短編「晩秋くーる」
冬物の上着を出そうか迷うの長雨の金曜日だった。
終電ギリギリまで仕事をこなし飛び乗った電車は、連休の前夜祭ということもあり、ほろ酔いと疲れたサラリーマンで賑わっているように感じた。
しかし、この賑わいも一駅隣のターミナル駅で一斉に消え去っていく。
偶然にも近くの席が空き、これから30分は座っていられると小さな喜びを感じながら座り込もうとした時、自分の隣に随分と綺麗なお嬢さんが座っている事に気がついた。
スマホを眺めるフリをしつつ、熟練された仕草の横目でチラチラとそのお嬢さんを観察する。
電車のベストポジションとも呼べる、扉横の角席にすわり、今時珍しくスマホではなく、文庫本に目を落とし読み耽っていた。
歳頃は20代前半だろうか、黒く艶やかな長髪は良く手入れされ、整った目鼻立ちだった。
服装はと言えば、落ち着いた色合いのトレンチスカートと、上は白い暖かそうなニットで清楚な王道と言う個人的にポイントが高かった。
こちらの視線に気がつく事もなく本を読み続ける彼女の容姿の確認を済ませ、眼福を感じていると最寄駅の隣まで来ている事に気がつく。
電車のドアが開きしばらくすると、本に集中しており気付くのが遅れた彼女は慌てて降りて行く。
横に掛けていた、ぱっと見で作りの良さそうな傘を持たずに。
これが終電で、戻りの電車も無い事など一切考えずに自分は咄嗟に締まりそうなドアを、その傘を待ちすり抜けていた。
彼女の後を追いかけると、改札へと向かう階段の中腹辺りで振り返る彼女と目があった。
自分は持ち上げた傘を彼女に分かるように持ち上げる。
すると彼女はパタパタと階段を駆け上り、目の前へとやってくる。
「すみません、わざわざ私の傘を……ありがとうございます」
綺麗な角度のお辞儀は髪がサラリと流れ良いものだった。
「いえ、ちゃんとした傘だったのでつい動いてしまいました。それではこれで」
傘を受け渡すと、階段を登ろうと振り返る。
「あのっ!」
彼女の呼びかけに、今度は自分が振り返る。
「もう終電が……もしかして、私のせいで電車を?」
整った顔立ちが、眉を下げ申し訳無さそうになる。
「あっ……やってしまった」
視線を合わせると少し自分の行動が恥ずかしくなり、頭を掻く。
「もし良ければうちの車で送らせてください」
それは唐突な申し出だった。
「いや、悪いし夜も遅いから大丈夫だよ。最寄駅も隣だし30分も歩けばきっと着くからさ」
彼女は首を横に振る。
「いえ、いけません。目の下にはクマも見えますし、随分とお疲れのようですから送らせてください」
「いやいや、悪いですし……」
2、3度同じようなやり取りをしているが彼女は返してくれそうもなく、自分が折れる形でお願いを受け入れた。
2人で改札を出ると、彼女はクルマを呼ぶためにどこかへ電話をかけ始めた。
電話は数分で終わるとこちらに向き、「5分程度で迎えが来ると思いますので、そこで座りませんか?」とロータリーの屋根のあるベンチを指差した。
ベンチへ腰をおろすと、彼女は改めてお礼の言葉を重ねた。
「この傘は祖母からつい最近頂いたもので、届けて頂いて本当にありがとうございます。本に夢中になるとどうしても周りを疎かになりがちです。」
「夢中になるとわかります。それで、夢中にさせた本はどんな本を?」
「少し恥ずかしいのですが、『究極のあんぱん』と言う本なのですが、ご存知ですか?」
勝手に堅そうなタイトルの本が出てくるかと思っていたが、随分とポップなタイトルだった。
そして、最近は仕事が忙しく、めっきり書籍を手に取ることが無くなっていた自分には、聞いてみたは良いが聞いたことは無かった。
「申し訳ない、最近本を読む時間が無くて知らないタイトルですね。どんなお話か聞いても?」
5歳は歳の離れているであろう女性にどう接したら良いか分からず、彼女の話してくれそうな話題で沈黙を避けた。
「平凡なパン職人が主人公なのですが、仕事中に不慮の粉塵爆発で死んでしまうんです。しかし、次に目を覚ますとそこは異世界で、彼はさまざまなあんぱんを生み出す能力を授かっていたのです」
「ちょっとまって、まさかのファンタジー?!」
学生の頃に読んでいたようなライトノベル風の内容に思わずツッコミを入れてしまった。
「えぇ、所謂異世界転生と言うそうです。最近勧められて読みはじめたジャンルなのですが、突拍子も無くて面白いものですね」
何とか冷静さを取り戻し、最近の流行だった事を思い出す。
「最近流行りらしいですね。突然異世界に連れていかれて大冒険なんてなんとも都合の良い展開が」
「そうですね、現実には起こりえなくても、本の中なら許される。そんなお話が私は好きです」
彼女の楽しそうな雰囲気に休みの予定が決まる。
「久しぶりに本を読んでみたくなりました。明日は休めそうだし、書店でその本見つけてみます」
「でしたら」と彼女は持っていたバックを開くと一冊の文庫を差し出す。
「実は上下巻で、上巻は読み終えた所なんです。ですから、良ければこちらをお貸しします」
思ってもみない申し出に、慌てて首を振る。
「いやいや、そんな見ず知らずの人に本を貸すなんて辞めたほうが良い」
「もう見ず知らずではありません。見もしましたし、傘をわざわざ届けてくださる優しい方と知りました」
「でもお借りしてもどうお返しすれば良いか……」
「そうですね、下巻もお渡ししたいですし、日曜日はお休みですか?」
久しぶりの連休であり特に予定も無いのだが、あえてスマホを取り出し、スケジュールを確認する様な素振りを見せる。
「1日空いてますね」
「ならその日はお茶でもしながら読書タイムとしませんか?連絡先も交換すれば解決ですね」
先ほどから繰り出される思い掛けない誘いに、置いて行かれる思考は彼女の返事を待つ視線に気が付きようやく言葉を発する。
「あの、こんな冴えないアラサーを誘っても面白くないと思いますよ?」
「せっかくの出会いを無駄にはできないと思ったのですが、ダメですか?」
「初対面ですよね?」
「初対面だからです」
「あんまりおっさん間近をからかっちゃダメだよ」
積極的な姿勢に思わずドキドキとしてしまったが、何とかこんな現実はあり得ないと理性が勝った。
「見た目と声と雰囲気が好みだと思ったので、もう少しあなたが知りたいのです。ここまで言ってもダメですか?」
冗談を感じさせない眼差しに息を呑む。
「本気?誤解しても良いの?」
「本気です。誤解しても良いです。誤解じゃないので」
「ま、まじかぁ」
熱くなった顔に当てた手が冷えていて心地良い。
「それなら連絡先も日曜日も喜んでお受けします」
握り締めていたスマホを差し出して、お互いの連絡先を交換する。
彼女は登録された名前を見るとふわりと表情を緩める。
「お名前で呼んでも良いですか?」
「別に構わないが、そんなに好意を向けられた事が無いから戸惑ってしまうんだが……」
「すみません、少し自分でも止まらなくて」
ほのかに緊張した様子がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「もう、意地悪ですね」
やたらと素直で物怖じしない彼女は、電車内でチラ見した以上に魅力的だった。
中途半端な終わりに見えそうです。。。
書きかけだった話を何とかまとめてアップしました。




