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素直でクールな彼女  作者: わほ
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短編「お嬢系くーる」

下書きに後半が決まらず放置されていた短編を1本公開します。

新年度を迎えしばらく経つのだが、別段新しい年になったからと言っても何か変わった訳でもなく平坦な日常が広がっていた。

春らしい暖かな陽気の中、混雑とは逆方向の電車に乗り込む。

サラリーマンの皆様につきましてはご苦労なことでと、心にもない事を思いつつ人は少ないが空いていない席に残念に思いながら、つり革へと掴まった。


しばらく揺られ隣の駅に到着すると、見知った顔が電車へと乗り込みこちらに寄ってくる。

「やぁ、おはよう」

隣のつり革に掴まり、抑揚の感じられない声でされる挨拶はいつも通りだった。

「おう、おはよ」

こちらはと言えば、ちらっと相手の顔を見て、いつも通り何を考えているか分からん女だと思いつつ挨拶を返した。


この女は同じ学年で、1度も同じクラスにはなった事が無いのだが向こうから話しかけてきた。

最初は何かの冗談かと思った。

学年でも才色兼備として有名で、話したがる男はごまんといた。

基本的には朝と帰りの電車くらいでの交流で、学内では度々視線が合っている様に感じるだけだった。

もしかしたら視線が合うのは気のせいと言う可能性もあるが、現状はその可能性は周囲の噂からも我々は妙な雰囲気を出しているとざわつかせていた。


最初の頃はクラスの男女問わず「一体全体あの学年の華とどうやって近づいた?」と問い詰められる事もあったが、自身にはとんと見当がつかなかった。


と、言う体裁にしていた。


しかし、実際には見当も何も心当たりしか無かったのである。

具体的には3ヶ月ほど遡る話だった。


朝の冷たい空気に嫌気が指していたある日、電車は信号トラブルとやらで大幅に遅延していたのだった。

珍しく電車は混み合っており、パーソナルスペースなど皆無の状態で身動きのとりにくい時間を過ごしていた。


そんな時だった。

隣に立つおっさんがやけにもぞもぞと動き鬱陶しさを感じて横目で見やると、おっさんの手が女性の足を撫でる様に動く明らかな痴漢行為をしていた。


思わずそのおっさんの手を鷲掴みに捻り上げた。

情けないおっさんの呻き声が車内に響き、周囲は騒然となるが「痴漢野郎だ!」と声を上げると周囲もそのおっさんをガッチリと固めた。

めでたく隣の駅で御用となり、被害者の女性と顔を合わせる事になるのだがそれが我が学年の才女だった。


普段の学校で見せている、キリリとした自信のある凛とした表情とは打って変わって、瞳は潤ませ小さく震えていた。


しばらく駅員室で温かいお茶を飲み、落ち着気を取り戻すと彼女はわずかに震える声で「ありがとうございます。実際に被害者になると恐怖で何もできないものだった」と何度もお礼を重ねてきた。

しばらくして、先生が迎えに来てから自分は登校し、彼女は一度自宅へと送られたのだが、車内で一枚の紙の切れ端を渡された。


『須直 空

080-xxxx-xxxx

xxxxxx@xxxx.xxx

お礼がしたいので

連絡をください』


とりあえず学校に着いて、遅い到着を周囲から「今度は誰を助けてサボってたんだ?」と冷やかされながらもスマホを取り出し連絡先を登録した。

ついでに一言メッセージも送っておいた。


『さっき連絡先を渡されたB組の稲荷です。

お礼なんて気にしなくて良いから、学年人気の須直さんは早くいつものキリッとした顔を見せてください('ω')』


授業も終わり、返事は来てないかとスマホを取り出すと新着メッセージが1通となっていた。

メールなんて久しく使ってはいなかった中、届いていた内容は彼女らしい生真面目なものだった。


『意を決して連絡先を渡しましたが、すぐに連絡が来て嬉しかったです。

本日は本当に助けて頂きありがとうございます。

明日からしばらくは家の人が朝は送ってくれるそうなので、学校には行けそうです。

お礼は近々必ずさせて下さい。


追伸

これからもたまに、連絡のやり取りをしても良いですか?


須直 空』


普段チャットアプリで二言三言程度しか言葉のやら取りをしないため、思わず「追伸ってなんだ?」等々真面目なメールへの返信方法を調べたりと、休み時間を使い切り肯定する意図の返事を書いた。


その日の夜、ゲームに興じて、挑戦者にボコボコにされていると、着信が鳴った。


画面を覗くとそこには、

『須直 空』

とだけ映し出し、軽快なリズムが流れていた。

慌てて通話操作をする。


「もしもし?」

「こんばんは須直です。稲荷君ですよね?」

「そうだけどどうしたの?」

なぜかぶっきら棒な返答をしてしまっているが、女の子と電話なんて皆無なのであるから仕方ない。

「良ければ今週の土曜日に家に招待したいのですが………どうでしょうか?あの、両親も是非お礼がしたいとのことで」

「えっと、あの……」

「もちろん、いきなり家と言うのは難しいかもしれませんが、どうでしょうか?」

ここで曖昧な返事なんて、せっかくの須直さんの関係を壊しかねないと、多少言葉を噛みながら承諾した。


時間は14時半に隣駅前、昼食は控えめでと指定を受けたのだった。


次の土曜日までは、多少そわそわしつつもあっという間に過ぎていった。

学校内では普段以上にすれ違い、視線が合うとほのかに頭を下げられたが、目立った会話は朝の挨拶くらいだった。



約束の土曜日駅前。

予定の時間より10分程度早く着くと、須直さんへメールを送る。

メールの送信から1分と待たずに、着信が入る。

「こんにちは、ご足労頂きありがとう。北口のロータリー側でお待ちしておりますので」


普段降り立たない駅の北口を探し、ロータリーへ向かうと黒塗りの高級車の前で須直さんが手を振っていた。


「お待ちしておりました、稲荷君。こちらへどうぞ」

促されるままに車に乗り込むと、運転席にいる黒スーツでサングラスで強面で明らかな雰囲気のお兄さんらしき人が頭を下げてきたため、「よろしくお願いします」と軽く頭を下げ返した。


学校と同じように落ち着いた様子の須直さんと、別の意味で緊張している自分は、過ぎる景色を横目にエンジンの駆動音だけが響く車内にいた。

沈黙に耐えきれずに口を開いたのは自分だった。

「須直さん、運転してくれているのはご家族の方?」

「いいえ、家族ではありませんが、小さい頃からよく私のお世話をしてくださっている、安藤さんです。見た目は強面ですが、お菓子作りが趣味な優しい人なんですよ」


「やめてください、お嬢。それは内部の者もあまり知らないのですから、恥ずかしいではありませんか」

悪戯っ子のような表情でクスクスと笑う須直さんの表情は学校では見ることが無く、少し可愛らしかったのだが、今安藤さんは『お嬢』と言わなかっただろうか?

薄々気づいていたのだが、須直さんの家はもしかしてヤの付く家柄なのだろうかと緊張感が増していた。


「あの、須直さんこれは家に向かっているんだよね?」

「そうです、本家ではないのですが。もうすぐ着きますので」

「本家が別にあるの?須直さんって何者?」


「それは秘密です。でも、その内ちゃんと説明はしますね」

そう言うとまた、先ほど見せたような悪戯っ子のような表情を見せた。


車はしばらく進むと高級そうな住宅街を抜けて、古くから立ち並ぶ家々の中でも一際目立つ門の前に到着した。

しばし自宅とのスケールの違いに呆然としていると、「こっちですよ」と声がかかった。

「ごめん、家が大きすぎて開いた口がリアルに塞がらなかった」

「この家に驚いていては、本家を見たら顎が落ちますよ?」


一体この子は何を言っているんだろうと思考を放棄しながら、脇戸を潜り敷地内へと踏み入れた。

大きな玄関を開くと中には二人の男女が立っていた。


「いらっしゃい、待ってたよ。君が稲荷君だね」

皺ひとつないスーツを着こなした男性は柔和な笑顔で、こちらに呼びかけてくれた。

「こ、こんにちは。稲荷 和穂です」


「そんなところで、挨拶で止まっていないで上がるといい」

須直さんに顔立ちの似ている女性は、口調もよく似ており見るからに母親と言う雰囲気で、手を引かれリビングらしき広いスペースに通された。

屋外の見た目とは異なり、室内はずいぶんと現代風でソファや最新家電が配置されていた。


「母さん、稲荷君の手を引っ張るなんてズルイですし、強引では困ってしまうでしょう」

「いいじゃないか、あのままでは話が進みそうになかったからな」


各々が定位置らしい場所につくと、自分は須直さんに促されるまま二人がけのソファの隣に座らされそうになる。

「あ、あの今日はお招き頂きありがとうございます」


「いやいや、今日はこちらがお礼を言いたくて呼ばせてもらったんだ。娘を助けてもらい本当にありがとう」

大の大人二人が高校生相手に深々と頭を下げ、こちらが申し訳なくなる。

「そんな、そんなっ!こっちはもと早く気が付いていれば」


お互いに頭の下げ合いがしばらく続くと、須直さんがクスリと笑い出した。

「やっぱり稲荷君はとても素敵な人だな」


須直さんの嬉しそうな表情に少し見惚れていると、両親も自分と同じように視線を向けているようだった。

「娘がこんなに嬉しそうなのは久しぶりに見た。不幸中の幸いだな」


場が和やかになったところで、須直さんが立ち上がった。

「私が今元気でいられるのは稲荷君のおかげなので、今日はそのお礼をさせてください」

その言葉と同時に奥から安藤さんがトレーを手に、姿を見せた。


「私が作ったのだけれど、口に合うと嬉しい」

トレーの上には人数分のティーカップとチーズケーキが乗っていた。


「私が言うのもなんだが、娘のチーズケーキは絶品なんだ。是非味わってみて欲しい」

父親の勧めに一口頂くと、ほのかな酸味と滑らかな口当たりが、広がるオレンジの香りと相まって、シンプルな見た目以上の味わいを感じた。

「美味しい……」

自然とフォークを持つ手が次の一口を求め動いていた。

あっという間に皿を空にして、満足気に紅茶をひとすすりし、周りに目を向けると、ニコニコと自分の事のように嬉しそうな父親と、どこか誇らし気な母親、少し顔を紅くした須直さんが視線を向けていた。


「す、すみませんこんなバクバクと一気にっ!」


「いやいや、良いんだ。稲荷君が美味しそうに食べてくれて私は今とても嬉しいんだ。もし良ければ、もう一切れ切り分けようか」

あの味がまだ食べられるのかと思うと、「是非」と即答していた。


結局、ご両親と須直さんを交えたお茶会が終わる頃には、1人で全体の半分を食べてしまっていた。


終始和やかに進んだお茶会で、一瞬ヒヤリとしたのは仕事の話が出だ時だった。

「私の仕事は聞いているかい?」

ヤの付くお仕事なのではと一瞬思いかける思考を払いのけ「いえ、何も聞いてません」と冷静に答えた。


すると、スーツの内ポケットから1枚の名刺を取り出して渡された。

「君の年齢では知らないかもしれないが、SUNAグループという先進国の先端技術から、発展途上国の支援まで手広くやっているグループの代表をしているんだ」

頭にはてなマークを飛ばしながら頷く。

「もし、君が今後の人生で仕事に困ったなら、この電話番号に連絡をくれたらなんとかしよう。これが私から出せる最大限のお礼とさせて欲しい」


「ありがとうございます。あまりよく分かっていませんが、自分の仕事は自分で見つけていきたいので、受け取るだけになってしまうかもしれません」


ご両親は満足そうに頷いた。

「ちなみに、まるでどこかの反社会的組織の様な迎えの方法と、安藤の見た目は娘なりの分かりにくいジョークなので、誤解はしないで欲しい」

思わず須直さんの方を見ると、悪戯っ子の表情でこちらを見ていた。


「さて、私たちは次の仕事先に向かわないといけない時間が迫っているんだ。呼び出しておいて申し訳ないが、後は若い2人に任せても良いかい?」


「忙しい中、お邪魔してしまってすみません」


「いや、こちらこそゆっくりできずに申し訳ない。後のことは安藤に任せているから、何かあれば言いつけて欲しい」


そうして立ち上がると2人は仲睦まじく、寄り添いながら出発していった。



2人きりの空間には静寂が訪れていた。

静寂は数秒だったのか、数分だったのか、破ったのは須直さんだった。

「今日は来てくれて嬉しかった。私のように学校では誰からも距離を置かれてしまうから、助けられて嬉しくて嬉しくて君のことが気になって仕方ないんだ」


「そんな、一回助けたぐらいでここまで喜ばれるのは不思議でしょうがないんだけど、どうして気になるの?」


「そうか、君は何回も私を助けていることは気がついていないんだな?」


「……何回も?」

まったくもって心当たりが無かった。

「去年のクラス委員の集まりや入学試験の道案内、遡れば中学の時だって助けられているんだが、何か覚えていないか?」


「そう言えば……あったような気がする」

何となく人が困っているのを察してしまうと、昔から手助けせずにはいられなかった。

クラス委員の集まりで優秀な子がたくさん仕事を抱えていた時があった。

本人は余裕そうにしていたが、どこか早く帰りたそうにしていた気がしたのだ、だから少し仕事を肩代わりした。

入学試験の教室の場所がわからずに困っている人がいた。

知らないうちに須直さんと繋がりがあったらしい。


「思い出してくれたかい?君は私の事など意識してはいなかっただろうし、君が困っている人を放っておけない人だという事も調べはついている」

困っていそうな人と言う雰囲気を何故か感じ取りやすい自分は、いつの頃からか積極的に声をかける様にしていた。

「まさか何回も須直さんと話してたなんて、ごめん覚えてなくて」

「いや、謝ることでは無いよ。でも救われた側はね、とても君の事を忘れられなくなったんだ」

「そんな救われたなんて大袈裟な」

「私のヒーローと言っても過言ではないよ」

なんともこそばゆい感じがする。


「あの、稲荷君。良ければお付き合いを前提に友達になってくれないか」

「へっ?!」

聞いた事も無い提案に変な声が出てしまった。

「いや、あのまずはお友達からで良ければその、よろしく」


そんな始まりのお友達は、日々距離を詰め外堀を埋めていく。

あの前提が叶う日もそう遠くは無いのだろうと、読み取れない表情とはまるで異なる熱い視線を廊下から感じているのだった。


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