短編「雨のちすくーる」
ほんのりファンタジーでちょっぴり大人めです。
古い神社の片隅で、境内から紫陽花を眺める横顔は、咲き誇るどんな色の花よりも綺麗だった事をふと思い出す。
10年くらい前だろうか、何の用があっあのかは覚えていないが、とある人物に出会った。
「そこの少年、そろそろ雨が降るからこっちに来ると良い」
そう綺麗な人は、不躾にも眺めていた当時の自分を手招きする。
「お姉さんここの神社の人なの?」
お姉さんは少しだけ指先を口元にあてると「んーっ」とわざとらしく悩む素振りをする。
「そうさな、ここの神社の者と言えばその通りだな」
「やっぱり!その赤と白の服、お正月に見るもん」
「そうかそうか、私はあれらから祀られる方なのだが、まぁ少年にはそんなに変わらんのだろうな」
少年が軒下に足を踏み入れるのと同時に、大粒の雨が突然降り始めた。
「お姉さんすごーい!おかけで濡れなかったよ。ありがとっ」
お姉さんはククッと笑うと「少年は素直で可愛げがあるな」と褒められた覚えがある。
その他には、たわいの無い会話をした気がする。
雨が止み、それでもお姉さんとの会話は楽しく、辺りが暗くなりようやく帰らなければとなった時に言われた。
「少年。君は10年もすれば私とそう変わらない年頃に見えるだろう。その時、もし今日のことを覚えていたら、私を外に連れ出してはくれないか?」
確かにそんなことを言っていた。
雨上がりの帰り道、紫陽花から滴る雫に蘇る突然の鮮明な記憶が自分の足を神社へと向けさせる。
苔むした滑る石段をゆっくりと登り切ると、あの人がいた場所へとたどり着く。
「待ちわびたぞ少年。いや、もう少年では無いか」
記憶にある姿のまま、あのお姉さんは境内から緩やかに手を振る。
暫し呆然として戸惑っていると、緩やかに振る手は手招きするように動きを変えた。
「そんな所で突っ立って無いで、私を連れ出しに来てくれたのだろう?」
「いや、あの、あんた何者なんだ?10年前とまるっきり同じ姿じゃないか」
「この神社の者と言っただろう?要するに神さまみたいなもんだよ」
「神さま……?」
テレビに出るアイドルとでは比べものにならない程整った容姿と、10年前と寸分違わぬ姿に思わず納得してしまう。
「まぁそれほど力のある神では無いがね」
「ここから出られないのか?」
「昔は自由に出入りできたのだが、最近は誰かの手を借りなければ出られない程弱ってしまったのでな」
「どうしたらいい?」
「ほう、この与太話とも取れる内容を信じてくれるのか」
少し驚いた表情の後に僅かに口元をあげる。
「嘘や悪さをするなら連れ出すのは無しにするぞ」
「私は悪い神では無いから、危害は加えんよ」
「そうかい。それで、どうしたら?」
神さまとやらはそっと手を差し伸べる。
「私の手を取ってそのまま神社の外に連れ出してくれ」
今まで見てきた誰よりも綺麗な女の子の手を握ることに対して、一瞬躊躇するが恐る恐る手を取る。
「そんなに壊れ物を扱う様に優しく握られては、私までドキドキとしてしまうな」
いたずらをする子供の様な表情でククッと笑う彼女はとても綺麗で直視できそうになかったが、少しだけ握る手を強め境内から引っ張り出す。
境内から引っ張り出す瞬間、何か薄い膜を破るかの様な感覚と軽い目眩を感じたが一瞬過ぎて気のせいにも感じられた。
「出られた様だな」
「出られたならこれからどうするんだ?」
「そうさなー。とりあえず腹が空いては戦はできぬと言うし、何か食べたい」
「神さまってご飯食うのかよ」
「いや、別に食事を取らなくても良いのだが、この姿なら三大欲求は満たすべきだろう?」
三大欲求と聞いて別の事も想像し掛けるが、早々に頭から追い出す。
「人間と変わらないじゃ無いか、何か神さまらしい事できないのか?」
神さまはククッと見透かしたように笑う。
「丁度良いから少年の前で生着替えといこう。この和装束じゃあ目立つしな」
繋いだままの手とは逆の手を持ち上げる。
「一瞬だぞ、目を凝らしていると良い」
持ち上げた手を『パチンッ』と弾き響かせると、周囲を突然のつむじ風のような突風が襲う。
思わず目を閉じ、風が止んだ所でようやく目を開く。
「終わったぞ」
そう言う神様を見ると、自分が通っている高校の女生徒用の制服を身にまとっていた。
「なっ?!いつのまにってか何でうちの?!」
「少年と歩くならこれが1番だろう?それに、じぇーけーとやらは可愛いでは無いか」
「神さまってかなり俗世間に染まってるんだな」
呆然と呟く自分を放置して、手を引っ張っ歩き出す。
「さて、制服でーととやらに洒落込もうか」
その後は完全に食べ歩きだった、クレープ、たこ焼き、パンケーキ、ケバブ、あんみつ……
あの細身な体型のどこに詰まっていくのか不思議に思いつつも、神さまのおねだりに対して財布の中身は軽さを増していった。
タピオカミルクティを片手に持った神さまは、人混みの方向を指差す。
「次はあの、ぐるぐるしたフランクフルトが食べたいぞ」
「あのうですね、神さま。最近出たばかりのバイト代を全力で溶かすのはそろそろ勘弁してくれませんか」
「む、なんだ、その、すまん。久しぶり過ぎて高校生の財布事情を失念していた」
「まぁ先月訳もなく、店長にこき使われたので、そこそこ潤沢だったのが幸いです。そのフランクフルトが最後ですからね」
「お主なかなかの甲斐性持ちだな、お姉さん的に評価高いぞ」
「はいはいそりゃどーも。買ってくるからここで待ってて下さいね」
「なんだ、君はつれないな。今日これっきりなのだから……」
遠ざかる背中へと呟く言葉は人混みの喧騒にまみれ消えていた。
「「お姉さんかわいいね〜。1人なら俺たちと遊んじゃわない?」」
下卑たニヤケ面の男が2人ほどで、話しかけてきた。
「すまないが、1人では無いんだ」
「なになに、もしかして可愛い子もう1人追加みたいな?」
「いや、男だな。だから君らに関わっている暇は無いんで、他を当たってくれ」
「んだよ、男か、そんな奴ほっておて、俺らが超楽しい遊び場連れてってやっからさぁ」
馴れ馴れしく手を伸ばしてきた男の手をふわりと避ける。
「ナンパで手を出すのは昔から三流のやる事だぞ。さっさと私なんかに構っていないで、立ち去ってくれるとありがたい」
いやらしげに鼻の下を伸ばした片割れが嬉しそうにする。
「生意気な女って俺超好みなんだよなぁ」
「すまないが、私は好みではないんだ。失礼させてもらう」
再び伸ばされた手を払い、背を向けようとする。
その歯牙にも掛けない様子が男の癇に障る。
「テメェいい加減にしろよ。ちょっと優しくしたら調子乗りやがって」
男は髪の毛をつかもうと腕を伸ばした。
しかし、伸ばした腕は空を切り、別の手に阻まれた。
「すみません。ウチの神さまが何かしました?特に問題が無ければ失礼しますね」
颯爽と登場した一人の青年に、腕を伸ばした男とは別の男が容赦無く拳を振り抜いた。
「あぁ?邪魔だ」と吐き捨てられた言葉ととも、鈍い音が響いた。
瞬間周囲が反転したように感じ星が瞬いた。
「少年ッ!」
倒れかけた少年は切羽詰まった声に、ギリギリで意識を保ちなんとか咄嗟に差し出された神さまの支えに倒れることはなかった。
「ら……らいろうう(大丈夫)……」
口の中は切れ、意識は靄がかかる中、回らない呂律で必死に強がった。
「よくも私の少年に手を挙げたな……」
先ほどまで、人を殴り調子づいていた二人組に、生ぬるい風が纏わり付き始めてるいることには、騒ぎの野次馬達も本人達誰も気が付いてはいなかった。
「生意気なガキが気安く触るから悪りぃんだよ」
「そんな弱っちぃガキほっといて遊ぼうぜねぇちゃん」
整った顔は幾分か崩れ怒りを露わにし、凄まじい威圧感を振りまく。
『『まだ口を開くか……愚かな人の子の中でも更に淀みの中にいる者どもよ』』
腹の底に響くかのような、地響きのような声に男達は違和感に気がつく。
先ほどまであった人通りも野次馬も今はなく、周囲は生ぬるい風と重さすら感じる空気に。
「な、なんだこれ。あの女なんかヤベェぞ」
男達は見えていた、目の前の少女の背後に何か得体のしれない大きな影と、火の玉のような点々とした発光体を。
逃げ出そうと、踵を返そうと試みるが、足が地面から離れない。
「お、おい!なんだこれ?!足が離れないッ!!」
離れない足にバランスが崩れ二人は尻餅を着く。
彼女は一歩も近づいてはいないが、大きな幾本もの影が近づき、足元からじわじわと絡み付く。
その感触は、生ぬるく纏わり付き生理的な嫌悪感を煽り立て、徐々に強く締まり、首に絡み付く頃には叫び声は枯れ果てていた。
全身が影に飲み込まれ全身の感覚が溶け出すように意識を失った。
「少々恐怖を与え過ぎたかもしれぬが、あのような輩が世の中に怯えを見出した程度で困ることはないか。暫くそこで寝ておれ」
薄っすらとした意識の中で抱きとめられていた青年が温かい腕の中で見ていた光景は、もふもふとした9本の狐らしき尻尾が男達を覆い、暫くして尻尾が見えなくなると口から泡を吹いて気絶した男たちが姿を表した。
「いっらい、なにふぁ……?」
「あぁすまない、少し神さまとしてお灸を据えたまでた。そんなことより、私のせいですまない」
神さまの支えからゆっくり体を起こすと、口の中が酷い有様だと実感した。
「まぁ、しはらくはうまく話せそうにないな」
先程までの威圧感に満ちた表情から、泣きそうなくらい申し訳なさそうに変わっていく神さまの頭に手を置いた。
「そのうひ、なほる」
「嫌だ、今私が治す」
そう言うと、神さまはゆっくりと顔を近づけてきた。
弱った意識の中でも、整った顔立ちが近づき、早くなる鼓動と別の痺れを感じる。
神さまは両腕をこちらの顔に優しく添える。
「少し贄として血を頂くが、気持ち悪がらないで欲しい」
そう言うと、柔らかな舌先が口の端から漏れた血をなぞる。
そうして口まで届くと、潤いを携えた唇が重なる。
重なった唇から、舌が優しく口を開かせてくる。
コクッと神様の喉が鳴ると同時に、口の中に溜まっていた鉄の味が薄まった。
そのまま、2度ほど神さまの喉が鳴ると共に口の中の痛みが引き、まだ少し靄のかかっていた頭がスッキリしていく。
やがて離れていく唇に名残惜しげに、艶めかしい表情の神さまは指を添えた。
「癖になりそうだな、これは」
冷静になった頭で整理する。
所謂初キスである。と言うか、傷が完全に治っている。
「な、なんで」
「少年を治すには、少々先ほど力を使い過ぎてしまってな。贄が必要だったのだ」
「だからってこんな人通りの多いところでっ?!」
「周りをよく見ろ少年。周りには見えておらんよ」
周囲を見渡すと、人通りはあるが誰もこちらを見向きもせず、道端のオブジェのように何事もなく避けていくだけだった。
「一般人との位相をずズラしているから、周囲は道端に落ちている石のように感じているから問題ないさ」
半分以下の理解の中とりあえず「そうか」と相づちを打つ。
「ま、まぁ助けたつもりが、完全に助けられたな」
「いや、登場までは最高に素敵だったぞ」
「今度は最後まで頑張るよ」
「これ以上私を惚れさせてどうするつもりだ?神と家族にでもなってくれるか?」
「キ、キスまでしちまったし、責任は取る」
整った顔はボッと紅くなり「そ、そうか」と俯く。
暫しの沈黙の後、神さまは少し寂しそうな表情を上げた。
「………すまない、今日だけなんだ」
「今日だけって、もう会えないのか?」
「もう、神としての力が空っぽだったんだ」
身体から血の気が引いていくのがわかる。
「お、俺が力を使わせちまったから……」
「それは違うぞ少年」
即座に否定が入った。
「この地域の豊穣の神の必要性は薄まり、神社はひっそりと静まり返る。そんな世界に神は要らず、最後に自分の望みが叶って良かったよ」
「俺なんかが最後でいいのかよ………」
神さまはゆっくりと首を振る。
「『俺なんか』ではないよ。私が最後に約束した少年は君で、君に会いたかった」
「なんで、俺なんだ?」
「あの頃にはもう、人前に姿を見せられなくなって居たんだ。気付くのが遅かったよ。最後に見つけてくれたのが君だよ」
10年もひとりぼっちで待たせてしまっていた。
「俺……」
開きかけた口にそっと手を当てられた。
「謝罪なんて要らない、笑ってくれないか?君だけが私の支えだ」
神さまの体がほのかに透けていく。
「何か出来ることあるか?」
神さまは目を閉じ、柔らかな唇をねだるように突き出す。
神さまの手を取り指を絡ませる。
朱に染まった顔へと次第に近づき、やがて距離は無くなる。
触れた唇が離れる。
神さまの息づかいと、小さな声で「ありがとう」と声がすると、絡ませた指は支えを失った。
それと同時に、先程までの雑踏の中に戻った事がわかった。
暫し呆然としていると声がかかる。
「なんだ、にぃちゃんこんなトコでメソメソ泣きやがって振られでもしたかぁ?ガッハッハッ」
酒にでも酔ったのであろうサラリーマンが背中をバシバシ叩きながら、「元気出せよぉ〜」と去って行った。
辺りの暗さと溢れ出ていた涙に気がつき、慌てて袖で拭いスマホを取り出す。
時間はもう21時を過ぎ、家からの着信が入っていた。
まだ夢の中にでもいるような感覚でその日は家路に着いた。
翌日の学校は完全に上の空だった。
教師から指名されても、友人から移動教室と言われても、生返事で流石に担任から心配され、今日はもう帰って休めとカバンを持たされてしまった。
校門を出で自然と向かった先は神社だった。
苔むした階段を踏みしめ境内へ進むが、そこはひっそりと静まり返っていた。
拝殿へと登る階段で座り込み、空を見上げる。
「雨、降りそうだな」
誰かに投げかけた言葉は虚しく消えて行った。
しばらく空を眺めていると、水滴が屋根を打ち付けるのはすぐだった。
「全く勝手だよなぁ神さま。また雨宿りさせて貰うけど、これくらい昨日散々奢ったから許してくれるよな」
屋根や土、草木を打ち付ける雨がそれぞれに心地よい音を響かせる。
雨の音に耳を傾け、昨日の事へと想いを馳せる。
神さまの名前を結局聞けなかったとか、やけに食べにくそうなフランクフルト買い損ねたとか、唇が柔らかかったとか、思い返すとたった1日の事が何度も何度も繰り返された。
「また会いたい」
そう呟いた時だった。
何度も何度も思い返した声が響く。
「やはり、君には責任を取って貰う必要がありそうだ」
勢い良く振り返るお目の前に神さまがいた。
口をパクパクと驚きを隠せなかった。
「本物か……?」
整った顔の神さまは生真面目に答える。
「本物だぞ」
「昨日消えたんじゃ?」
神さまは指先を口元にあて、いつかと同じように「んーっ」とわざとらしく悩む。
「昨日贄として貰った血の相性が良かったのか、現世に残れたらしい」
怒りのような喜びのような感情が溢れる。
「じぁあ今までどこにいたんだよ、それらしく消えたじゃないか!」
「消えた手前少し出にくくてな」
「会えるならもっと早く出てきてくれよ心配しただろっ!」
「私は神だぞ、少年とは別の時間を生きている。そんな者を好いても幸せにはなれないんだ」
神さまの手を取る。
「違う、俺が神さまを幸せにしてやる。この神社も綺麗にして、立派な神様がいるんだぜってアピールしてやる!」
取った手をそのまま引き寄せた。
「だから!もうどこにも消えないでくれ……」
抱き寄せられた神さまは額を胸擦り付ける様にすがりつく。
「馬鹿者、これではもうどこにも消えられないでは無いか」
いつの間にか止んでいた雨は、夕方に近づく空を背に七色の虹をかけ、2人の架け橋となる様にはっきりと空に映し出されていた。
お久しぶりです。
書いてるうちに少し大人めになった気もしない事も無いですがお許しください。




