ教えてあげるわ」
そう言って、『オカマBAR かすみ』と書かれた名刺を差し出された。
「おねえさんがかすみさんで、ここはお店ですか?」
「そうよぉ。22時から適当な時間まで開いてる私のお店よ」
腕時計を見ると時刻は0時を指していた。
「あのお店は閉めているんですか?」
「あなたがいるから、常連以外は追い返してるわ」
お店に迷惑をかけたている事実にサーっと血の気が引いた。
「すみません。あの、お礼にお店手伝わせてください。皿洗いでもなんでもします」
おねえさんは眉をしかめる。
生意気な事を言って怒らせてしまったかもしれない。
「あなた……それならまずはお化粧と服選びね」
そう言って、自宅となっている上の階へ連れて行かれた。
「まずはそのコテコテの化粧を落としなさい、基礎から教えてあげるわ。あなたの顔は整っているのだから、素材を活かしなさい。お店用に目元とリップはハッキリさせるけれど、普段なら変えないとダメよ。ベースは透け感を出すために薄めが似合うわ」
1時間かかりメイクを終えると、バーテンダーのようなタイトな服を渡される。
「その服はこの間まで働いてくれてた子のお下がりだけど、クリーニング済みよ。大学を卒業して辞めちゃったわ。可愛い男の子で、タイトスカートから伸びる足が良かったのに残念だわ」
鏡に映る自分が信じられなかった。
「あら、あなたやっぱり素材が良いわねぇ。背もあるからその服はきっと似合うと思ったのよぉ」
すらりとした大人の女性が立ってるようだった。
その姿に何故か涙が溢れる。
「私にもできるんですね……」
「そうよぉ。女の子は誰だって可愛くなれるし、強いのよ」
その言葉に背中を押されたような気がした。
その日は明け方までお手伝いして、朝ごはんまでご馳走して貰った。
それからと言うもの、午前中に講義のない日はアルバイトと言う形でお店にお手伝いをさせて貰いながら女性と言う生き方を彼女から学んだ。
これまでの20数年間で最も濃い経験をした4年間は、私の宝物なのだ。
まぁその話もいずれするとして、今日は彼女に紹介したい人がいる。久しぶりに会う彼女は何と言っても祝福してくれるだろうか。
もしかしたら彼に手を出すかもしれないが、それだけは譲れない。何故って、この人はあなたが教えてくれた全てを費やせるほどの人なのですから、渡せないものは渡せないのです。
教わった自信たっぷりの顔で、私はドアを開くのでした。
素直クールの生まれ方編のようなお話でした。
少し前半が気分の悪い話と感じたらすみません。




