くーと呼んで欲しい。
秋も深まり木々は色鮮やかな季節を迎えていた。
神社の境内は落ち葉により鮮やかな絨毯を敷いていた。
銀杏はこの季節地面に落ちると多少厄介な落ち葉である。
銀杏の落ち葉は油分を含み非常に滑りやすいのだ。
本殿は多少階段を登った先にあるため、石段で滑らないように掃き掃除をする。
下まで掃き終わった青年は再度石段を登り、竹箒を倉庫へと仕舞う。
大きく伸びをしなが石段の下を見ると、杖をつく一人の品の良いお婆さんがいた。
人が周りに多い場合こんな事は絶対に言わないのだが、現状周りには青年とお婆さんだけであった。
「この階段は急ですから、手を貸しましょうか?」
「こんな婆ちゃんに声をかけるとは、珍しい若者も居たものだね。せっかくのお誘いだ、借りようかね。」
青年はお婆さんの手を掴み再度石段を登る。
「あんたこの神社の子かい?」
「はい、この神社は父親が神主をしています。」
「小遣い稼ぎに掃き掃除でもしてるのかい?」
「いえ、何となく落ち葉が危ないので……。」
「ほう、本当に珍しい若者だね。名前は何て言うんだい?」
「僕の名前ですか?稲荷和穂と言います。」
「いい名前だ。私が60年若ければ狙ってたね。」
「女の子みたいな名前だとからかわれますよ。」
「そんな事はないよ。名前はちゃんとあんたにふさわしい物になってるよ。」
そんな話をしていると、本殿の前に着く。
参拝を済ませたお婆さんはこちらに戻ってくる。
「ちゃんと待ってるなんて、律儀だね。気に入ったよ。」
境内に腰掛け、他愛のない話をしているとお婆さんの巾着から電子音が響く。
「電話だから、少し済まないね。」
そう言うと巾着からスマホを取り出し、慣れた手つきで電話を取る。
『あぁ、心配かけたね。』
『隣のお稲荷さんにいるから大丈夫だよ。』
『若い子と話し込んでしまっただけだよ。』
『そろそろ戻るよ。それじゃあね。』
電話を切りスマホは巾着へ仕舞われる。
「楽しかったが家の者が心配しているから、そろそろ帰るとするね。」
「はい、階段下まで送ります。」
「甘えるとするかね。あんた明日も掃除してるかい?」
「天気が良ければ同じくらいの時間にしてると思います。」
階段下でお婆さんと別れる。
何とも歳を感じさせないお婆さんだった。
明日も来るのだろうか?
「まぁいつも通り掃除をしていれば良いか」
と青年は1人呟くと神社の隣の家に向う。
次の日も秋晴れの良い天気であった。
青年は今日も日課の落ち葉掃きをする。
日曜日の昼下がりは秋と言えど多少の暖かさを感じた。
ふと気が付くと綺麗な黒髪をした同い年くらいの女の人が石段を登ってきていた。
彼女と目が合う。
青年は思わず目線を逸らす。
非常に整った顔をしていた。
しばらくすると彼女は青年の少し下に立ち止まる。
目の前に立ち改めて分かる。
容姿端麗とはきっとこの人を指す四字熟語だろうと、ぼんやり考えてしまう。
目の前の彼女はきっと自分に用があるのだろうと、声を掛けようとする。
「あ、あの……。」
青年が何かと尋ねる前に彼女は口を開く。
「あなたが稲荷和穂君ですか?」
「えっと……そうですが……君は?」
「失礼しました。私は砂尾くるみです。」
「す、砂尾さんが僕に何か……?」
「親しい人は私の事をくーと呼びます。良ければそう呼んで下さい。」
「親しい人って僕達初対面だよね砂尾さん?」
あまり表情の変化は感じ取れないが、
とてつもない威圧感で不満そうな雰囲気が漂ってくるのが分かる。
「これから親しくなれば何も問題はありません。」
一歩階段を登る彼女の真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになる。
「分かったよ。くー……さん。」
不満そうな雰囲気から一転して満足そうな顔を一瞬見せた。
「昨日ここでこの時間に人と会いましたよね?その人は私のお祖母様で、『私が気に入った青年が掃き掃除をしているはずだ』といろいろ話を聞いて会いに来ました。」
「あぁ、昨日の人はくーさんのお婆さんなんだね?」
「そうです。お祖母様は和穂君の事を非常に気に入ったらしく、婿に欲しいと。」
「え……。お婆さんの婿に?!」
少し変な声が出た。
「すみません、私は話下手で……そうでは無いんです。私と結婚を前提にお付き合いして頂けませんか?」
とんでもないことを表情一つ変えずにさらりと言いのける。
「け……けっ……けっこん?」
さらに変な声が出てしまった。
時が止まる。
いや、僕が固まってしまっただけだった。
「私では不十分ですか?それとも既に心に決めている方が?」
突然の事に声が出ず、僕は首を振る玩具の様になっていた。
「それなら私を和穂君の物にしてください。」
また彼女は普通なら赤面しそうな事言い出す。
「初対面だよね……?お婆さんからの評判だけで付き合うとか良いの?!」
「本当はお友達からと言うつもりでした。」
少し残念なような、ホッとしたような気持ちになる。
「それなら……。」
それならお友達から宜しく、と言いかける前に彼女は遮る。
「でも、下で掃除をしている和穂君を見ていて、胸の高鳴りが止まらないんです。お祖母様から聞いた話だけではありません。一目惚れです。」
彼女はまた一歩階段を登る。
顔が近い。もう彼女は僕と同じ段にいた。
僕が何も返事をできずにいると、先ほどまで頬一つ染めずに話していた顔に確かな変化が起きる。
今にも涙を零しそうなほど瞳を潤ませていた。
「初めてなんです。人から目が離せなくなることが……。」
僕よりも少し背の低い彼女が真っ直ぐに見つめてくる。
「私は本気です。」
そう言うとくーさんの顔がさらに近づき……重なる。
思考が追いつかない頭だったが、柔らかな唇の感触だけは確かに感じた。
ほんの一瞬だった。
「私ではダメ……ですか?」
「……ダメじゃないです。」
何とも情けない返事だと自分で思う。
他に何か言わなければと青年は悩む。
しかし、青年の言葉は遅かった。
「良かったです。断られても諦めるつもりはありませんでしたが、今日は泣き続けていたかもしれません。」
ホッとした為か、くーさんの頬には涙が伝う。
僕は思わず手で涙を拭いてしまった。
その手の上に彼女は手を重ねる。
「優しいのですね。不束か者ですが、どうぞ宜しくお願いします。」
「こ、こちらこそ宜しくお願いします。」
そう返事をすると彼女がこちらに倒れ込み、抱き着くような体勢になる。
「安心したら足の力が抜けてしまいました。すみません。」
「だ、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。実はわざとですから。」
僕は少し笑ってしまう。
「真面目な顔をして、お茶目な事を言うね。」
体を離そうとすと、彼女が服を掴んでいた。
「もう少しだけこのままでも良いですか?和穂君の腕の中暖かいです。」
静かな時間が流れていた。
「泣かせてごめん。」
「大丈夫です。今とても幸せですから。」
しばらくするとくーさんが離れる。
「あまりお掃除の邪魔してはいけませんから、名残惜しいですが……また後で続きをしてくださいね。箒はもう一本ありますか?」
「続きは……僕の心が保てれば……。」
「我慢できなくなったら私はいつでも大丈夫ですよ。」
何が我慢できなくなったらなのかは、怖いので聞くのは辞めておいた。