短編「ちょこっとくーる」
バレンタイン(遅刻)です。
浮ついた雰囲気が漂う学校内は2月14日。
自分には関係ないと思いつつも、下駄箱の中を念入りに確認する。
当然の様に何もある訳が無く、肩を落とし教室へと向かう。
教室の前にある個人ロッカーを開くが、中には当然暗証番号付きの錠前を解除しなければ開けられないため、私物しか入っていないはずだった。
しかし、明らかに私物ではない、淡い水色の小さな封筒が中には入っていた。
その封筒を級友から見つかることの無い様に、ポケットへと忍ばせようとする手が、勢い良く掴まれる。
「これは裏切りの香りがする封筒だなぁ?」
残念ながら、級友は目敏くこちらの様子を確認していたらしい。
「ただの悪戯かもしれないから、念のため1人で確認しようと思って隠そうとしただけだ」
「親友がいたずらに引っかからないよう、今開くべきだな」
ギリギリと掴む手にかかる力が上がっていくため、観念する。
「分かった、読むからその手を離せ」
デフォルメされたふてぶてしい顔の猫のシールを剥がし、中のメッセージカードを取り出す。
そこには、丁寧で整った字が綴られていた。
『稲荷君へ
先日のクレーンゲーム
ありがとうございます。
お礼がしたいので、
放課後に西棟の4階図書資料室で、
お待ちしております。
須直 空』
「知らない名前だな」
正確には名前は知らないが、この文面から人物に心当たりはあった。
「そんなことより、完全にギルティだ。てめぇいつの間にそんなフラグ立てるイベントこなしてやがった」
「実力テスト直後くらいにイベントがあった事をたった今思い出したところだ」
あれは実力テストの結果が張り出され、めでたく放課後に追試を受けた後の事である。
現代文やら古文、漢文はどうも苦手だった。
活字なんて読むだけで眠くなるし、登場人物の心情など知ったことでは無かった。
幸い暗記はそれほど苦手では無かった事もあり、追試の内容を覚え込み乗り越えた。
その後、追試でこれだけ点数取れるなら本試験から必死にやれと毎度のお小言を聞き流しつつ、日が傾き始めた頃に解放された。
その日は追試の解放感からか、帰路の途中のゲームセンターを覗く事にしたのだった。
そんな時に目に留まったのが同じ学校の制服を着た美少女とも言える女生徒である。
一人でゲーセンにいる同世代の女生徒と言うことも気にはなったが、それ以上にどうしようもなくクレーンゲームが下手だった。
それほど大きくは無い、ふてぶてしい顔の猫を何度も何度も取れずに、黙々とお金を投入していた。
ぬいぐるみのサイズ感とアームの強さ的にはそれほど難しそうなものでは無いはずだが、今見たところ1000円は超えているようだった。
「ちょっと代わってもらって良いか」
見るに堪えず思わず声をかけてしまった。
「すまない、私が独占してしまっていたか」
割と強引に台を奪ったのだが、彼女はすまなそうにしながら台を離れようとした。
「ちょっと待ってな。下手過ぎて見ていられなかったんだ」
その言葉に、彼女は一瞬ムッとしたように口元を歪めたが、順調にぬいぐるみを持ち上げるアームを食い入るように見つめていた。
ふてぶてしい顔の猫はあっけなく景品取り出し口へと放り込まれた。
「ほら取れたからやるよ」
彼女へ差し出すと、戸惑っとように押し返してきた。
「君が取ったものだから受け取れない」
「俺もこのぬいぐるみは別に欲しい訳じゃないから、気にしないでくれると助かる」
少し怪しむようにこちらを見上げる彼女は「何が目的なんだ」と睨みを利かせてきた。
多少余計なことをしてしまったかと、決まり悪く辺りを見回すと生活指導教員の姿が遠目に見えた。
「ちょっとこっち来い」
彼女の腕を引っ張り近くのプリクラへ逃げ込んだ。
中に入るや否や彼女は慌てて腕を振り払い「なんなんだっ声を上げられたいのか?!」怒気を含ませ距離を取るが、幕の外側には出ないようで助かった。
「すまない、こっち側に生活指導の先生が見えた。俺が先に出て注意を引くから適当なところで逃げ出せ。間違ってもお前みたいな優等生風が捕まるなよ」
そう小声で捲し立てると、ぬいぐるみも勢いで押し付けわざとらしく教員の近くを通り追いかけさせ、彼女から遠くなるように仕向けた。
その後は、多少の注意と昼休みのボランティア清掃参加を強制されることで解放された。
彼女は姿を見せなかったことから、無事に逃げられたのだろう。
今考えると、そこまでしてやる義理もなかった訳だが、同じ学年では見かけた事もない小柄な女生徒で、クレーンゲームに対する真剣な眼差しと下ろした髪がとても綺麗な人だった。
腰ぐらいまで伸ばした艶やかな髪であったが、学校内でそのような人はあまり見かけず、見かけても同一人物では無かった。
見つけて声をかけようと言う訳でも無かったが、あれからふてぶてしい猫の子が少し気になっていることは確かだった。
ここまでがフラグが立ったであろうイベントのあらましである。
「それでお前は昼休み掃除させられてたのな。ゲーセンで捕まるなんて中学生かよって馬鹿にして悪かったよ」
いつもなら適当に逃げ出せるのだが、今回は捕まった方が都合が良かったのだから仕方ない。
「んで、そのフラグが回収される可能性がある訳だが。小柄で長髪の綺麗な女生徒なんて思い当たらないんだよな」
「そうなんだ、あのゲーセンで見た顔に一致する人がいないんだよ」
「まぁ、呼び出された訳だし、会ってみればわかるだろ」
「一人で行くの不安なんだが、ってか図書資料室とか初めて聞いたわ」
「俺も場所知らんし、付いていくような野暮なことはせんぞ」
「どうしよう、今日放課後までずっとこのモヤモヤを抱えないといけないのか……」
「ま、なんかあれば連絡くれたら気がついた時に助けに行くわ」
「薄情者め」
どうするべきか考えている間に、1日は終わりを迎え、放課後である。
「じゃあ俺は部活行ってくるから、刺されそうになったら電話しろよな」
「なぜそんな不安になる送り出しをするんだ」
「いや、バレンタインデーに女の子の呼び出しとか羨ましいから少し不安を煽っておこうかと」
「どちらにしても緊張で吐きそうなんだけど」
「良いから行ってこいっ!」
軽口は腕力で黙らされ、背中を叩かれ押し出された。
足取りも重く階段と渡り廊下を進み、図書資料室と書かれた部屋の前にたどり着く。
ノックくらいするべきだよな?と思い至り、3回ドアを叩く。
「どうぞ、空いてますよ」
ゆっくりとドアを開くとそこは長机と椅子が4脚ほどあり、壁一面には本棚と段ボールが積まれていた。
「来てくれてありがとう稲荷くん。お久しぶりです、私が須直 空です」
その椅子の一つに、腰掛けた女生徒が立ち上がり自己紹介と「そんなところで立っていないで、良ければ座らないか?」と椅子を勧めてくる。
勧められるがままにひかれた椅子に腰掛けるが、向かいに座る女生徒がどうも、ゲーセンの子と一致しなかった。
「先日はこの子をプレンゼントしてくれてありがとう。それに囮になるようなことまでさせてしまって申し訳ないと思っている」
そう言いながら取り出したのは、あのふてぶてしい顔の猫だった。
「いや、それはゲーセンにいるような雰囲気の人には見えなかったし、クレーンゲームが下手過ぎたから見ていられなくて」
とりあえず、本人で間違い無いようだが、目の前の女子は、緩く結んだ三つ編みを前に流し、分厚い眼鏡を掛けていた。
「ええそうね認めます。初めてゲーセンと言う場所にに入ったし、クレーンゲームに対して私はセンスがなさ過ぎたようだ」
「初めて?高校生でゲーセンに行ったことなかったってこと?」
「高校2年も終わるこのタイミングまで行ったことはなかったな」
「え、高校2年?先輩だったんですか、すみません。同級生かと思っていました」
「いや、年齢などどうでも良いことだ。勝手に歳は取るものだし、敬いの対象がたがだが一歳の違いなど馬鹿げている。敬うべき対象は年齢など関係なく等しくあるべきだと私は思うよ」
真面目そうな雰囲気を全開に漂わせた目の前の先輩は小さな体には見合わない圧力を発していた。
「と、そんなことはどうでも良いの。君を探すのにだいぶ掛かってしまったのだから」
「俺も同じ学校だろうとは思ってましたけど、同じ人物が見当たらないなぁと思っていたんです」
「私は君と同じくボランティア清掃に参加していたのだが、学年が違っていたせいで場所が違い会えなくて残念だった」
自分も多少探していた事実はあるが、学年が違っているとは小柄な事もあり考えていなかった。
「ついこの間ようやく君を見つけてな。何度も声をかけようとしたんだが、どうしても勇気が出なくてこのような手段をとってしまったことを許して欲しい」
座ったまま深々と頭を下げる先輩を慌てて制して頭を上げさせる。
「自分が好きでやったことですから、気にしないでください。そんなことより、ゲーセンにいた時とだいぶ雰囲気が違うのはどうしてですか?」
「あぁそれは」そう言いながら、髪の毛を留めていた淡い水色のシュシュを外した。
髪は結んでいたことを感じさせないほど真っ直ぐに戻り、手櫛で整えるだけで艶やかな黒髪が背中へと流れた。
最後に眼鏡を外すとこの間の美少女が現れたのだった。
「これでこの間と同じだろう?今はコンタクトを入れていないから君の顔がだいぶぼやけて見えるがね」
その凛とした表情と流れる黒髪は、堂々とした立ち居振る舞いと合わせて妙に大人びて見えた。
思わず顔を赤らめてしまったかもしれないが、目の前の先輩にはよく見えていないことを祈った。
「どうしていつもその姿でいないんですか?三つ編みよりよっぽど綺麗ですよ」
「綺麗と君に言われることは悪い気はしないのだが、私は転校生だからな。わざわざ目立つようなことはしたくは無かったんだ」
曰く、先輩は家の都合で最近この街に引っ越してきたのだそうだ。グループの出来上がっている学校内に居場所が無かった事もあり、偶然見つけた今は無き文芸部の部室を逃げ場にして、一人で同好会の場所として活動しているとのことだった。
「すまないね。ほぼ初対面なのにこんな湿っぽい話をしてしまって」
「い、いえそんなことないですよ。クラスで一人ぼっちは辛いですからね」
「べ、別にぼっちと言うわけでは、それなりにクラスメイトは仲間に入れてはくれている」
それはだいぶ気を遣われていることをお互いに察していることで、余計に寂しさが増していく。
「湿っぽい話を聞いて欲しかったわけじゃないんだっ。そんなことより、喉は乾かないか?あと甘いものは好きか?」
そう言って差し出されたのは、2本のパックジュースとラッピングされた小箱だった。
「ジュースは好きな方をどうぞ。あと、お礼とバレンタインデーを兼ねてチョコレートなのだけれど、嫌いではないと嬉しい」
少し早口で凛とした表情は赤くなり、小柄な印象をより強めた先輩はどこか可愛らしくもあり、微笑ましかった。
「ではオレンジジュースを頂きます。チョコレートも好きです。ありがとうございます」
自分が受け取ると、先輩は安堵した様子で落ち着きを取り戻した。
「良かった。その、良ければ先輩と気がつく前の口調で話してくれないか?自分から言う事でも無いのはわかっているが、もう少し気を許してくれると私は嬉しい」
「わかった、助かります。どう喋って良いか悩みつつあったんで」
パックジュースにストローを挿し口を湿らす。
その様子を確認した先輩は、カバンから別の包みを取り出す。
「その、チョコが嫌いだった時用にクッキーも焼いたんだが、良ければつまんでくれないか」
机の上に開かれたクッキーは甘い香りを漂わせ、空腹を誘った。
「じゃあ遠慮なく頂きます」
一つ口の中に放り込むと、サクッと焼き過ぎず、甘さもちょうど良く市販品と言っても差し支えない美味しさだった。
「これ先輩が焼いたって言いましたよね?」
「美味しく無かったか?」
不安そうな顔をした先輩が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「いいえ、逆です。市販品って言っても信じるレベルで美味しい」
「そ、そうか!美味しいと思って貰えたなら作った甲斐があった」
ひとしきり嬉しそうにした後、先輩もお茶のパックジュースにストローを挿し両手で抱え込むよに飲んでいた。
思わず可愛らしさに、クッキーを差し出してみた。
先輩はクッキーと自分を何往復も見返した後、凛とした表情が意を決したように口を近づけ、そのまま小鳥がついばむように、クッキーを口にした。
「きっとお茶に合って良いよ」
少し顔を伏せた先輩は、もぐもぐと小さい口を動かし、お茶とともに流し込んだ。
「甘いな」
上気した頬と潤った唇がなんとも色香を漂わせ、見据えた顔は小鳥なんて可愛らしいものでは無かった。
「君はなかなか悪い男の子のようだな」
顔をずいっと近づけられ、たじろぐ。
「ちょっと調子に乗り過ぎました……」
小さい先輩は思った以上に大人のお姉さんのようだった。
「よろしい。だが、もう一枚食べさせてくれても良いんだぞ」
語尾がどんどんと小さくなるが、その要求は抗えようがなかった。
だが、そんな戯れも一往復したところでお互いに恥ずかしさに耐えきれずギブアップした。
それから下校を促す放送が入るまで、恥ずかしさからか、チラチラとこちらに目を向ける先輩と他愛もない話が続いた。
「もう帰らないといけないんですね。帰宅部だから初めてこの放送聞いたよ」
「そうだな、こんなに楽しい時間は久しぶりで、ずっと続けば良いと思ってしまった」
荷物を持ち上げた先輩が余計に小さく見えるほど、落ち込んで見えた。
薄暗い廊下を歩く。
「私は鍵を職員室に返さないといけないから先に帰ってて大丈夫だ」
「わかりました。先に行ってますね」
先輩へと軽く手を振る。
あえて振り返ることはせず、真っ直ぐ昇降口へと向かう。
最後に見た先輩が何か言いたげだったが、「何でもない、さよなら」と小さく聞こえた。
2月の夜にしてはそれほど寒くは無かったが、自販機から温かいココアを購入しポケットに忍ばせた。
昇降口から見えない位置で壁を背に「ただ待つにはやっぱり寒いな」と一人呟く。
ちらほらと見かけるのは部活帰りであろう生徒の姿だが、そのどれもが程よい疲労感と爽やかな青春ストーリーを描いているようで、これから自分のしようとしている行動を考えると胸がざわついた。
何もせずにじっと待つと言うのは、数分間が数時間のように感じる。
もしかしてすれ違いで帰ってしまったのでは無いかと不安がよぎるが、各学年の昇降口はこの一箇所のみである。
不安を押し殺し待つと、目的の人物はようやく姿を現した。
なるべく足音を響かせないように、後ろから近づきポケットへと手を伸ばす。
「ひゃぅ?!」
突然頬に当てられたココアの温かさに小柄な先輩が小さな悲鳴をあげた。
「なななななんなんだ君は?!あっさりと帰ってしまったとばかり私は……」
慌てて距離を取った先輩は頬に手を添える。
「先輩にお菓子と飲み物をもらったんで、自分も何か返さないといけないかなって」
「そもそも私がお礼に用意したのに、これじゃあ意味ないじゃないか……それに、先に帰る様子だった……」
「『先に行ってる』とは言ったけれど、帰るとは言ってないんですよねぇ」
ほのかに拗ねた様子の先輩は不満を顕にするように口をつぐむ。
「ココア飲んで良いですから、拗ねないでください。さっき好きだって聞いて選んだんですから」
「君は随分と女の子慣れしているようだな。私はここ最近君の事を考えるだけで居ても立ってもいられないのに」
じっとりとした目線でココア越しにこちらを見つめてくる。
「それは多分……姉のせい……」
少し遠い目になる。
「お姉さんが?」
「いや、良い姉さんなんだよ。ちょっと思いが重いだけで」
あまりにもげんなりした顔を見せてしまったためか、それ以上の追求は免れた。
「と、とりあえずココアありがとう。待っててくれた事もすごく嬉しい」
明るく振る舞う先輩の優しさにホロリとしそうになった。
「一緒に帰りますか?」
「良いのか?!」
「なんのためにこんな所で待ってたと思ってんですか」
「そ、それもそうか」
先輩はマフラーに顔を埋めて表情を隠してしまった。
「自分は自転車ですけど、先輩は歩きでしたっけ」
「そうだ」
しばらく道なりに進み、分かれ道もほぼ同じ方向だった。
しかし、こちらの話しかければ、それなりの返答はあるのだが、先ほどから先輩の様子が変だった。
「どうしたの先輩さっきから?」
きゅっと結ばれた口元が微かに震えていた。
そうして、立ち止まる。
「お願いがある。君の都合の良い時で構わないから、また部室に来てくれたり、一緒に帰れたりできないか?」
どうやら考えていたことは同じで、先を越されてしまった。
「実は同じようなお願いを最後に言おうと思ってたんですけど、先を越されちゃいましたね」
「それって……」
「こちらこそお願いします」
小さな先輩は凛とした顔をあどけなく崩すと、自転車から手を離せない自分の袖を掴んだ。
「こうしてても良いか?」
「可愛い先輩の上目遣いには敵いませんな」
「ありがとう」
満点の星空の下、月明かりに伸びる二つの影は次第に、一つに重なるようにゆっくりとした足取りで進み始めた。




